第206話 閑話 とある交易商の、儲からない上に長く忙しい一日 前編


 バージョンアップの朝は、おだやかに始まらなかった。

 ログアウトしていた宿は商人ギルド御用達の宿である。当然、食堂には多くの商人が居並び、食事や酒とともに会話を弾ませる。情報収集先としては十分すぎた。

 だが、シャンレンは朝食を注文するついでに、宿屋の主人に……問いかけるよりも早く、注意を受けた。


「王家の霊廟から、死霊が出たそうだ」


 王家の霊廟に封じられている死霊が、その周辺に姿を見せた。

 それを、聖騎士が撃退した。

 王都の北には行くな、夜は出回るな。


 口頭でさらっと受けた説明を、くわしく知りたければと宿の掲示板を示された。

 注意書きが事細かに記載された紙が、そこに掲示されている。大神殿からの触れ書きの写しのようで、武骨だがしっかりとした幻界文字で大きめに書かれていた。一読して席に戻ると、既に注文の品が並べられていた。さすが商人御用達、仕事が早い。


 バージョンアップ初日の騒動である。これはクエストだろうと思っていたら、どうやらクエストはクエストでも、発端は不死伯爵のようだった。一通り話を聞き、別行動の了承を得る。


 今日はさすがに外せない、大事な金策の日である。

 例の、結盟の館クラン・ハウスとして目をつけている物件は複数あった。バージョンアップ直前まで空き物件を見て回った成果である。ある程度、クランメンバーとなる予定の者からも希望を聞いた上で物件を探したのだが……最大の問題は購入、もしくは賃貸の費用だった。

 やはり、王都は物価が高い上に、不動産も高い。いくばくかはクランメンバー予定者からも入会費用という形で協力金カンパ前払いして納めてもらっているが、どう考えても足りない。それでようやく、希望するレベルの賃貸物件を借りることが可能、という程度だ。王都の物件、恐るべし。

 なお、それが判明した時点で、エスタトゥーアは鍛冶ギルドで缶詰めになった。いくつかの武器を制作し、金策に走ることにしたのである。背に腹は代えられない、ということで、それを名だたる攻略パーティーに売り込み、資金調達することになっていた。窓口はすべてシャンレンである。メンテ中に外部サイトでのオークションを行なったのだが、どれも途方もない値段がついている。特に聖属性木材イレックスと銀、そしてMVPの報酬にもなっている宝珠を組み合わせた法杖が目玉商品となった。アシュアが使っているものよりはランクが少し落ちるのだが、彼女の法杖の制作者である旨を付け加えたことにより宣伝効果としては抜群だったようだ。

 その取引が、バージョンアップ直後の、本日なのだ。

 本来はもっと多くの武器を作成することも可能だったはずだが……あいにく、エスタトゥーアとアシュアの友情の結晶とも言うべき、「白の媒介アルバ・カタリスト」に惜しげもなく一角獣アインホルンの中核メンバーは魔石を提供していたので、素材が足りなかった。もっとも、同じように惜しげもなくそれをホルドルディール戦でアシュアが使いまくったので、今後「白の媒介アルバ・カタリスト」のためにも素材を集めなければならない状況にある……のは余談である。


 取引場所は、王都の商人ギルド。

 いっさいの不正と詐欺と暴力的解決を許さない、銀行窓口の前である。ある一定のギルドランクを持つギルドメンバー以外は利用不可能だが、商人ギルドであるこちらは無制限に現金を預かってもらうことが可能になっていた。もちろん、若干の手数料はかかるが、これ以上安全な預け先はない。


「お買い上げ、まことにありがとうございます」


 代金を受け取り、確かに全額そろっていることを確認すると、にっこりとシャンレンはいつもの営業スマイルを浮かべた。

 そして、「眠る現実ドルミーレス」リーダーである重戦士ラスティンへと、商品である武器三本を引き渡し、礼を述べる。ラスティンのとなりには、神官ウィルもいた。どちらも、鬱々たる表情である。この武器三本のために、彼らは結盟の館クランハウスを賃貸で借りることになっていた。こちらはこちらで、背に腹は代えられないの別バージョンである。


「とてもすばらしいお取引でした。機会がありましたら、ぜひ、またよろしくお願いいたします」

「もう当分無理だからな!」

「おやおや」


 それは残念、と言わんばかりにシャンレンは表情を曇らせた。もちろん、演技である。

 心底悔しそうに、ラスティンは交易商シャンレンを見る。


一角獣アインホルンめ、マジで職人囲い込んでやがるとは……」

「うちのクランマスターになる予定の方ですから、どうぞごひいきに」

「本当に、いい腕ですねー」


 神官ウィルはとてもうれしそうに法杖を握る。彼が手にしたものもまた、アシュアの法杖と同じく、頭部に緑の宝珠が嵌め込まれた、美しい流線形フォルムの一品である。この一本のために、全滅後に貯め込んだ財貨だけでは足りず、パーティーメンバーに借金までしたそうだ。それでも、命には代えられない。

 片手剣も、槍も、時間がない割にエスタトゥーアのこだわりが輝く一品となった。それはそのまま攻撃力の数字になって表れている。片手剣はラスティンが使うそうで、槍はここにはいないメンバーが落札したようだ。


「これだけの金銭かねを集めるってことは、そっちは購入か?」

「そのほうが、改築しやすいですからね」


 シャンレンの満面の笑みに、訊くんじゃなかったとラスティンは肩をすくめた。


「全員まとめて、うちに来てくれりゃあいいのに」

一角獣アインホルンの名を、気に入ってらっしゃるんでしょうね」


 あと、口にはしないが、「眠る現実ドルミーレス」はゲーム廃人の集まりでもある。要するに、現実リアルでは定時から定時まで働いているとか、通学しているわけではない者達の集団なのだ。よって、現実時間リアルタイムの一日のほとんどを幻界ヴェルト・ラーイで過ごしている。ログイン可能時間が圧倒的に異なると、人間関係に影響が出やすい。だからこそ、アシュアも手は貸すが、踏み込もうとはしなかったのだ。


「気が変わったら、いつでも来いって伝えてくれよ」

「ありがとうございます」


 金払いのいい客は大好きである。その場でラスティンたちを見送り、シャンレンはギルド銀行へその大金をすべて預けた。これで予定の購入費用はそろったことになる。多少、相場が前後することもあるだろうが、早い時点で手付金を打てば、回避できるだろう。


 だが、シャンレンの予想をはるかに上回ることが起こってしまった。

 まだ、バージョンアップ初日の午前中である。にもかかわらず、やや安価であった裏通りの物件には手付金を打たれてしまっていた。だいたい賃貸契約ではあったが、それでも手付は手付、金が絡む以上、信義則に反することを商人は嫌う。

 一角獣アインホルンが考えていた結盟の館クランハウス、それは、食堂に酒場のようなカウンターのある宿屋であった。クランメンバーだけではなく、外部の者も気軽に訪れる店を目指したい、と述べたのはエスタトゥーアである。舞姫であるメーアの舞台や、自身の商品を並べる棚があるカウンターはもちろんのこと……何よりも、力を借りたいと願う者へ、力を貸すことができる場にしたいという希望があった。要するに、傭兵業である。

 今の幻界ヴェルト・ラーイにおいて、信用できるのは極論、己のパーティーの者だけだ。結盟クランシステムにより、それは今後クランメンバーへと対象を広げるかもしれないが、理屈は変わらない。だからこそ、互いに結盟クランを越えて、交流できる場を作りたかったのだ。それには、食事のできる酒場が最も出入りしやすく、最適だった。宿のほうは、各人の個室として利用するつもりである。空きがあれば、本当に宿として貸し出すことも考えていた。

 その上で絶対外せない条件は、ギルド街にあること、である。多種多様なギルドがそろう場所は、旅行者プレイヤーの人通りも多い。王都は他の町と異なり、区画によって住民の質が異なるため、ただの住居ならともかく、宿屋ともなれば場所が重要なのである。

 似たようなことを考える者など、無数にいる。一歩先んずるためには行動あるのみ……と知っていたはずだったが、さすがにシャンレンもない袖は振れない。現金を作るほうが先決だったのだから、仕方ないとあきらめることにした。


 気を取り直したところで、彼の視界にメッセージが届く。

 それは……青の神官からの、状況報告兼可及的速やかにという条件付きの現金回収要求、だった。

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