第334話 師匠と呼ぶなってば


 どんな妄想をしていたら、職場にいる女の子がゲーム世界で自分を師匠と慕って付きまとっていることに気づけるんだ?


 責められている自覚はある真尋ペルソナだったが、未だにことばは出なかった。

 芽衣ソルシエールは深くため息をついた。気持ちを落ちつかせるためだと、見ただけでわかる。そして、まっすぐに真尋ペルソナをにらむ。


「鈍すぎませんか!? 師匠!」


 どうコメントしろと?

 真尋は絶句したまま、彼女を見返す。

 

「え、えええっ!? ソルちゃん!!? うっそー!」

「ふふふふふ」


 驚愕の声を上げる柊子アシュアに、含み笑いを洩らしながら日和エスタトゥーアが首筋の髪を払い、誇らしげに言う。


「おどろかせるのはあなたの専売特許ではありませんよ」

「って、エスタ知ってたの?」

「ついさっき」

「知らなかったんじゃないの!」」


 その会話で、真尋ペルソナ日和エスタトゥーアすらも芽衣ソルシエールのことに気づかず連れてきたのかと理解した。だからどうだという問題ではあるが。

 日和エスタトゥーア結名ユーナの腕を引き寄せ、もう一度念押しした。


「というわけで、わたくしたちは準備してまいりますので。ソルシエールさん、ペルソナを逃がさないように」

「はい!」

「そこ、うなずくなよ……」


 両手ににぎりこぶしを作ってうなずく芽衣ソルシエールに、ついに真尋ペルソナは天を仰いだ。日和エスタトゥーア結名ユーナとともに、キャリーを引きつつコスプレ受付へ急ぐ。

 どこかの不死伯爵のごとく肩をふるわせる颯一郎セルヴァへと視線を流し、真尋ペルソナは小さく息をつく。颯一郎セルヴァは楽しげに口を開いた。


「むしろ、こっちが年貢の納め時?」

「俺、帰る」

「ダメですー!」


 自身の腕へとからむ、細い、腕。とっさに振り払おうとしたのは、むしろ条件反射だった。それは幻界ヴェルト・ラーイなら絶対に振り払えないゆえのものだったが、ここは――現実リアルだった。

 あっけなく、その手が離れていく。そして、勢いがついたのか、芽衣ソルシエールはふらつき、背後の壁に背を軽く触れさせた。

 互いに、その事実に目をみはる。


「何やってんの!」


 柊子アシュアの、本気の怒鳴り声が響く。

 真尋ペルソナはあわてて駆け寄り、その手を取った。


「悪い! 怪我してないか?」

「……はい」


 俯きがちに呆然としていた芽衣ソルシエールは、にぎられた手からゆっくりと真尋ペルソナへと視線を上げる。その表情が、崩れた。それは苦笑だった。


「まさか、振り払われるとか、思わなくて。

 そうですよね。ここ、リアルでした」

「ああ、うん、リアルだよな……」


 その事実の重さをあらためて口にするふたりへ、柊子アシュアは肩をすくめる。


「今更、何言ってるの? あー、もう、ホント怪我ない? だいじょうぶ?」

「ええ、だいじょうぶです」


 芽衣ソルシエールが壁から背を離すと、真尋ペルソナもまたその手を離した。柊子は軽く芽衣ソルシエールの背を払う。

 周囲にいつのまにか走っていた沈黙が、それをきっかけに破れる。ざわめきを取り戻していくようすに、皓星シリウスは安堵した。騒ぎにならずに済んで、よかった。


「あんまりふざけるなよ。ゲームショウ開始前に退場させられるぞ」

「悪い」

「すみません」


 大の大人ふたりがまともに学生から注意を受けているさまは、なかなかシュールだった。

 拓海シャンレンは氷解した緊迫感に、皓星シリウスの袖を引く。


「まあまあ、師弟のじゃれ合いですから」


 真尋ペルソナの眉間にしわが寄るのを見つけ、柊子アシュアは指先で軽く弾いた。


「もう……まあ、同じ職場じゃあね。おどろくのも無理ないかしら。

 それにしても、ソルちゃん、よくペルソナってわかったわね」


 そのやり取りに顔をしかめていたのは芽衣ソルシエールも同じなのだが、柊子アシュアはそれには気づかず、たずねる。

 問いかけに、芽衣ソルシエールは少し押し黙り……だが、柊子アシュアが話題を変えようとするより早く、口を開いた。


「あたしが気づいたの、アシュアさんが来たからなんです、けど」

「私!? ……あー、チケット渡しに行った時? え、でも、別に……何も……」


 自身のせいかと困惑する柊子アシュアに、真尋ペルソナはかぶりを振る。

 思い当たる節があるなら、自分のほうだ。


「アーシュのせいじゃないって。……あれだよ」

「何よ?」


 はぁ、と気を落とす柊子アシュアに、わずかにことばを迷う。身長差で上目遣いになる彼女を見下ろし、しかし、結局真尋ペルソナは自白した。


「あー……アーシュの、名前、呼んだんだよな……」

「アンタのせいじゃないのー!」


 スパアアン!と、景気よく柊子アシュアのハンドバッグがうなりを上げる。

 遠くで舌打ちが聞こえた。無関係な観客のうち、孤独を自覚した者が不満を訴えている。拓海シャンレンは内心合掌した。


「そうですよ。師匠が呼んじゃうから、気づいちゃったんですー」

「自業自得! ソルちゃんはそれで気になって?」

「……はい」

「そっかー」


 何となく、見た目的には柊子アシュアのほうが年上に見えてしまう落ちつきぶりだ。拓海シャンレンは空気をここは読むべきだと判断した。真尋ペルソナには逃げ場がないほうがいいだろう。


「姐さん、ペルソナさんたちの連絡先、わかるんですよね?」

「まあね」

「じゃあ、ごいっしょしていただけますか? チケットについてわかり次第、連絡するということで」

「え、皆で行けば……」

「ユーナさんやエスタトゥーアさんと入れちがいになると困りますから」

「あ、僕も……」


 さりげなく颯一郎セルヴァも逃げ腰である。

 芽衣ソルシエール真尋ペルソナを見る。あきらめがついたのか、彼はうなずいた。


「わかった。俺とソルはここで」

「助かります。では」


 見事な仕切りで、拓海シャンレンは残りのメンバーを率いて去っていく。




 ふたりきりになり、芽衣ソルシエールはあらためて頭を下げた。


「すみません、古賀さん……」

「あー……とりあえず、ゲームショウここでそれはやめで」


 現実リアルな名前を呼ぶことに注意を受け、芽衣ソルシエールは困ったように笑う。


「じゃあ、師匠?」

「それは幻界あっちでもやめろって言ってるし」

「でも、あたしにとってはやっぱり師匠なんです。実は、現実リアルでも……おぼえてますか?」


 芽衣が初めて配属された時、窓口対応の説明をしたのは、実は真尋だった。

 全体説明は日和が担当したのだが、個別対応は半年だけ先輩にあたる真尋が自分の確認にもなるからと請け負ってくれたのである。彼がペルソナだと知ってから、結局職場で会うのは苦しくて……二日にはもう休みをもらってしまったほどだった。

 そして、幻界ヴェルト・ラーイでリアルなことを訊くわけにもいかず、このチャンスにすがったのだ。絶対始発で!と心に決めて、昨夜は幻界ヴェルト・ラーイにもログインしなかった。よく眠れたかと聞かれれば、コンシーラーがいい仕事をしてくれましたと答えるレベルだが。


 訥々とそんな思い出話を語る中、真尋は口を挟まなかった。

 ただ、反応がないな、と芽衣ががっかりしてことばを途切れさせた時、彼はまた息をついた。


「――おぼえてるけど?」


 だから何?とでも続きそうな声音に、芽衣は視線を落とす。単に、どちらでもお世話になっております、と他人行儀なあいさつをしにきたわけではない。

 幻界ヴェルト・ラーイでは、同じ結盟クランに所属することになる前から、そこそこ仲良くなってきたつもりだった。そっけないのは単なる地で、他意はないと知っている。疎ましいと思われていたとしても、基本的に面倒見が良い彼はちゃんとこちらに目を向けてくれる。


 嫌われてはいない、と思いたかった。

 だから、一歩踏み出せば、きっといい意味で何かが変わると信じたかった。


「――あたし、ずっと師匠を守りたかったんです。えと、それくらい強くなりたかった、というか」


 思いっきり眉間に皺が寄っている真尋ペルソナへ、言い直す。


「紅蓮の仮面、手に入れてから……師匠、炎特化じゃないですか。回避にも振らないし、ひたすら知力特化で、火力はあるけど防御は紙で」


 前に出て戦えるようになるために、雷魔術だけではなく、体術を合わせた。

 術式を連発して打ち出せるように、体術だけではなく投刃を取り、細工師の中でも彫金を選んだ。

 MPが切れた彼が、真っ青な顔で倒れている姿を見て……MP譲渡のスキルを選択した。


 どれもこれもが師匠ペルソナを追いかけて選んだものばかりで、だからこそ、同じパーティーに、同じ結盟クランに所属できるようになって本当にうれしかった。


「紙……まあ、守備はな。ただ、守られなければならないほど、弱くはないつもりだが?」

「そうですけど!」


 バージョン1.0という前提が必要だが、彼は1.1に上がるまで、最高の炎の魔術師だったことは確かだ。炎魔術は雷魔術ほどではないが、初級であれば発動も早い。

 今、バージョン1.1となり、レベルキャップが解放され、一斉に廃人たちがレベル上げを開始したために、おそらく彼の上を行く魔術師も出ているだろう。それでも、彼自身の炎魔術は、特別な戦利品スーパー・レア・ドロップである紅蓮の仮面の効果で、10%の攻撃力増が約束されている。同じレベルでさえあれば、彼に並ぶ炎の魔術師はいない。もっとも、装備品による優位のために、上位互換の装備が出てしまえば崩れてしまう代物ではある。


 それでも。

 芽衣ソルシエールは断言した。


「師匠は、最強の炎の魔術師です」


 きっぱりと言い放つ芽衣ソルシエールのことばから――真尋ペルソナはただ、視線を逸らした。


「お前なあ、俺がいなくても強いだろう? まあ、物理的に言えばじゅうぶん俺より強いし」


 それは紅蓮の魔術師ペルソナのことばだった。


「もう、王都にたどりついたんだ。俺のことなんて気にせず、やりたいことをやればいいんじゃないか? 大聖堂に潜り込んだ時みたいに」


 やっぱり伝わらない。

 芽衣ソルシエールは、その事実を痛切に感じ取っていた。自分がやりたいことをやらずして、何がゲームだ。だからこそ、最初からあたしは、ずっとずっと。

 彼の防御力はエスタトゥーアによる術衣の護りのみ、と言っても過言ではない。誰かが前に出れば、彼の攻撃に合うスタイルで間合いを取れば、それだけで戦いの在り方は変わる。

 その温度差には気づいていた。彼自身は……一度もを望んだことはなかったから。


「で、いいかげんさ、本当に師匠は卒業しろよ。お前といっしょに戦えば楽なのも、火力が出るのもわかってる。それは、俺が師匠だからじゃないだろう? ソルシエール」


 ふと。

 何かが、ひっかかった。


 あきらめの中、拒絶を聞いていたつもりだったはずなのに。

 芽衣ソルシエールが見上げた先には、まっすぐなまなざしがあった。


「お前がいたからだよ。

 ソルシエールがサポートに入ってくれるから、俺も全力を出せるんだよ。ソルの力だろ、それ。そこんとこさ、わかれよ」


 はーっとため息をついて、身体を折って俯く。

 芽衣ソルシエールは、その背中を見て……頬を、赤らめた。


 師弟ではなく、対等な相手としてと。

 ――彼女もまた、ようやく気づいたのである。

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