第317話 父の苦悩


 墓室へと放り込まれた火炎球は、不死王フォルティスを直撃した。光熱が撒き散らされる中、それでも紅蓮の魔術師は目を凝らす。朱殷の瞳は炎の照り返しを受け、その色を明るくしていた。


 反撃がない。


 静かに、その事実を受け入れる。

 不死王フォルティスの言が、重く胸に圧し掛かった。本気なのだ。双子姫と引き換えであるならば、不死鳥の宝珠を渡し、残りの面々を無事に地上へ戻す。フォルティス王の自制心が、クエストボスとしての戦闘を回避する動きを起こさせている。だが、ダメージを受けてなお、どこまでその自制心が持つか。


 双子姫を置いていく選択肢がないこちらにとって、その自制心こそがチャンスだった。

 双子姫がいないうちに、削れるだけ削る。あわよくば――倒す。

 この通路の奥には、もうひとりの不死王ソレアードの墓室がある。双子姫が不死王ソレアードを連れて戻る前に不死王フォルティスを倒すことができれば、こちらの勝機が増す。


 炎に炙られ、不死王フォルティスは墓室の奥へと少し下がっている。不死者アンデッドであるなら炎属性は弱点のひとつだが、聖属性ほどではない。失われた側の腕で受け止めたのか、腐食しかかっていた衣装の左側の焦げ跡がひどかった。焦げたくらいで済むのは、さすが不死王と称えるべきか。


 そして、紅蓮の魔術師はもうひとつの事実にも気づいた。

 倒すという意思を固めている紅蓮の魔術師と、周囲の面々との温度差だ。

 不死王フォルティスがどれほどのダメージを受けたのか、冷静に見定めることができるほどの時間が経過してもなお、追撃がない。


「――なぜ戦わぬ?」


 疑問は、よりにもよって相手クエストボスから発された。

 前衛として、墓室の入り口に陣取るシリウスですらも、その剣をかまえたまま内部へ踏み出そうとしない。盾士は大盾を黄金の狩人の前で持ち、自身が姫と呼ぶ存在へと意識を向けた。前衛であるがゆえに、彼らもまた反撃がなかったことを理解している。不死王フォルティスとの浅からぬ縁は記憶に新しく、かつて己の息子を止めるためにどれほど尽力してくれたのかを忘れていなかった。


 不死鳥の宝珠を得られれば、これ以上戦う理由はない。

 だが、双子姫はどうなるのか。

 紅蓮の魔術師の言う通り……不死王フォルティスを倒すまで、彼女たちが戻ることはないのか。


 黄金の狩人フィニア・フィニスの中に渦巻く感情は、その腰にある十字弓アーバレストの引き金を重くさせるものだった。


「ルーキスとオルトゥスを解放せよ」


 不死鳥幼生アデライールは、幼女そのものの声を厳かに響かせた。不死鳥フェニーチェの宝珠を指にはめ、金の双眸とともに魔力光セヘル・フォスによってきらめかせながら、その手を不死王フォルティスへと掲げて見せた。


「なぜじゃ、フォルティス王。手元に置いておきたければ、最初から委ねねばよかったものを。日射しを知った者が闇に囚われればどれほどの苦痛を味わうのか、そなたほど知る者もおるまいに」


 不死王フォルティスは自身の石棺へと虚ろのまなざしを向けた。

 残る腕をそちらに伸ばすと、蓋の開いた棺から何かが飛び出し……にぎられる。銀の鞘、銀の柄はその手ににぎられたとたん、黒に染まった。軽く振るうだけで鞘は床に落ち、その銀色の刀身を露出させる。


「この墓室の扉を開けば狂わずにはおれぬ。それを知りながら、神官殿が扉を開くまでその意を理解していなかったのは我が罪であろう。

 ――姫に己のむくろを見せぬため、不死者アンデッドとして目覚めし後はこの墓室に戻らずにいたのだが……」


 魔力光に晒された刀身は、変色も腐食もしていない。

 それを鑑定するかのように掲げ持ち、不死王フォルティスはことばを途切れさせた。その口元が、ぎりっと音を立てる。悲哀を感じさせていた立ち姿が、怒りに満ちる。

 地狼はそれと同時に、通路の奥へと向く。ユーナは視線でその動きを追い、近づく足音に気づいた。


「あの姿を見て正気でいられるものか――!

 何と愚かしい父であったことか。闇から解き放ったつもりでいながら、ただ見たくないものを見なかっただけではないか! 苦しい思いをさせたいわけではなかったのだ、許せ……」


 嗚咽の混じった叫びが、うめきが。

 不死鳥フェニーチェの宝珠を求めたがゆえ、狂気と苦悩を満たして発された。


 黒銀の髪を振り乱し、ルーキスが姿を見せる。その手には方天画戟ガウェディガイスをにぎったまま、彼女は走っていた。明らかに穂先が振りかぶるように動く。ユーナは壁面から離れるために地狼の背を押す。そしてマルドギールで受け止めるべく駆け出そうとしたが、地狼の動きのほうが早かった。

 ルーキスは駆け抜けざまに方天画戟ガウェディガイスを振るう。

 それは――父王を攻撃した紅蓮の魔術師を狙っていた。


「グァゥ!」


 地狼が、ルーキスの横合いから突撃する。

 速度の乗った一撃は体当たりによって防がれ、二つの身体は反対側の通路の壁へと激突した。小柄でありながら、自動人形オートマートスの身体の重量は相当なものである。通路の壁面を陥没させながら、ルーキスはそれでも地狼を蹴り飛ばし、身を起こす。

 ただの一蹴り。それでも地狼のHPバーは瞬時にごっそり削られていた。痛みに耐えながら、地狼もまた見事に着地してみせる。


 しかし。

 その穂先を完全に防いだわけではなかった。


 背中の一部が刃にかかり、紅蓮の魔術師はその名と同じ術衣を己の鮮血で染めていた。本来の杖の使い方の通り、自らの身体を支えるべく地につき、反対側の手で傷口を撫でる。ぬるりとした濡れた感触に、かすり傷というには深いと悟った。己のHPバーの色合いが早々と色を変えたのを見て、道具袋インベントリから直接回復薬ポーションの使用を選択した。血が止まり、痛みが和らぎ、HPバーの色も戻る。それでも完治には遠い。

 地狼が体当たりをしていなければ、自分の首は落ちていただろう。

 短く息を吐き、濡れた指先を……付着した血を、己の術衣の裾で拭い取る。そして、紅蓮の魔術師は術杖をかまえ直した。


「こんな……っ」


 ユーナは耐えられなかった。

 金色のグラスアイは、心を映すことなくただそこに在るだけだ。

 黒に染まった銀色の髪は、彼の王の手にある剣と同じものに思えた。


「こんなところに残したら、どうなるか……また、真っ暗な中で、今度は笑うこともできないで……いつか、他のプレイヤーがやってくるのに!」


 父王のそばで。

 幼子の死霊でいたなら、何も起こらなかった?


 否。


 王家の霊廟が存在する限り、いつか必ずプレイヤーは訪れる。

 そこにクエストがあるのなら、必ずだ。


 その時、不死王の傍に立つ自動人形を……彼らならどうするだろうか。

 その先の悲劇しか、ユーナには見えなかった。


「ルーキスも、オルトゥスも、連れて帰ります!

 だってもう、この子たちの家はここじゃない。一角獣の酒場バール・アインホルンなんだから!」


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