第321話 闇の王


「ソレアードよ。不死鳥フェニーチェなど、どこにいるのです。墓荒らしを庇うなど、あなたらしくもない。

 あなたは王となるべきもの。

 命じることこそあれど、その頭を下げることなど、断じてあってはなりません。ああ、わたくしがもう少し生き永らえていたら……いいえ、まだ遅くはないはずです」


 不死王妃ノーライフ・クイーンは白い衣装の袖を振り乱し、声を上げる。その白骨化した指先が、己のしゃれこうべの頬へと触れ、かぶりを振った。

 そこにあるのは妄執か。未練か。

 墓室をふるわせて嘆く女は自分の死を認識していながら、どこかソレアードを生者と誤解している節もあり、その思考が正気でないことは確かだった。


「妃よ」


 ほぼ半ばまで失った腕を伸ばしかけ、不死王フォルティスはその腕の動きを止め、歩み寄る。

 すると、不死王妃もまたその身を不死王フォルティスへと摺り寄せる。

 失われた腕を両手で包むように持ち、彼女はそれを自身のしゃれこうべへと持ち上げる。真新しい衣装をまとう骸骨王妃と、古びほつれ汚れた王の装束をまとう不死王。仲睦まじいさまがわかる光景は、ソレアードにとって記憶の彼方の出来事であり……幼いころの在りし日を色鮮やかに思い出させた。


「そなたの息子は、素晴らしい王であった。もはやそなたが思い悩む必要はない。こうして目覚めさせたことは本意ではないが、それでもめぐり会えたことを、我もまた喜んでおるよ……」

「陛下――」


 心をふるわせ、王妃は自身の王を見上げる。

 そのやり取りを見つめ、ユーナは答えを見出した。


『――逃げよう』

『マジかよ』


 マルドギールを持つ手に力を込め、ことばを洩らす黄金の狩人フィニア・フィニスへとユーナはうなずく。


『フォルティス王に戦う気はもうないよ。ソレアード王にも。今なら、回れ右できそうじゃない? 不死鳥フェニーチェの宝珠は手に入ったんだし、ルーキスとオルトゥスが戻ったなら、これ以上戦わなくたっていいよね』

『――問題は、コレかな』


 弓手セルヴァが、先ほどから注視していた自身の地図マップを転送する。ここまでの道のりは自動的にマッピングされ、グレーダウンしている個所は各墓室の扉と最奥以外にはない。しかし、階段下から通路に至るまで、この場に出現していないだけで、エネミー・アイコンによってほぼ埋め尽くされていた。

 剣士は驚愕の声を上げた。


『前はこんなに沸かなかったぞ!?』

『ってことは、三人もボスクラスがいるせいかな。不死王妃ノーライフ・クイーンが見逃してくれたら、何とか突破していけるかもしれないけど』

『背中を向けたら衝撃波が追いかけてくるんじゃないのか?』


 紅蓮の魔術師は短く息を吐く。そこに倦怠感が残るのは、ここまで扱ってきた術式マギア・ラティオと、背中に受けた刃と、さらに襲った衝撃波での攻撃の重ね技のためだった。癒しを受けてもなお残る、冥術の影響が出ている。


『殿は引き受けよう』

『うむ。我が主は地狼アルタクスと前へ行くがいい』


 冥術の影響を受けない不死伯爵のことばに、不死鳥幼生の声が続く。ユーナはかぶりを振った。


『アデラ、ソレアード王の言うこと聞く気だよね?』

『――』


 もし、ソレアードの願いを聞くのであれば、最後まで彼女は残らなければならない。その場に、彼女以外の誰をも残すわけにはいかない。大聖堂の命脈の泉で、『聖なる炎の御使い』が選んだ道を、ユーナは忘れていなかった。

 焦るでもなく、ただ幼女は己の主を見上げた。金のまなざしの落ち着きぶりが、かの老女を彷彿とさせる。すべてを見守ってきた老女は、何もかもをあきらめているようであきらめきれず、最期まで己の心のままに生きた。


 紅蓮の魔術師は素直な疑問をぶつけた。


『アデライールの炎なら、本当に燃やせるのか?』


 ソレアードは「すべてを」求めた。

 NPCではあるが、従魔シムレースである不死鳥幼生アデライールなら、あるいは可能なのだろうか。

 彼女が超希少従魔バランスブレイカーである可能性を含めた問いかけは、そのことばを発している彼自身が信じてはいなかった。

 どれほどの力を秘めていようとも、レベル1の不死鳥幼生である。もし可能なのであれば、彼女はあの宝珠をにぎったまま吹き飛ばされるはずがないと思う。

 だから、これはただの確認作業だった。


『わからぬ』


 答えは端的だった。

 できるかどうかと問われても、長きに渡り手放していた力と、生まれ変わってもなお不安材料しかない潜在能力しかここにはない。だからこそ、主を巻き込まないために先へ行けと言ったのだ。


『我が白炎ブランカはあらゆるものを焼き尽くす。じゃが、この不死鳥フェニーチェの宝珠にもさほど力が残されておらぬ。よって、どこまで力が及ぶかはわからぬ』

『黙ってあの王妃さまが炎に炙られてくれるとは思えないわね』


 青の神官アシュア道具袋インベントリから白の媒介アルバ・カタリストを出し、にぎる。逃げるための道筋を開くために、ダメージが未だに残る前衛をこれ以上酷使するわけにはいかない。負担を軽減しなければ、もたない。



「何をぐずぐずしている」


 苛立ったつぶやきは、双子姫の耳朶を打った。頭を上げてそちらを見ると、兄王もまた紅に染まったまなざしを妹へと投げかけていた。それが不意に、やわらかく細められる。


「……エリーシェ――いや、ルーキスか。父上はそなたたちを解き放ったのだ。行け。もう振り返るでない。あとはこの兄が引き受けよう」

「にーさま……」


 自身をしかと認め、生あるころとはその瞳と外套以外変わらぬ兄のことばに、ルーキスはなつかしい呼びかけを行うことしかできなかった。

 だが、それでじゅうぶんだった。

 兄王は口元をゆるませる。

 家族の存在が、死を迎え鼓動を止めた胸をあたためた。その声をおぼえていようと、思った。


 かつて『聖なる炎の御使い』が不死王フォルティスへ向けたことばと同じものを、不死王ソレアードが妹姫へと向ける。その連鎖をまぶしげに見つめ――ユーナはシリウスへと向く。まるでその意思が通じたように、彼は笑みを浮かべた。


『必ず、来いよ』

『――うん!』


 いっしょに遊ぼう戦おうか。

 ゲームという存在を知って、その物語に魅入られた。いくつもの戦いで分かれた仲間や、命があって、強大な敵を倒すために工夫と努力を重ねた。

 RPGには終わりがあって、クリアすればエンディングが流れる。それがオンラインという形でキャラクターを操り、ともに戦えるようになり……さまざまなゲームで戦い方をおぼえた。

 コマンド入力の世界は、相手の動き予兆を見て打ち出す手が重要で、カウントした予測結果がぴたりと合った時、誰かの命を守れた時、攻撃を防げた時、追撃が功を奏した時、その結果、強敵を撃破できた時……何とも言えない達成感が胸を満たした。

 ゲームはインターネットに繋がっていて、自分たちはとなり同士で戦ったこともある。夜中にはできないことだったから、SSシューティング・スター越しに通話しながらタイミングを合わせた夜もあった。

 幻界ヴェルト・ラーイに来るまでは、そんな遊び方しかできなかった。エンディングという名のクエストクリアのエンドロールはいくつも流れたが、どれも本当の終わりではなかった。オンラインゲームに果てはない中、エンドコンテンツに魅入られていたのは、きっとずっといっしょに遊びたかったからだ。

 今、こうして目を合わせながら、己の手に武器をにぎり、物語の中を生き、前へ進める。他者の期待に応えたり、逆に求めを踏みにじったりしながらも、自分たちは生きていく。

 まるで、現実と同じように。

 わたしたちはコマンドという選択肢がない世界で、限られた能力スペックを活かし、選んでいく。



「陛下、このような物寂しいところは王に相応しくありません。泉下であろうとも王は王……そう、闇にありし王の存在を、すべからく民に知らしめなければ。ええ、わたくしも微力ながらお手伝いいたしましょう。ソレアード、あなたのためにも早急に、闇の王国を築き上げねば……」


 愛の語らいが暴走する。

 不死王フォルティスは、指先のない手で妃の頬を撫でた。


「そなたと、ソレアードがおれば……物寂しくもないのだがな」


 そのつぶやきは、目標を得た不死王妃に届かなかった。優しく、その骨のみの手が離れていく。

 墓室がふるえ、大音声が響いた。


「ひれ伏せ、下郎。忌々しいそなたたちをまず血祭りに上げ、陛下とソレアードの千年王国の産声としましょう。それでこそ、我が目覚めにも意味があろうというもの」


 両手を高々と広げると、ドレスの袖口もまたひるがえった。


『――来る!』


 一斉に、漂うように動いていた赤い光点エネミー・アイコンが奥へ向かって進み始める。

 弓手の注意に、剣士は階段のほうへ駆け出した。先陣を切ろうとする彼の動きを見、青の神官が不死者アンデッドが蠢く通路目掛けて、神術を紡ぐ。


「神の名のもとに天への道よ、開けアデ・カェレロゥルム!」


 白の神術陣が彼女の前へ真円を描く。白の媒介アルバ・カタリストが砕け散り、閃光が撃ち出された。剣士の背後から襲い掛かった聖なる光は、彼自身には何の影響もなく、その向こう側へ死を乗り越えた安らぎをもたらす。瞬く間に道筋が開かれ、まばらになった敵の姿に、剣士は全力で剣を振るった。


「行くよ。ルーキス、オルトゥス」


 舞姫のうながしは、駆け抜けざまに行なわれた。その鮮やかな色合いは鈴の音を鳴らし、剣士のとなりで舞う。

 ルーキスは方天画戟ガウェディガイスを拾い上げた。鎖と鎌がばらばらになってしまった鎖鎌クラモアを手にオルトゥスも立つ。

 ふたりはそれでも最後に、不死王へと一礼した。そして、ことばもなく、舞姫を追う。残された人形遣いの背を、神官が叩く。


「私たちも行かなくちゃ。離れないでね」

「それはこちらの台詞です」


 戦斧を担いだ交易商の後ろを、先に弓手たちが走っていく。盾士が風属性を付与し、ふたりの矢の威力を上げた。弓手と黄金の狩人が、前衛が打ち洩らした不死者アンデッドをひとつひとつ砕いていく。


「――炎の矢ケオ・ヴェロス


 弓手の残した炎地雷ホォヤン・ディーレイへ火を灯し、紅蓮の魔術師は最奥からの敵を一掃する。ありったけかと思えるほどの爆発に、その術衣が風に煽られた。肌を襲う熱風に、ユーナは目を細めた。


『後ろは始末した。あとは任せる』


 紅蓮の魔術師が動く。

 魔力の丸薬が彼のMPを癒したのが見えた。

 青の神官の手から離れ、人形遣いは膝を折る。やわらかな一礼は、不死王フォルティスへと向けられていた。娘たち同様、彼女はことばを発することなく、その白の術衣をひるがえす。アシュアが法杖を振り、叫んだ。


『ユーナちゃん、早く来てね!』


 ユーナは強くうなずいた。

 地狼が小さくうなる。その背を撫で、彼女は微笑んだ。


「なぜ、行かぬ?」

「わたし、もう決めたんです。従魔この子たちから離れないって。

 ……だから、いっしょに行こ。ね?」


 従魔シムレースと殿を務める。

 融合召喚ウィンクルムどころか、従魔回復シムレース・コンソラトゥールも、従魔支援シムレース・スプシディウムも使えない主に何の価値がなくとも、従魔は絶対に主を守ろうとする。彼ら自身が命を失えば、主は無事でいられない。ならば、何としても永らえようとするはずだ。

 未来への楔として、ユーナは残った。


 ソレアードは少女の覚悟を見た。

 マルドギールを持ち、紫の瞳で不死王妃ノーライフ・クイーンと向き合う。

 彼女の前に立つ不死伯爵アークエルドは、困ったように眉尻を落とした。その表情が、いつか自分が困らせた時と同じものと重なり、ソレアードは嫌味たっぷりに言い放つ。


「無様な戦いはできぬな」

「御意。それこそ、命に代えてもお守りせねばと思っております」

「既に命脈は尽きておろうが」


 憮然と不死鳥幼生アデライール不死伯爵アークエルドにその金のまなざしを向ける。骸骨執事アズムがカタカタと笑う。


「仮初のものでも、命は命でございますれば」

「そうですよね。だから……また会えたんだし」


 紫水晶が、不死王ソレアードを映す。

 かつて敵としてまみえた存在が、今はその名を緑に染め、自身の父母に背く。その覚悟に比べれば、ユーナの覚悟などどれほどのものだろうか。彼の父母への思慕は、ふたりの仲睦まじさを見つめているようすからもわかるのに。

 それでも、彼はこちら側にいる。

 真紅のまなざしは、忌々しげに細められた。


「馴れ合う気はない。だが……」

「ソレアード、何をしているのです?」


 母の呼びかけに、息子は向き合う。そして、はっきりとことばにした。


「――母上、恐れながら申し上げます。

 闇の千年王国の王は、御免被ります。フェリーシュの玉座でさえ、たった一月ひとつきあたためるのがやっとでしたので」


 不死王ソレアードは不死伯爵のとなりに立った。

 三叉槍トゥリデンティの石突で、床を打つ。


「親不孝を、お許し下さい。この先には、ザカートがおります。おそらく新たなる王として、立派に務めているでしょう。死した者が地上へ姿を現せば、禍にしかなりません。

 我らは、この王家の霊廟に在ることしかできないのです」


 深紅の外套の留め具を、槍を持たないほうの手が外す。

 重い音を立てて、それは床へと落ちた。


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