第322話 それでもあなたはやはり
王となるべく育てられた方だった。
アークエルドは、王の証でもある深紅の外套を見下ろす。
墓室は地下に作られ、霊廟の前庭には人工の泉が神術具によって清らかな聖水を湛え、循環している。熱病により
だが、かつて、この光景は王都イウリオスを席捲していたはずだ。父王から絶望の治世を譲り受け、それでも、ソレアードは王として王都も玉座も投げ出すこともなく最期まで戦い抜いた。
王家の霊廟に葬られた妹姫や父王、そのとなりに座すことになると病床で気づいたはずだ。彼は弟王子にどのような未来を残そうとしたのだろうか。ただ、はっきりしているのは、不死者として蘇った折にも熱病を外に出すことを防ぐために、自身を祀ろうとした神官や聖騎士たちを皆殺しにし、封印を解いた自分たちをも打ち倒そうとした。
死してなお、王として在り続ける方だ。
その心が、彼の言にすべて表れている。
王子ソレアードの護衛騎士として、側近として、ともに過ごした時間が何一つ無駄ではなかったのだと、彼の存在が物語る。
魔剣ローレアニムスを手に、
「何を言うのです。陛下と、第一王子であるあなたが健在である以上、ザカートのための玉座はありません。よもや――あの子が簒奪など……ああ、何という……」
不死王妃はかぶりを振る。彼女の精神状況が不安定であることは登場した折からも察していたが、墓室をふるわせて響く声音は、今、感極まっていた。ちがう、という不死王ソレアードのことばは届かない。
「愚かな!」
「ヴァルハイト、そなた王の証を何だと――」
「お許し下さい、殿下。さすが王の護り、これならば……」
顔をしかめるソレアードに、安堵しながらアークエルドは深紅の外套から己の主の顔を出させた。窒息しかかっていたユーナは、ぷはっと息を吐く。アデライールは骸骨執事の腕から下ろしてもらった。
「ああ、ちょうどよさそうじゃ。そのままアルタクスと下がっておれ」
「マルドギールがあるんだから、わたしだって戦えるよ?」
「死にたいのか、貴様!」
小さく唇を尖らせるユーナに、ソレアードが怒鳴る。その片手が伸び、
思わず不死鳥幼生は破顔した。
ソレアードはそのまま、地狼目掛けてユーナを突き飛ばす。
「己の主くらいしつけておけ、ヴァルハイト!」
「あなたと同じくこちらの想像を上回る方ですので、難しいかと。――陛下!?」
再度、
そのことばに応えながら、アークエルドは見た。銀の剣を下ろし、不死王フォルティスは心配げに手を伸ばす。その手を、不死王妃が、大きく振り払ったのを。
「放して……! もう――耐えられないのです!」
「父上!」
「ああ、ソレアード! あなたまで陛下に何を!?」
ソレアードが駆け出す。不死王フォルティスにたどりつくより早く、
「……私も、ああだったな」
「はい」
うなずき、小さく息を吐くソレアードを抱き起こそうとする。彼はそれより早く手を払い、自らの足で立ち上がった。
「私は母上に刃を向けられぬ。だが、せめて……この身で、母上を止めることならばできよう」
その視線が後方へ向く。不死鳥幼生は、その赤のまなざしを受け止めた。
「――頼む、おばばさま!」
王の外套を外したソレアードは、速かった。
不死王妃が逆上して振るう腕を、その指先を避けていく。不死王妃の衣装が、ひらりひらりと舞う。ふたりの動きは、遠目であれば舞踏のように見えたかもしれない。
「離れておれよ、ふたりとも!」
不死鳥幼生は本性を顕した。朱金の鳥はその翼を広げ、未だに残る魔力光の下を羽ばたく。まっすぐに不死王ソレアードと不死王妃のもとへ向かおうとする彼女へと、一振りのきらめきが飛んだ。銀盆が飛来し、剣を撃ち落とす。不死鳥幼生は急速に方向転換し、その刃を回避した。そして中空に停止し、その剣の持ち主を見下ろす。
不死王フォルティスが身を起こし、真下に落ちた剣を拾う。片腕であろうと、彼はあくまで王だった。その口元から、せつない声があがった。
「すまぬ、おばばさま……」
「キゥ」
「この身も狂気に囚われておる。そなたたちが妃に害をなすのであれば、止めずにはおれぬ」
軽く振るわれた剣が、闇の衝撃刃を生む。不死伯爵はとっさにローレアニムスでその刃を払った。が、その刃へと重なるように、王の斬撃が繰り出される。流された剣は戻らない。胸元を大きく開ける形になったアークエルドは、追撃を覚悟し、息を呑んだ。
「アーク!」
マルドギールの穂先が、閃いた。
突き入れられた短槍から、炎が迸る。不死王フォルティスはひるがえした剣でそれを弾き、身を引く。地狼の背から降り、ユーナはマルドギールをかまえ直す。
並び立つ少女に、アークエルドは……己が選ぶ主とは、いつもこういう相手なのかと再認識していた。
「主殿」
「アデラ、こっち!」
アークエルドの注意を遮り、マルドギールをにぎるのとは反対側の腕を上げ、ユーナはアデライールに戻るように指示する。主の要請に、不死鳥幼生は素直に応えた。その軽い身体を受け止め、ユーナはささやいた。
「フォルティス王を止めなきゃ」
「それは私が!」
「ひとりじゃ無理だよ」
「グルゥ」
「アルタクスだって、万全じゃないんだからダメだって。単独行動禁止、わたしから離れないでよ」
「キゥ」
「うん、アデラならできると思う。アズムさんも……」
「お任せ下さい」
短いやりとりの合間に、不死王ソレアードが吹き飛ばされる。怒り狂った不死王妃には、彼しか見えていないようだ。追撃まで行なおうとして、不意にその手が止まり……起き上がったソレアードに腕をつかまれ、また暴れ始めていた。
まるで派手な親子喧嘩のようにも見えるのだが、近づけば死ぬのは間違いなくこちらだろう。
不死王フォルティスは、動かないこちらのほうを黙ってながめているようだった。要するに、攻撃を仕掛けなければ……彼は動かないでいてくれる。しかし、ソレアードもそれほど長くはもたないだろう。彼自身が本気で母を討つつもりであるなら、おそらく父王も止めるのだろうが、彼にその気はない。
そして、ユーナもまた、不死王ソレアードに父殺しや母殺しをさせる気はなかった。
指示を伝えると、アデライールは了承するように短く鳴いた。『聖なる炎の御使い』が王都イウリオスにて、あの熱病を対処するためにどのように
「――いいの? アデラ。
朱金の鳥は、黙って頭を主の頬に触れさせた。
甘えるように身を寄せる不死鳥幼生に、ユーナは口ごもる。そして、マルドギールをにぎった手の背で、その身体を撫でた。
祈るように、
「王家の霊廟に、安らぎと眠りを。
二度ともう、熱病に脅かされるひとが出ないように――」
そして、マルドギールを不死王フォルティスへと向け、不死鳥幼生の乗る腕を掲げる。
「これで、終わりにしよう!」
朱金の鳥が飛び立つ。
合わせて、
満足げに、不死王フォルティスは笑む。
虚ろのまなざしが、
ユーナは唇を噛んだ。
その身体を、地狼の尾が撫でる。
マルドギールをにぎった手の力を強め、ユーナはその背にもう片方の手を掛けた。
紫水晶の瞳は、ただ、その時を待った。
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