第2話 光
息が痛い、胸が痛い、足が痛い、体中、どこもかしこも、もう、痛い!!
それでも足を止めることはできなかった。既に振り返ることすらできない。真後ろから聞こえる、獣の唸り声が、ユーナを前へと掻き立てた。
「!」
根性を入れて走っていたはずなのに、木の根を避けようと上げた足は高さが足らずにひっかかり、つんのめりかける。もうこけてなんていられない。視界に見えるステータスバーの一番上がもう赤だ。死んでしまう。
リアルさを追求しているということで、この幻界では、HPが半分を切るとバーは緑から黄色になり息切れや、酷い怪我を負った場合にはその部分が重く、動きが悪くなる。徐々に色は赤みを帯び、残り一割を切ると完全に赤に変わる。そしてHP0……黒になれば、意識は残るが、動けなくなる。疲労度にも同じ作用があるが、HPと違って、疲労度は何もしなければ時間経過で勝手に回復する。そして、HPが黄色以下になってしまうと、痛みのせいか、疲労度の回復は相応に遅くなる。もし、死亡した場合、目覚めるための神術やアイテムを使用されないまま一定時間放置されると、所持品がランダムドロップを起こして、体は強制的に始まりの町の神殿に帰還する。
理屈では知っている。
だが、体験なんてしたくない。
立ち止まることなく彼女は耐えて、更に走り出す。疲労度も既に赤、自分でももう体が重くてしょうがない。吠える声と風を感じ、ユーナは身を翻す。
スピードが落ちたユーナの背中を狙うつもりだったのか、その獣が、つい先ほどまでユーナが立っていた場所を抉るように、着地した。その姿を見終わるまでもなく、更に走る。
もう、どこへ逃げたらいいのかもわからなかった。
――怖い。
ねぇ、これってホントにゲームなの?
初心者に対してひどくない?
どこを走っても同じように見える森。
木々はところどころに密集していて、たまに根腐れして倒れていたりして。
月が大きい夜だからか、もう慣れたのか。手に触れられるほど近づけばそこに木があるかどうかはわかるものの、もう何度もぶつかってしまっている。
体中が痛い。
――怖い。
いっそ、立ち止まればいいんじゃない?
何もかも終わり。
「……ぃゃぁ……っ」
目からあふれそうになる涙を腕で拭った時……ユーナはその方向、生い茂った木々の向こうに、月明かりでもない、光を見出した。声にならない喜びが胸に満ちる。その光は、確かに近づくごとに大きくなっていった。が、疲労からか、気が急いたからか、弾みでユーナはまたも足をもつれさせる。地面で膝を擦り、希望が塗り替えられ、絶望が彼女を彩る、その瞬間。
「来たれ
目の前の光景は、まさに奇跡だった。
ユーナに迫った獣の爪は光り輝く何かによって弾かれ、一本の矢が獣の眉間を穿つ。
「
追い打ちをかけるように、炎が宙を駆け、矢を中心にして燃やし尽くした。あれほど唸って追いかけてきていた獣が、無言の躯と成り果て砕け散る。コロコロと転がる牙や爪を、ユーナは呆然と見つめていた。
「あー、痛かったよね。もう大丈夫。わが手に宿れ
赤だったHPバーが、瞬時に緑へと全快する。体中に走っていた痛みがすっかり消え失せ、ユーナはようやく声のほうに目を向けた。
銀色の球体が付いた杖に、差し出された手。目にも鮮やかな青い髪が、肩口で揺れている。反応しないユーナに焦れたのか、女性神官はユーナの腕を取り、立ち上がらせて、服の汚れを払う。
焚き火の炎に照らし出された、己の姿のあまりの酷さに驚いた。
土に汚れ、血に汚れ、擦り切れ、破れ……初期装備の服だが、もう殆ど耐久度がない。思わず溜息をついてしまう。
「服、もうダメみたいね。前に着てた装備あるから、あげるわ」
気軽に言い、彼女は小さな腰のポーチから、何と服を取り出す。視線を向けると「ローブ」と表示され、彼女によく似合いそうな薄い青をしていた。その耐久度はまだ黄色にも届いていない。慌ててユーナは首を振った。
「いえ、そんな……あの、悪いです……」
「ふふっ、じゃあ対価にあれもらうね」
狼の
「……ありがとうございます……っ」
ダメ、みっともない。
俯いて目を擦ると、見慣れない栗色の髪が揺れた。
「泣かない泣かない。運良かったね。初期服よりはこっち、断然性能いいよー。お古だけどごめんね」
やや木陰のほうへ促され、着替えることを勧められる。確かに、このままではひどすぎる。だけど、こんなところで着替えるのも、いろいろ、女の子には都合が悪いのである。
察してくれた神官……頭の上を凝視したらアシュアと表示された……が、男性である弓使いと魔術師に言い放つ。
「男子、回れ右」
号令にサッと後ろに向く。何となく慣れているように見えるのは気のせいだろうか。
これで安心。
心置きなくウィンドウを開き、装備欄で術衣へと着替える。一瞬、真っ白な
「待たせた! ……あ」
未だローブを広げたままのユーナと視線がばっちり合い、その視線が下へと降りていく。彼女の口が悲鳴の形へ変化した。
ひゅんっ!
飛来した石が、その黒衣の男の額をぶち割り、双方のそれ以上の発声を阻害した。悲鳴を飲み込んだユーナは、投擲フォームのままのアシュアを見る。彼女は髪と同じ色の目を据わらせて男を睨んでいたが、ユーナを見ると慌てて着るように、再度笑顔で促したのだった。
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