第363話 一角獣の酒場

すす清らかな水レケンス・アーグァ!」


 前掛けをしたユーナは、山積みの汚れた調理器具や皿を、片っぱしから清めていた。具体的には、彼女が、というよりも、目の前では小さな人魚が桶の中で水を浴びながら、それらすべてに清めを施している。彼女の手が汚れに向くたび、ひとしずくの水が洗い場に落ちて洗浄していた。

 清めが終わったものは、棚の定位置に戻す。むしろこの作業が、ユーナの出番である。


「さすが水霊ヴァルナー、油汚れひとつ、こげつきひとつ残さずピッカピカですね!」

「洗浄力の高い洗剤っぽいですね、その言い方……」


 そのとなりで鬼のように野菜をみじんぎりにしているのは、交易商シャンレンだった。調理スキルは持っていないはずだが、その手さばきはユーナを凌駕する。既にスープストックはじゅうぶん作ったはずのマールテイトだが、念のために明日の分の仕込みがてらの余分を作成中なのだ。


「精霊術ってのは楽なもんだなあ。まあ、ここは人手が足りねえから、ちょうどいい」


 精霊術による洗浄は、炎の魔術によるパンの温め同様怒られるかと思ったのだが、少々事情が異なっていた。さすがにマールテイトも食材ならば断固として拒否するが、単なる汚れ物ならば喜ぶようだ。その料理の師は外で叩き割ってきた骨を、寸胴鍋に入れて火にかけている。この洗い物の前には、ユーナもその骨の割り方や洗い方について見学していた。このあと、スープの仕込みをもう一度ユーナに見せてくれるそうだ。

 少しでも回転を下げると止まってしまう独楽かのように、料理人マールテイトはひたすら働く。本来の自分の店舗であるなら、このような下準備はすべて弟子の仕事であるにもかかわらずである。何一つ文句は言わず、むしろ鼻歌交じりですらある。

 思わぬ援軍シャンレンの手伝いにより、料理の仕込みは予想より早く終わったものの、開店時間までまだ猶予が残されていた。よって、オーブンで焼き菓子を追加して仕込んでいるかたわらでの作業なのだが、どう見てもついでには見えないレベルだ。


「はい、メーレとセーペのコンカッセ、できました」


 大鍋一つ分、もう刻みつくしてしまった。

 メーレはじゃがいものようなにんじん、セーペはキャベツのようなたまねぎである。先日ユーナも、セーペについては滂沱の涙を流しながら刻んだものだが、シャンレンは至って平気そうだ。


「ふん、やるじゃねえか。っつーか、おまえさんも料理人したらどうだ?」

「いえいえ、私のは趣味ですから」


 調理のスキルマスタリーがレベル2にようやく上がったユーナは、完全に顔負けである。いや、勝つつもりはさらさらないが。


「マールテイトさん、すみません」


 厨房の扉に、エスタトゥーアクランマスターが姿を現した。その憂い顔を、洗い場へナイフとまな板を置いたシャンレンが注視する。


「どうした、マスター」

「まだお時間には早いのですが、お客様が列を作っていらっしゃるようで……」


 頬に手を添え、どうしましょうと途方に暮れるクランマスターを、料理人というよりも強盗のようにマールテイトはにらんだ。


「何だと!? おまえら、まさか俺の名前を出したりしてねえだろうな!!?」

「してませんしてません」


 軽い口調で否定したのはサブマスターシャンレンである。

 洗い場のほうに水を汲んで手を洗い、彼は前掛けで拭うとそのまま外した。外を確認すべく、彼は一足先に断りを入れ、出ていく。

 エスタトゥーアは更に息をついた。


「ギルド案内所の掲示板に、今日の宣伝を載せたくらいなんですが……」

「ドゥジオン・エレイムさまさまですよね」


 ユーナは、満面の笑顔で指摘した。


 皇海ゲームショウでの幻界ヴェルト・ラーイのアトラクションとして、MRユニット『ガーファス』を活用したドゥジオン・エレイムは、大好評のまま終幕を迎えた。その戦いの行方は公式サイトに結果が報じられただけではなく、ゲーム情報サイト「ゲーマーズプレイ」にも名次奏多付きの記事が上がり、バージョンアップ直後の熱気が更に高まるほどの騒動になっていた。

 ほかにも、まったくの無許可ではあるが、動画サイトにはドゥジオンのホールで流されていた映像がそのまま転載され、著作権に基づく削除が追いつかない状態になっていた。

 ドゥジオンのホールの映像は、プレイヤーの顔出しはなく、すべてキャラクターに変換されたものだ。幻界ヴェルト・ラーイにおいて、もともと有名人だった青の神官アシュアだったが、今回はさらに一角獣アインホルン全員が注目を浴びているのである。


 当初から計画していた一角獣の酒場バール・アインホルンの営業だったが、現状ではどう考えてもトラブルしか招かない。捌ききれない依頼に一角獣の酒場バール・アインホルンが潰れる未来しか見えないのである。よって、第一段階「一角獣アインホルンのメンバーが傭兵となり、依頼を果たす」をかっとばし、第二段階へ移ることにした。

 それは、「一角獣アインホルン以外の傭兵登録を、一角獣の酒場バール・アインホルンで行なう」というものだ。

 手順としては、クランマスターとサブマスターのフレンドリストを利用し、傭兵登録を行なうというのが初手だ。次いで、一角獣の酒場バール・アインホルンの営業時間帯に、ふたりのいずれかがログインしている場合、依頼に基づいてマッチングが行なわれる。傭兵側、依頼人側、どちらもその際の注意事項を把握してもらわねばならない。しかし、依頼人には「あらかじめ」ということができないため、本日、初の傭兵登録会と相成ったわけである。


 一角獣の酒場バール・アインホルンの開店初日の今日、料理の下ごしらえを始め、準備は着々と整いつつあった。

 店内には大小の円形のテーブルに、一角獣アインホルンのメンバーが説明役として担当につき、食事を楽しみながら契約を交わすという仕組みだ。

 なお、中間マージンは報酬の一割となっている。レベル十のプレイヤーが依頼人だった場合、大銅貨十枚が報酬となるため、一割の大銅貨一枚が一角獣の酒場バール・アインホルンの取り分だ。傭兵への報酬はレベル二十以上で小銀貨、レベル三十以上で銀貨×レベルという計算になる。その他、手持ちの少ない依頼人のために半額前金制があったり、全滅時には自己責任となり前金は戻らないことや、依頼人を見捨てた場合のペナルティなど、注意事項は山積みである。


「こっちはいつでもかまわんぞ」

「ありがとうございます。

 では、メンバーに確認を取り次第、お客様を中にご案内いたしますね」


 マールテイトの快い返事に安堵の笑みを浮かべ、エスタトゥーアは扉から離れていく。ユーナは最後のスパチュラを片づけて、マールテイトにたずねた。


「あの、わたしも外、見てきていいですか?」

「ん、ああ。どれくらい客がいるのか、頭数だけでいいから教えてくれると助かるな」

「わかりました!」


 ユーナもまた前掛けを外し、洗い場で未だに水浴びを楽しんでいる水霊ヴァルナーへと手を翳した。


「いこ、水霊ヴァルナー。マルドギールは火、お願いね」


 美しい人魚は水を止め、宙でくるりと回転した。虹色にきらめく尾をひるがえして指輪へ戻る。かまどに向かって放たれたことばに、小さく炎が爆ぜた。


 ユーナが厨房の扉をくぐってすぐ、食堂へ早足で飛び出すと、危うく礼服の彼に体当たりし掛けた。片手で銀盆を持ったアズムは、もう片方の腕で彼女を抱きかかえる。その感触はしっかりと骨の腕なのだが、見上げた顔は初老の男性だった。おだやかに笑いじわを刻む彼の表情に、ユーナの頬が朱に染まる。


「おや、だいじょうぶですか?」

「あ、はい……うう、ごめんなさい、アズムさん……」

「いいえ?」


 濃灰色の髪を後ろへ撫でつけ、深い緑色のまなざしはきちんとユーナを見つめている。

 白幻イリディセンシアをまとう骸骨執事から離れつつ、ユーナは照れ隠しに視線を逸らした。


「ほっほっほ。アークエルドよりもアズム殿のほうが、我が主のお好みかのぅ?」

「それは……聞き捨てならぬ」

「な、慣れてないだけだから! もう、ただでさえアズムさんかっこいいのに」


 真っ白のしゃれこうべに、虚ろの眼窩であってもあれほど立ち居振る舞いにそつがないひとである。人間らしくなってもその所作は変わらなかった。

 金属音が響く。不死伯爵の腰の、魔剣ローレアニムスが音を立てたようだった。


「我が君、ユーナ様はおそらくそのおつもりではありませんから、落ちつかれませ」


 多少の人数であれば、双子姫だけでもじゅうぶん食堂ホールの給仕は回せる。そう考えていたのだが、やはり、満席となった場合を想定すると、給仕の手が足りなくなる可能性がある。よって急遽、骸骨執事アズムにも前線へ出てもらうことになった。そのままの姿で出てしまうとお化け屋敷なので、不死鳥幼生アデライールの力により、一時的にだが人間に化けている。不死伯爵アークエルド擬装フェルリトゥルと異なり、服以外の感触はそのまま骨なので、その点だけ注意してもらうことになった。



「うわー、中間前なのに、暗記物とかありえねー」

「姫のおそばにはこのセルウスがずっとついていますからね、だいじょうぶですよ!」

「つーか、オマエいると誰もボクのテーブル来ないんじゃないか?」


 メールで送信されている注意事項を指先でスクロールさせながら、黄金の狩人フィニア・フィニスは椅子にふんぞり返って座っていた。定位置では風の盾士セルウスが胸を叩き、自信満々だ。


「フィニアぁ、中間とかヤなこと思い出させないでよー。うう、勉強しとかなくちゃなあ……」


 シャララララン、と腕にまとわせた鈴を鳴らし、舞台の上で舞姫メーアは悲劇を身体の動きで物語る。親兄弟を失ったかのような、何とも哀しみをあらわにしてうちひしがれるさまは、会話の内容を聞いているユーナでも胸をつくものがあった。

 よって、前向きにアドバイスしてみる。


「ノート見てたら何とかなるんじゃない?」

「そういうのはね、ちゃんと授業受けてるから言えるんだよぉぉぉっ」


 わかる。と言わんばかりに、大きくフィニア・フィニスもうなずいていた。おそらく、メーアとフィニアでは置かれている環境がちがいすぎる気がするのだが、そこはユーナも、事情を知る大人組も指摘しなかった。



 紅蓮の魔術師は、ひとり、窓際のテーブルを陣取っていた。のぞかれてしまうのを防ぐために、今は閉めている。頬杖をついて退屈そうにしているさまを見て、青の神官が指さした。


「あのテーブルって外れなの? 当たりなの?」

「大当たりですよ!」

「だって、どう見ても傭兵登録じゃなくて呪いの相談会受付じゃないの」


 アシュアの問いかけに、即座に答えたのはとなりに座る巫女ソルシエールである。さも当然と言わんばかりだが、神官アシュアは顔をしかめた。


「それでもかまわんが」

「いつ呪術とったんですか!?」


 そのつぶやきを、魔術師ペルソナがごくごく普通に肯定する。まさかと雷の魔女ソルシエールが問えば、速攻で否定が返された。


「とってない。要するに、呪いたい相手の話だろう? ただの愚痴なら聞きなれてる」


 結論は人生相談である。

 おもむろに弓手セルヴァが自席を立ち、紅蓮の魔術師の向かい側に座った。


「どうした?」

「いや、あのさ、なかなか恋に発展するのって難しいよね……」

「ああ……まあ、そうだな……。出逢いがあるだけマシだと、最近は思うようにしてるんだが」


 いきなり二人そろってお通夜のような空気を醸し出し始めた。

 それを聞き、アシュアは首を傾げる。


「故意って、発展するものじゃなくて、結果を意識して行動した場合そうなるんじゃないの? 出遭いたいものかしら、そんなの」

「絶対それ、漢字変換違うよな!?」


 後方のテーブルで繰り広げられている真顔の漫才会話に、シリウスが振り返って突っ込んだ。

 なお、ソルシエールは頬を染め、両手で押さえている。


「出逢いとか、師匠の口から出る日が来るなんて……っ」

「ソル、ペルソナさんに出逢いが多くていいの?」


 赤かった顔がいきなり蒼白に変わる。ユーナは彼女の肩をぽん、と叩き、足を速めた。

 シリウスのテーブルのとなりを通り過ぎ、外へ向かう途中……真新しい長剣の端が通路に出ていることに気づく。


「シリウス、それ危ないよ」

「あ、わりぃ」


 謝罪と共に、あわてて剣帯を引く。シリウスもまた一人でテーブルを担当するのだが、当然、それでも空いているテーブルは目立つ。とりあえず、まずは一角獣のメンバーがいる席についてもらい、それよりも希望者が多い場合には先に食事を楽しんでもらう手はずになっていた。もちろん、楽しめるものは食事だけではない。途中にメーアとエスタトゥーア、そして双子姫の舞台も予定として入っている。

 エスタトゥーアとシャンレンは傭兵登録のためにフリー扱いだが、もうひとり、舞姫メーアもまたステージの出番までは給仕を兼ねる。なお、不死伯爵アークエルドは立派に傭兵登録の説明役であり、逆にユーナは厨房である。不死鳥幼生アデライールはどちらの姿にしても表に立つわけにはいかないため、今回は身を潜めてアークエルドのとなりに座っているつもりのようだ。

 そして、地狼アルタクスはというと。

 いつもなら厨房を出てすぐの場所に鎮座しているのだが、今日は別の役割を与えられていた。


『アルタクス、開けるよー』

【わかった】


 正面の扉をうすく開くと、外のにぎわいが舞い込んできた。ざわめきの中、漆黒の毛並みが揺れる。その鼻先がこちらを向いた。扉の隙間から出ると、ユーナはそれを軽く撫でた。夜の帳は完全に降りているが、街灯だけでなく、随所に魔力光セヘル・フォスが灯っている。その下には多くの旅行者プレイヤーたちが列を成しているのが見えた。


「あ、ユーナ」

「どうかしましたか、ユーナ」

『マールさんが、外にいる人数、知りたいらしくて』


 地狼のそばでは、双子姫が愛想よく列を作っていた。ふたりがユーナに気づくと、その先頭に立つ者もまたこちらを向く。それは、やはり彼である。クラン眠る現実ドルミーレスのリーダー重戦士ラスティンは、軽く手を挙げて声を掛けてきた。


「よぉ、天使!」

「それ、ちがいますー!」


 動画サイトに転載された際、ユーナの背中に生えた朱金のアデライールの翼を見て、新しい二つ名がコメント欄に流れてしまった。ラスティンはユーナの否定を笑い飛ばす。


「まあ、何にせよ、今度雇ってみせるから覚悟しとけよ!」

「あー……ははは」


 もはやユーナも笑ってごまかすしかない。そうしているあいだに、最後尾まで確認してきたのか、シャンレンとエスタトゥーアが戻ってきた。


『だいたい40人くらいですかね』

『開店前でこれですから、時間になればもっと増えるでしょうね』

『では、わたくしが料理人殿にお伝えいたしましょう』

『お願いします、アズムさん』


 クランチャットに響く二人の声音に、中にいる骸骨執事アズムが応えた。確かに、ユーナが戻って告げるよりは早いだろう。任せるが吉である。

 トップ2が戻ってきたのを見て、ラスティンと、同じクランの神官ウィルがそちらを振り向く。


「な、かなりいただろう?」

「ええ、おどろきました。皆さん、今日が傭兵の登録会だとご存知のようでしたから、早めに開始しますね」


 既にラスティンともこの混雑具合について話していたのか、シャンレンは営業スマイルで応えている。

 ユーナはそのやりとりを聞きながら、宿の中に戻ろうとした。立派な鉄製の看板が、軒に吊るされている。一角獣を象った形に、ユーナはあらためて目を奪われた。

 エスタトゥーアの声が響く。


「皆様、お寒い中、長時間に渡りお待たせしてしまい、申し訳ございませんでした。開店予定時刻より少々早いですが、これより順次皆様を店内にご案内いたします。列を乱されませぬよう、前の方に引き続きお進み下さい」


 女性の低音アルトでありながら、エスタトゥーアの声は通りによく響いた。ユーナよりも早く、双子姫が両開きの扉へと手を掛ける。ぐいっと首筋を引かれ、ユーナの身体が宙を舞った。危うく一角獣アインホルンの看板に激突するかと思うほど眼前にまで近づき、そして離れていく。地狼の背に腰が降りると、ユーナは安堵してため息を漏らした。しかし、そんなようすにも待機している旅行者プレイヤーたちから、歓声が上がる。


『いらっしゃいませ、お待たせいたしました!』


 重なる双子姫の愛らしい歓迎の声とともに、その扉は大きく開かれた。美しい姿勢で一礼する双子姫の姿に、誰もが魅入られる。

 開かれた内側の、正面にも美しい舞姫が姿を現していた。そして再度、一角獣の全員から、歓迎が叫ばれた。ユーナもまた、唱和する。


 ――ようこそ、一角獣の酒場バール・アインホルンへ!







幻界のクロスオーバー 完

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幻界のクロスオーバー KAYA @kaya_crossover

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