第362話 また、あの場所で

 最初のスタッフ証でしか開錠できない通路へ入った時。

 開けたままにするために、恭隆は扉を手で押さえ、先に通路へと皆を誘導した。父恭隆の前を通り過ぎようと足を速めると、その声は降ってきた。


「よくがんばったね。結名、かっこよかったなあ」


 弾かれたように結名が顔を向けると、父は満面の笑みで先をうながした。


「そのまま、直進願います。突き当たりの扉はまた私が開きますので」


 お仕事モードに切り替わったのを察し、結名もまたはにかんだように笑い、うなずいて先を急いだ。その後ろに全身筋肉痛で苦しむ皓星が続く。


「あんな感じでさ、幻界ヴェルト・ラーイでもがんばってるんだよ」


 ニッと笑う甥っ子に、お仕事モードは剥がれ落ちた。

 耳打ちするために身を屈め、恭隆は眉をひそめたままささやく。


「びっくりしたよ、本当に。あの騎士とか……いったいどういうことなのか、あとでじっくり話を聞かせてもらうからね」


 本人に聞けばいいのにと思いつつ、皓星は肩をふるわせてうなずいた。笑うと全身に響いてとても痛い。


「お父さん、いてよかったわね」

「全部見られちゃってるっぽいです……」

「怒ってないみたいだし、理解あっていいじゃない」


 恭隆を始め、誰もがスマホのライトを活用し、足元を照らしながら進む。ところどころ非常灯があるが、やはり薄暗い。取材陣はシャットアウトしたのか、ついてきていなかった。そのせいか、思わず奏多も気軽にたずねてしまう。


「へえ、ユーナのお父さんかー……って、ユーナって呼ばれてるの?」

「そこは言わないお約束なんですよ。あなたにもあるでしょう?」

「そうだった」


 舞姫メーアは幻界での仮の姿、その実体は……という下りがぴったりの、名次奏多である。日和からの指摘に肩をすくめ、周囲からは笑いが巻き起こった。

 背後からの会話を内心楽しみながら、恭隆は次々と扉を開いていく。やや回り道になるが、運営スタッフ以外は立ち入れない区域なので、誰ともすれちがわずに済んだ。


 停電という異常事態であるにも関わらず、ほがらかな空気のまま、一角獣は移動していく。

 そして、遂にたどりついた。

 その、最後の扉の前で――恭隆は足を止め、振り向いた。


「この向こうは、ミニコンサート会場の舞台裏になります。関係者以外立ち入り禁止エリアなので、通常の来場者はいません。ですが……」


 断りを入れる意味を察し、奏多はうなずいた。


「じゃあ、私だけ行くよ。みんなはさ、座席のほうに案内してもらって」


 軽く言い放つ彼は、一角獣アインホルンのメンバーを見回して、思わず吹き出した。あまりにも深刻そうな顔で、皆、スマホのライトを灯しているのだ。怖い。


「だいじょうぶだって、ちゃんと歌うし。また夜には会おうよ、一角獣の酒場バール・アインホルンでさ」

「メーア……」


 日和の心配そうな呼びかけに、奏多メーアは微笑んだ。それは、テレビの向こうではなく、幻界ヴェルト・ラーイで見せる彼女のものだ。


一角獣みんなといっしょでよかったよ。まあ、私たちだったから、あんだけ難易度上げられちゃったんだろうけどさ。やっぱり勝ててうれしかったし……うん、みんなとじゃないと、勝てなかったって思う」


 それに、芽衣が大きくうなずいた。


「あたしも! あたしもそう思います! 前のホルドルディールもすっごく強かったけど……今回の、一角獣アインホルンならではだなって」

「まあ、みんなラストは捨て身だったけどねー」

「そこが気に入らないわよね」

「あれは勝てないだろ。ああしないと」

「デス・ペナルティがない理由がそれでしょうね。まあ、勝てば官軍、ですが」


 颯一郎のことばに柊子が眉をひそめ、真尋が息をつくように指摘し、拓海が苦笑する。

 暗い、通路の片隅で。

 一角獣アインホルンのやり取りを聞き、その表情をながめ、結名は「勝った」ということをあらためて噛み締めていた。そして、ここで分かれる仲間を見て、ためらいがちに口を開く。


「歌……」

「あ、ああ、聞こえてた?」

「いきなり歌い出しましたからね、おどろきました」

「エスタもハモってくれたじゃん……」


 既にゲームオーバーとなっていた奏多メーア日和エスタトゥーアの歌声は、まさに魔曲オグロ・ピエッサだった。システムには何の力もない。それでも。


「あの歌のおかげで、勝てた気がするの。ありがとう」


 姿が見えなくても、声が聞こえる。それは、かつてのホルドルディール戦のように、彼女の心にまで響いた。


「やっぱりテンションあがるよな、舞姫メーア楽士エスタのセット」

「よし、ユニット組もう!」

「わたくし、副業禁止ですので」


 皓星もまた結名のことばを肯定し、奏多は即座に日和の手を取った。一瞬で振られている。ぷぅっと唇を尖らせ、奏多は息をついた。


「あーあ……まあいっか、幻界ヴェルト・ラーイなら問題ないし。

 ――すみません、行きます」

「わかりました」


 真顔になり、名次奏多は藤峰恭隆スタッフへ頼む。

 そして、扉は開かれる。舞台裏のざわめきが通路にまで流れ出した。緊迫した気配に、結名は恐怖すら感じた。一斉に、ひとの意識を集めてしまった彼は、「閉めていいですよ」とつぶやいて振り返り、最後に笑顔で手を振る。


「じゃあ、また……幻界ヴェルト・ラーイで!」


 幻界の舞姫は現実の歌い手として、己の戦場へと旅立つ。

 だから、奏多はそのあとに交わされた会話を、知らない。


「まあ、そうですね。幻界ヴェルト・ラーイでも働いてもらうのは当然として……わたくしたちも、あの子の舞台を堪能させていただきましょう。ふふふ、準備運動はじゅうぶん済んだはずですからね」

「むしろ疲れて歌えないんじゃないの、あれ……」


 日和エスタトゥーア柊子アシュア奏多メーア談議は、扉の向こうの彼にくしゃみをさせることに成功していた。






 アナウンス通り、十分という時間で電源は復旧した。

 そして、新たなる舞台の幕が、上がる――。

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