第105話 歌う少女と、人形遣い
衛兵に捕らえられそうになったら、大銅貨を10枚渡すこと。
クエストが進んだら、必ず連絡を入れること。
森狼とふたりだけでクエストボスに突撃しないこと。
それぞれ、交易商、仮面の魔術師、とんがりぼうしの魔女から、これらのことを念押しされて、ユーナはマールトの街へと繰り出した。『名を上げる』という課題はあるものの、久々の散策に心が弾む。ただ、森狼は普段と違う空気を感じ取っているのか、アンファングやアンテステリオンでは後ろについて歩いていたにもかかわらず、マールトではとなりを歩くようになっていた。熱で揉めたばかりなので、アルタクスなりに気を遣ってくれているのかもしれない。
昨日と打って変わっての青天で、街の様子がよく見えた。建物がそこそこの高さがあり、道路幅がこれまでの町よりもやや狭いのと、午前中の早い時間ということもあって今は日陰が多い。吹き抜けていく風も心地よく、ユーナは機嫌よく先へ進んだ。話に聞いた通り、道行く
アンテステリオンでは街並みに白っぽい石が使われていたが、マールトでは灰色がかった石と漆喰の家が並んでいた。赤茶けた木組みの三角の屋根が乗っており、目にも楽しい。転送門広場はやはり街の中央にあるようで、大通り沿いには商店が目立つ。アンファングよりもやや入口が小さく見えるのは、街の特徴だろうか。ウィンドウショッピングしながら歩いていて、ふと大通りなのにまったく露店が出ていないと気づいた。間接税の高さが影響しているのかもしれない。
とりあえず転送門広場まで行こうと足を進めていると、服飾系の店を見つけた。ちょっとだけと森狼を店先に待たせ、中に入る。表の洗練された印象とは異なり、既製品の服が所狭しと並べられている。その光景にハルデニアの店を思い出していると、若い女性のNPCが「いらっしゃいませ」と愛想よく声を掛けてきた。見て回るような余裕はないので希望を伝えたところ、すぐに「ブラッカス」というホットパンツのような形の脚衣を見せてくれた。身だしなみについて、ずっと気になっていたユーナは、即購入を決める。だが、値段を聞いておどろいた。生地自体はとても小さいものなのに、アンファングで購入した夜着よりも高かったのだ。ちゃんと守備力も上がるのがありがたいし、乙女の恥じらいとしては購入の一択と価格はあきらめたが、マールトではこれ以上の買い物は避けたいなと思った。さっそく試着室でそのまま装備させてもらい、店を出る。
さすがに今の時期、暑さでまいりそうなので、シリウスの外套は片付けていた。足元はカリガのまま、手には穂先に布を巻いたマルドギールをにぎって歩く。
何かが、聞こえた。
遠く、笛の音が、かすかに響く。
ユーナは耳にその音を拾い、誘われるように足を速めた。
近づくにつれて、笛の音だけではない音……鈴の音と、歌声も聞こえてきた。
その旋律に、胸が高鳴る。
そこには、一人の少女と、一人の女性と、二つの人形がいた。
転送門広場の一角、日時計となるように作られた石造りの小塔の傍で。
白髪の美女が、目を伏せ、笛を口元に寄せ、音楽を奏でていた。
うすい桃色の髪の美しい少女が、左手と右足に鈴をつけ、声も高らかに歌い上げながら舞い踊る。二人の周囲を延々と、掌に乗るほどの小さな二体の人形が回っていた。ここが舞台だよ、と示すように。
まばらではあったが、行き交う
なぜか彼女たちの正面は広々と空いており、ユーナはその特等席へと足を向けた。
――奏でよ 旋律
謳えよ 勲しの歌を
私は舞う 鈴の音と共に
戦い続ける あなたを称えよう
風に煽られ 陽に焼かれ
地に伏して 雨に打たれても
あなたは もう 振り返らない
ためらった私を残して
踏みにじられた涙を
弱さごと振り払って 立ち上がる
そのまっすぐなまなざし 信じてる
先に行って 迷わないで
ここまで歩いてきた軌跡
これからも続く道筋
あなたの足跡が 消えていく
だから 私のことばで 伝えよう
遠ざかる背中を見失ったとしても
この歌が この想いが
いつか あなたに 届くように
私は 歌い続ける 声の限りに――
うすい桃色の髪の少女が、歌の余韻の中でユーナに手を伸ばす。ユーナが一歩、足を踏み出すと同時に、森狼は困惑した。止めるべきかどうか、判断がつかないままで。
その髪の色と同じまなざしに、ユーナはうっとりと目を細めて手を差し出した。ユーナがにぎっていたマルドギールは少女の手に移り、人形が引き取っていく。それは、女性のとなりに音もなく置かれた。
旋律が繰り返す。
歌と、新しい舞いが始まる。
笛の音に合わせて、少女とユーナが踊り出した。同じ旋律、同じ歌、違う舞いに、やがて人垣が新たに築かれていく。
笛の音が、歌声が、ユーナのすべてを包み込んでいく。
腕が、指先が、足が、軽々と旋律に乗って動く。
初めて見た踊りを、少女と写し鏡のように舞う。
人前で踊ることが、こんなに楽しいなんて知らなかった……。
ふわふわとした意識の中で、ユーナは楽しげに舞い踊る。
しかし、唐突にその旋律を、歌を、無粋な誰何の声と観客のざわめきが乱した。
「どけっ、どかんか! 誰だ、歌っているのは!」
転送門広場の奥から、衛兵が数名が彼女たちに向かって駆け寄り、人垣を割ってその目前まで押し入ったのだ。衛兵の中でも、もっとも飾りが多くついている貫頭衣を纏った男が槍を石畳に打ちつけ、声を上げてたずねた。
「そこの者、
音楽が止み、ユーナは、ようやくそこで気づいた。まるで自分もこの二人の仲間であるかのように、舞台のどまんなかに立っていたのだと。
――わたし……何で!?
うろたえるユーナを横目に、白髪の女性が笛から口を離し、綺麗に腰を落として一礼した。
「マールトを治める、偉大なるファーラス男爵にどうか届くようにと、この場で音楽と舞いを奉じさせていただいておりました。失礼がありましたらお詫び申し上げます」
あわてて、うすい桃色の髪の少女も、女性のとなりで腰を落とす。合わせるように人形たちも頭を下げ、そのようすを見て、満足そうに衛兵はうなずいた。
「ほほぅ。なかなかそなたたち、わかっているではないか。よし、ファーラス男爵のお召しである! 疾く領主の館へ参られよ!!」
衛兵はぐるりと舞台であった場所を取り囲む。……ユーナごと。
ユーナは視線を周囲に走らせた。森狼を見ると、すぐに彼は意図を汲み、ユーナの傍へと駆け寄った。衛兵の壁を飛び越えての所業に、悲鳴交じりの驚愕の声が上がる。
「おお、そなたは先日の
門にもいたかような口ぶりで、その衛兵はユーナにほがらかに声を掛けた。それだけで場が静まり、ゆっくりと集団は領主の館に向かって歩き始める。観客は三々五々散っていった。後ろから衛兵の物言わぬ威圧を受け、ユーナもまた続く。
「……あなたも、マールトのクエスト、まだだったんだね。ちょうどいい」
少し歩みの速度を落とし、うすい桃色の髪の少女――メーアはユーナにささやいた。その手にはマルドギールがあり、ユーナに向かって差し出してくる。返却されたマルドギールをおどろきながらも受け取り、ユーナは警戒に目を細めた。
その視界に、パーティー加入要請が開く。メーアからのものだった。うすい桃色の髪の少女は周囲へと視線を巡らせた。要するに、ナイショ話だとユーナも悟る。安易なパーティー参加は危険だが、会話を聞かれることでトラブルを誘発する可能性とを秤にかけ、問題があればすぐ抜けようと心に決めて、承諾した。パーティー構成はメーアと、白髪の女性――エスタトゥーア、そして二体の人形であるルーキス、オルトゥスの名が連ねられていた。そこにユーナとアルタクスが加わる形だ。
ユーナはパーティーチャットでたずねた。
「わたしに、何をしたんですか?」
「勝手にひっかかったのはそっちなんだけどね。稀にしか効かないはずの魅了効果にばっちりはまっちゃってたから、せっかくだし、使わせてもらったんだよ。おかげで早く釣れた」
にっこりと綺麗な笑みを浮かべ、メーアは答える。その内容にユーナは唇を噛んだ。さっそく「稀」な状態異常に、これほどたやすく引っかかるとは思わなかった。
「せっかくですから、ご一緒にどうぞ。これで、マールトの転送門開放クエストの受注ができるはずですからね」
その声は前方から発されていた。視線を向けると、エスタトゥーアがこちらを見つめていた。その伏せられていた目が……彼女の色合いがアルビノを思わせるものだと気づく。瞳と同じ色合いの唇が、笑みを佩く。
「どうぞよろしく、
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