第320話 この手は多くのものをつかめるほど、大きくないと気づいた
止めないと。
ルーキスの金のまなざしに心はなく、いつもならともに敵を屠る武具を今はオルトゥスへ向けている。
もともとは一振りの大鎌を、母エスタトゥーアがふたりのために分けたものだ。せっかくふたりなのだからという意思を込められたそれは、決して互いを傷つけるために存在するわけではない。もちろん、
あれは心を縛る術、だと思う。
どういう原理かはわからない。それでも、オルトゥスはおぼえている。
自分のすべてが自分の思い通りにならない苦痛。父がすべてであり、父の命によって自分が在ると意識に上書きされた思考。その考えが行動を決めていく。母のことばを聞き入れることもできず、ただひた走るのみで。
しかし、すべてをおぼえているのだ。自らが何をどうしたのか、ゆえに誰がどのように動いたのか。
血塗られた
きっとルーキスも同じだ。
舞姫に教わった足運びが、互いの距離を計る。
自分と同じように、ルーキスを解き放ってもらうためには聖属性の術石が必要だ。アシュアはきっと応えてくれる。あとはその間を作るだけ――。
「引きなさい!」
母の声と、その風圧は同時だった。
視界の端に兄が映る。真紅の瞳へと色を変えた彼は、オルトゥスたちを背に庇うように立ち、
「何をするのです? ソレアード」
「よもや、まこと人形遊びに興をおぼえたのですか?」
「――ええ、そうかもしれません。この人形たちは我が身を狂気より解き放ってくれましたので」
「母上が心を向けられるほどのものではございません。作り物の身に王の血を宿すはずもない、ただの
兄王の発言に、ルーキスはその場でだらりと方天画戟を下ろした。まるで攻撃の意図を失くした動きに、オルトゥスは困惑する。
今のルーキスに心はない。であれば。
「行け。もはや、そなたたちに用はない」
不死王妃のそばに佇む父王フォルティスのことばは、そのまま娘の心を抉った。
「何それ……都合がいい時だけ欲しがって、都合が悪くなったら来るなっていうの? 娘を何だと思ってんのよ――!?」
怒りと同時に、アシュアは聖属性の術石をぶちまける。一掴みの術石は豆まきかのようにルーキスを襲った。その痛みに、青の神官に背を向ける。オルトゥスはその身体を両腕に抱く。アシュアはそれを見逃さなかった。白銀の法杖が床を打つ。
「――
「つまらぬ術を……」
神術陣が展開し、ルーキスの身体をオルトゥスごと包む。発動直後の硬直に、冥術が神官を襲った。
だが、それはふたりの
「その道を求めるお気持ち、わかります。ですが、それは彼の姫君の御為のもの。今はあきらめていただきましょう」
「誰が姫君だと?」
嘲笑うように、不死王妃のしゃれこうべも鳴る。
不死伯爵は剣を抜いた。不死王フォルティスは彼女のために、自身の娘たちへ伸ばした手を今また手放した。不死王ソレアードは、己が認めた妹姫たちの未来を摘むことを拒んだ。
「幼き姫君らが泉下へ向かうことなく、闇へ囚われたのはたった三つだったそうです」
魔剣ローレアニムス。
不死王ソレアードが、泉下への道連れに選んだ……あの日「必ず戻ります」と誓い離れた折の、約束の剣。
再会は血に塗れた道のりの向こうにあり、怒りや憎しみの中には折り重なった心の悲鳴が混ざっていた。戻りたいとあれほど渇望したことは利己的な過ちで、どれほど人の心を踏みにじって彼の方との邂逅を求めたのかと、彼女の涙に悔いた日もあった。
だが今、ようやく、あの時、あの手を取ってよかったのだと思える。
「それまで、太陽の光の下で駆け回ることを知らない姫君でした。陛下の願いは実を結び、心と身体を分けて、
ここにある
黒銀の髪が、色を失う。
一筋残っていた白い髪は母の心、それが本来の彼女の髪の色に埋もれ、わからなくなっていく。抱きしめたオルトゥスの髪と混ざり合い、呪われた媒介は泉下へ向かい、人形遣いの守りが蘇る。
金色のまなざしが、銀色のグラスアイをとらえる。泣きそうに歪んだ色合いに、オルトゥスは抱いた身体へと力を込めた。
「――ルーキス……っ」
「ごめ、ごめんなさい――!」
そのふたつの身体を、白の影が覆う。方天画戟が、床に落ちる。やわらかな腕が頭部を抱く。神術陣の残滓が、聖属性の術石のかけらから消えていく。
「王家の霊廟をこれほどまでに荒らしておきながら、世迷言を」
「御霊鎮めの舞なら得意だよ。一差し、舞おうか?」
両手のシンクエディアが、
不死王と不死王妃、いずれもが頭上の名を赤く染めている。
答えは出ているのだ。何もかもは手に入らない。
「できると思うのか、麗しい娘御よ。墓室の扉は開かれた。我らは再び眠りにつくまで、闇の中に安らぎを得ることはないだろう。それとも、死してなお舞い、無聊を慰めるか」
下ろされたまま、不死王フォルティスの剣は動かない。
怒り狂う不死王妃のそばで、ただ立つだけだ。
その姿が何を求めているのかを悟り、
「連れ合いともども……眠りにつくか、フォルティス王よ。この婆のせいじゃの。許せ……」
朱金の髪、金の双眸。
幼子の出で立ちの……変わり果てた「おばばさま」の姿を一瞥し、ソレアードは口を開く。
「――フェリーシュを長きに渡り守り続けた
不死鳥転生の伝承。
『聖なる炎の御使い』と重なることがなかったのは、彼女がひたすら死を求めていたせいか。
ソレアードは妹とはまた異なる形で生を選んだ彼女へ、祝福を求めた。
「その聖なる炎で、すべてを清めてもらえぬか。不死なる身が終わりを告げることはなくとも、せめてしばしの安らぎを……父上が為したように、次は我がお二人の眠りを守りたいと思う」
かつて王家の霊廟を訪いし折、不死王ソレアードの前へ姿を見せなかった理由が、今改めて突きつけられる。
その手にきらめく不死鳥の宝珠をにぎり、アデライールは静かにうなずいた。
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