第318話 父と子

 マルドギールをかまえる主の姿に、地狼もまた心を添わせるべく身構えた。スキルがなくとも、彼女の決意はその声音からわかる。

 ルーキスを止めなければならない。

 傷つけられない以上、それしか手段はなかった。

 奮い立つ地狼同様に、不死鳥幼生は拳をにぎった。その小さな指に、ぴたりと指輪ははまっている。魔術具として、持ち主に合う形に変化したようだ。指よりもよほど大きな宝玉が拳の上にくっついているように見えた。だが、そこにあるものは己の力のかけらではあったが、想像よりもその力の大半を失っている代物だった。もともと老い衰えていた自分の、最後の力のかけらともいうべきものだ。

 不死鳥フェニーチェの宝珠と呼ばれ讃えられたものは国を守り、長い年月を経て不死王の手にあった。ほかならぬユーナたちのためにその力を揮い、今ようやく戻ったとしても……残ったものなどたかが知れている。それでも、人という器であっても扱える形に設えているために、幼生である自身の力よりはよほど扱いやすいことが救いだろうか。


 ――今なら……不死王フォルティスであってもおそらく、白炎ブランカに包み込める。

 その確信が胸を満たす。従魔シムレースとして在るべき思考は、ただ敵を倒すほうへと意識が向く。ただ、彼女の本来の心が、それを拒んだ。


 見逃す。かまわず倒せ。

 そう伝える不死王の心もまたそこにあるのだ。


 不死王フォルティスは剣を下ろした。

 力が抜けたようにぶら下げられた剣先は、軽く床に触れ異音を放つ。


「――姫よ」


 王の呼びかけに、自動人形黒銀の人形が動く。方天画戟ガウェディガイスが引かれ、自身の胸に手を置き膝を折る。


「こちらへ」


 差し出された手首から先のない腕に誘われ、ルーキスは立ち上がり――進もうとする先に、それは撃ち放たれた。


「――風爆矢フラゴール・フレッチャー!」


 父と子を、ともに歩ませるわけにはいかない。

 その決意は、ユーナだけのものではなかった。

 黄金の狩人フィニア・フィニスの一撃は、失われた腕へと着弾し、その闇に融けた腕を更に削った。生み出された爆風と火炎は、不死王フォルティスへとダメージを与える。

 ルーキスの反応は早かった。駆け出した足、振りかぶった方天画戟は迷わず攻撃したフィニア・フィニスへと向く。


防御ディフェンシオ!」


 盾士セルウスは己の姫の前に大盾をかまえ、盾術を叫ぶ。

 そのスキルと膂力の前であっても、彼は耐えた。直撃の瞬間、方天画戟の刃は弾かれ、ルーキスは大きくその身を下げる。


 不死王フォルティスは床に膝をつき、燃やされていく自らの一部を見つめた。まるで屍蝋のように火を灯す自身の肉体は、不死者アンデッドである事実を焼き印のように思い知らせる。不死王フォルティスは、無造作に燃えている部分を切り落とした。


「失くさないとさ、わかんないもんだって」


 燃える腕の端を見ながら。

 ぽつりと、剣士は言う。

 剣をかまえたまま、彼は最初の一撃以外に不死王へ刃を向けなかった。それは、遠い昔の己と、不死王フォルティスの今が重なったためだ。


 もう死なないでと口にしながら、先に逝ってしまったのはあいつだった。

 いつもそばにあって、大事だと思っていて、それが失われるとわかっていながら、そのまま手放した。二度と手に入らないことなんてわかっていたのに、ただ絶望して嘆いて喚いて。


「けどさ、王さま。あんたは会えたからいいだろ? ルーキスも、オルトゥスも喜んでた。それをさ、しばりつけて、笑顔なくして何の意味がある? それこそ本当に、物言わぬ人形がらくたでもいいのかよ」


 剣士の問いかけに、不死王は何も答えられなかった。


「――陛下!」


 愕然と己を呼ぶ声は届く。

 フォルティス王は嗤う。


「否、アークエルドよ。この場におるのは未練がましい死霊であり、王の誇りなどとうに失いし老いぼれよ。父としても我が子の未来を幾度も見誤り、今また……過ちを犯そうとしておるのだ」


 床に落ち、未だに炎を宿す自らのかけらを見下ろし、不死王フォルティスは自嘲する。


「父上は誤ったことなど一度たりともございません。おことばを慎まれますよう」


 その耳に、なつかしい響きが届く。虚ろのまなざしが向く。

 輝かしい未来を残したかった彼の自慢の王子が、今は同じ不死王となり、その場に立っていた。しかも、その手ににぎりしめているのは――双子姫の片割れである。


「ととさま……? ルーキス、ダメ!」


 白銀の髪と、その呼び声に。

 不死王フォルティスは、自らの術が完全に破られたと知った。


 自らの片割れのもとへ駆け出そうとしたオルトゥスを、母が止める。その手に彼女の鎖鎌クラモアの分かたれた鎌と鎖を持ち、重ねた。少し息切れしながら、エスタトゥーアはそれでも口を開く。


「今のルーキスは、あなたのことさえわからないかもしれません。方天画戟ガウェディガイスの、攻撃範囲はわかりますね?」


 オルトゥスはうなずく。銀色のまなざしはしかと母を見上げ、意思の光を宿していた。


「ルーキスを、止めなさい。オルトゥス」

「はい、かぁさま!」


 右手に鎌を。

 左手に鎖を。

 人形遣いに応え、自動人形は武器をにぎり、魂の片割れへと向き直った。

 黒銀の自動人形は、盾士の盾を打ち壊そうとすべく動いていた。その間隙を狙う。方天画戟の刃と、自身の鎖鎌の刃を合わせ、しかしその身を誰よりも互いに近づけて、オルトゥスは耳元へ囁く。


「ルーキス――起きて……!」


 金の双眸は、揺らがない。




 ソレアードは父王の手元を見、目を伏せた。

 それは、自身がかつて、父王のために用意した一振りだ。闇を祓えるようにと刀身以外を銀細工で作り上げた一品が、逆に闇に染まっている。

 以前まみえた時とは全く異なる様相と、その毒々しい赤に……自分もああだったのかと、苦い思いが胸に圧し掛かった。


「父上は、この闇の中であっても私を教え諭し導こうとなさっておいででした。王として欠いているとすれば、このソレアードにございます」


 視線を上げると、失われた父の腕がはっきりと見えた。そこにはかつて、赤の宝玉のはまった手があった。おばばさまが不死鳥フェニーチェとして蘇り、その宝玉を求めていると聞かされれば……父王が腕を失い、武器を手にしているにも関わらず戦わない理由も見えてくる。不死王ノーライフ・キングとしての本性が戦いを求める一方、その本性を歪ませるほどの自制心で父王は立っているのだ。


「本来ならば、おばばさまにこそお渡しすべきだった宝玉を、知らぬとはいえ父上の泉下への助けに用意したのも私です。そして、父上を不死者アンデッドたらしめたもの、この不出来な息子の所業……」


 ソレアードはその場に跪いた。

 父王と、その王子として。

 遠い日には、玉座の前で同じように膝を折ったことを思い出す。


「お許し下さい、父上。そして今後はどうか、フェリーシュの祖霊の一員として、ともに王家の霊廟を守りましょうぞ」


 頭を垂れ、希う息子の姿を。

 父王は虚ろのまなざしで以て、見つめていた。

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