第215話 正攻法
時間は限られている。アシュアの声が初めて聞くほどふるえていて、最後に付け加えられた「また、あとでね」がどれほど自分たちを信頼してつぶやかれたものなのか、嫌になるほどわかった。それほどまでに、追いつめられているのだ。
おとなしく待つんじゃなかった。
後悔先立たず、である。
大神殿の前で、
おそらく無駄足になる上に、警戒を抱かせるだけだとわかっていても、まずは正攻法から行くしかない。未だに、大神殿の大扉は開かれている。今なら、まだ入れる。
「こちらに、我がクラン
挨拶とともに大神殿の門衛である聖騎士にたずねると、間髪入れずに「その者は大神殿にはいない」と返された。
「失礼いたしました。大聖堂のほうかと思われますが、ご確認願えますか?」
「大聖堂は今、精進潔斎中だ。特別な許可がない場合の出入りはいっさい禁じられている」
嘘は一つもなかった。
確かに、アシュアは精進料理と祈りの日々を過ごし、今も大聖堂の退出を禁止されているのだ。にべもなく、聖騎士から取次を拒否され、
『正面からはダメでした』
『わかった。ちょっと行ってくる』
その瞬間、
クエストであるなら、必ずクリア方法はある。
それを信じて、今はただ、答えを探すだけだった。
ファーラス男爵に、正面きって謁見を申し込む。
『まあ、私の魅力でならイチコロだよねえ』
シャラララン♪と鈴の音を響かせる
『メーアならいけるよ! わたし、犬臭いとか言われたし!』
【結構、根に持ってたんだ】
『いや、それよりもほら、別のほう気にしよう?』
地狼と舞姫、そろって突っ込まれ、ユーナはぷーっと頬をふくらませた。
それを横目に、
彼は
実際、面会の希望と三人の名前を聞くと、すぐさま伝令がひとり、奥向きへ走り出した。さすが紅蓮の魔術師と思いつつ、それを見送る。門番は「しばし待たれよ」と告げたが、わずかも待たされずに伝令は戻り、何と、領主の館へと先導された。
城門をくぐると、右手になつかしき
かつて見上げた領主の部屋のバルコニーの下を通り、玄関の扉を抜けて階段を上がる。待合室どころか、そのまま領主の部屋の前に……たどりついてしまった。ぴしっと起立した先導役の兵が声を張り上げる。
「紅蓮の魔術師ペルソナ殿、狼の
ユーナにとっては、初耳な呼び名である。だが、犬と言われなかったので、彼女はおどろきの中でも喜んでいた。さりげに地狼は鼻を鳴らしている。
扉はすぐに開かれた。見おぼえのあるうすい金髪の騎士が、ユーナたちを一瞥する。
「――入れ」
口上を述べる間も与えられず、男爵の側近レインは三人を中へとうながした。
前衛として、まず
と。
「って、あんた、何で!?」
目をみはり、大声を出すメーアの指先。
それは、濃紺の髪の……無精ひげの男に、向けられていた。肩をすくめるサーディクは、服装だけはやけに立派で、まるで騎士のような出で立ちだった。そこで、ユーナは気づく。彼も、自分たちも、武器を佩いたままだと。しかも、地狼すらもそのまま連れて来ている。
「マールトだけではなくマイウスでまで活躍したそうだな、命の神の祝福を受けし者よ」
窓際の執務机に、ファーラス男爵アルテアはいた。朽葉色の髪を揺らし、くくっと笑う。こちらの驚愕をおもしろがっているようすに、マイウスでの一連の事情はすべて把握されていると知れた。
「おまえたちの名は、サーディクからも報告を受けている。
入れ、と短く側近から再度うながされる。三人は素直に室内へ進み、執務机の前に立った。地狼はユーナの後ろに座り込み、警戒を抑える。
「これも、命の神のお導きとやらだろう。
ファーラス男爵の楽しげな声音に、ユーナは逆に口元を引き結んだ。
これは、明らかにクエストが進んだことを示している。正しい道を選んだという実感が、彼女たちを一瞬、ためらわせた。
あのひとを取り戻すためにどんな手段でも選ぶと覚悟して、ここまで来たのだ。
そう。
――失敗は許されない。
紅蓮の魔術師が口を開こうとしたその時。
「随分、話のわかる男になったようだな。アルテア殿」
ふわりと、銀糸の外套が風に揺れた。
唐突に出現した、彼の姿に――ファーラス男爵アルテアが、今度は逆に、目をみはる。サーディクとレインが抜剣する中、まるで子どものように、今にも泣きそうに表情を崩して、ファーラス男爵はその名を呼んだ。
「カードル伯、ヴァルハイト殿……!」
正面からアシュアを取り戻せなかった場合。
大聖堂へ足を踏み入れるために、王城の協力が必要になる。大神殿よりも権力を有するものが王城である以上、その選択肢は自然と出てきた。そして、ユーナたちにとって唯一面識のある相手が王子であるため、彼に話を聞くのが最も早い。なぜなら、王家の霊廟の一件は、彼の依頼でもあるからだ。その結果、アシュアが大聖堂に閉じ込められていると知れば、何らかの手助け、もしくは情報を与えてくれるだろう。
だが、王子に面会するためには、当然、貴族の紹介がなければならない――
貴族の中で、誰の紹介なら得られるのか。
紅蓮の魔術師は、最も手近な存在としてファーラス男爵を挙げた。マールトにおいて「紅蓮の魔術師」の名が売れている、という理由もある。そして、さすがに、今は亡きカードル伯の印章が今もなお王城で通用するとは思えない――と
あの印章を何に使ったのか、と。
多くの者が追い求めた代物である。それなりの価値が見出されていたことは彼自身も理解していた。だが、用途までは誰も話したことがなかったのだ。それも当然である。まさかクエストボスの
そして、判明した事実があった。
すべては、マールトに通じていた。マールトにある商人ギルドでも、『貴族の承認』クエストでも、カードル伯の印章が認められる、その理由。
既に滅んだ伯爵家でありながら効果が認められるのは、他ならぬ領主自身がカードル伯を認めていることを示していた。
なつかしそうに目を細め、
「よく私のことをおぼえていたな。まだ、きみは幼かったのに」
「――転送門を使わない貴族なんて、貴方くらいでしたよ。だから、最後にお会いできた……そう思っていました」
せっかく旅をするのなら、国を見たい。王城に戻った時、地方がどのように治められているのかを王子ソレアードに語るため、カードル伯は敢えて転送門を使用しなかった。そして、彼が南下するにあたって、当然マールトにも宿を求めた。その際、次代の男爵は出迎えたのだ。
「どんな形であれ、貴方が……いるんだと、届けられる印章が告げていた。
それはもう、叫びだった。
武勇を尊ぶファーラス男爵家である。護衛騎士まで務め、当時王子の右腕であったカードル伯の来訪を、どれだけ喜んだことだろう。そして、その死を、どれだけ嘆き悲しんだことだろう……。
ユーナは、ファーラス男爵の「強さ」を求める姿勢を、『命の神の祝福を受けし者』への恨みを、少しもわかっていなかったのだと悟った。すべては、彼から始まっていたのだ。
カードル伯の、死から。
主の頬を、雫が伝う。それを見て、サーディクも、レインも、動けなかった。それはまた、ユーナたちも同様だった。
アークエルドは、静かに今の気持ちを口にした。
「……感謝する、アルテア殿。このような身になってもなお、きみに会えて光栄に思う」
そのことばに、音が出るほどファーラス男爵は、歯ぎしりした。
顔を背け、頬を袖でぬぐう。未だに潤んだ目をこちらに向け、彼はユーナをにらんだ。
「用件は何だ!?」
それもまた、叫びのように聞こえる……ファーラス男爵アルテアの、心からの協力の姿勢だった。
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