第315話 戦う理由はどこにある

「主を失い、帰順しにきたか」

「――いえ、恐れながら」

「ほう。まだ生きておるか。この場に姿は見えぬようだが……」


 否定のことばにさえ、ソレアードは機嫌よく返す。周囲を見回す瞳は、落ち着いた深緑に見えた。

 ソレアードの登場と同時に、食屍鬼の最後の一体も光へと還った。

 それ以上沸かないことに安堵しながらも、アシュアはそのやりとりに、ソレアードの頭上の名の色に、困惑した。おそらく、彼女よりもよほど、当事者たる不死伯爵カードル伯のほうが困惑しているだろうが。

 その色もまた、緑だった。

 敵対していない、NPCを示す色合いである。

 双子姫はソレアード王が扉に現れてすぐに、動きを止めた。棒立ちというべきほどに、その場から動かない。本来の彼女たちであれば、瞳に喜びを浮かべ、全身で体当たりくらいはしていそうなものだが。

 兄妹の再会のはずが、そちらはまったく無関心に彼の王はアシュアたちを見る。


「ソレアード王……」

「おばばさまはその方らを生かして帰した、ということか?」


 呼びかけに対し、ソレアードは青の神官を見返し、確かにその存在を確認した。かつてシリウスの剣に倒れる直前、聖なる炎の御使いによって眠りへと導かれたこともおぼえているようだ。

 青のまなざしでその緑を受け止め、アシュアはその問いに答えた。


「熱病には特効薬があったの。あなたたちの時代とはちがって、今は王都の薬術師がその特効薬を用いて、発熱時には対処しているわ。だから、ちゃんと薬さえ飲めば死す病ではないのよ」


 驚愕が、苦悩へと変わる瞬間を見た。大きく見開かれた双眸は、やがて細められ……その口元が、歪む。

 生まれながら王となるべく育ったゆえに、その聡明さが理解を生み、自らの選択の意味を知らしめる。しかし、開かれた唇から漏れたことばは、否定だった。


「それが真実だと、どう証明する気だ」

「御意。されど、命の神の祝福を受けし者が、自らの命を繰り返し犠牲にして特効薬を見つけ出した……と聞けば如何でしょうか」


 信じたい。

 しかし、信じられない。


 一度敵対し、己の身を滅ぼした者のことばなど、信じようもないだろう。

 まして、かつての部下とは……袂を分かったのだから。


 だからこそ、交易商シャンレンはメディーナから聞き及んだ話を口にした。大神殿に属する薬術師は『命の神の祝福を受けし者』を厚く用いる。その願いを叶えるべく全力を尽くす。彼ら自身が恵みを与えたわけではないにせよ、その祝福があり、協力があったからこそ得られた成果だったからだ。だが、決してその理由は公にできない。その『命の神の祝福を受けし者』は自ら望んで実験体となったのか、犠牲を強いたのかどうかは歴史に刻まれず、闇に葬られているためだ。

 王家の霊廟に入り、熱病にかかったかもしれないという話でなければ――おそらくは、メディーナも語らなかっただろう。またもや『命の神の祝福を受けし者』を犠牲にしようとする大神殿の動きに、苛立ちを感じたのかもしれない。既に大神殿の薬術師ではなくなった彼女だが、当の『命の神の祝福を受けし者』を目の前にして、放ってはおけなかったのだと思う。


 そして、その事実は王たる者にも説得力を与えた。


「――愚かだな」


 不死王ソレアードはため息をつき、事実を受け入れる。


「いえ、あなたは間違っていなかった。確かにあなたの墓室には熱病の発生原因があったし、知らずに私たちが外へ出ていれば、王家の霊廟を中心に熱病は広がっていったでしょう。

 でも、おばあちゃんが教えてくれたのよ。熱病の特効薬のこと、過去の熱病の蔓延と終焉を」


 暗澹たる面持ちだったソレアード王は、アシュアのことばに苦笑した。

 そのようすがとてもフォルティス王に似ていて、アシュアは目を大きく見開いた。


「おばばさまが、なるほどな。此度はお見えでないのか?」

「いえ、フォルティス王の墓室に……」

「父上もおいでか。では、ごあいさつに伺わねばなるまい」

「殿下、お待ち下さい――!」


 ふわりと深紅の外套をなびかせ、ソレアードは扉の内側から一歩前に出ようとした。不死伯爵カードル伯はとっさにその動きを阻む。彼自身の足元で、白く、小さな光が上がった。ばら撒いた聖属性の術石が、不死者アンデッドたる不死伯爵に反応したのだ。激痛に顔を歪める姿に、ソレアードは足元へ視線を投げ、次いで不死伯爵の背の向こう、神官の姿をとらえ、にらみつけた。


「どういうことだ」

「あなたは敵だと思ってたのよ! もう……カードル伯、ホントごめんなさい」

「アシュア、待つんだ!」


 敵ではないと判断したアシュアは術石を拾い上げるべく、舞姫よりも前に出て扉の残骸へと迫ろうとした。だが、その後ろから制止がかかる。弓手は矢をつがえ、照準をソレアード王へと合わせた。ソレアード王の頭上にある名は、未だに緑のままである。だからこそ、まだ撃たない。


「親子の対面を邪魔したいわけじゃないけど……敵を増やすわけにもいかない。そこから出ないでもらおうか」


 脅しに対して、ソレアード王の目が赤に染まる。不死伯爵はそれに気づき、唇を噛み目を伏せた。

 ソレアードはたずねた。


「――ではなぜ、封印を解いた?」

「その子たちが勝手に壊しただけだよ。わかんないの? 妹なのにさ」


 舞姫も双剣をかまえたまま、鋭いまなざしでソレアードを見る。いつでもその名の色は瞳と同じように染まる。唯一の神官を失う愚は犯せない。その点で、メーアもまたセルヴァと同意見だった。


「妹だと?」


 怪訝そうに、ソレアードは双子姫を見た。

 双子姫は動かない。そのグラスアイを見て、彼は鼻で嗤う。


「ふざけるな」

「いえ、殿下。従魔の宝珠に封じられた姫君らは、確かにこの自動人形オートマートスの内にあります」


 かぶりを振る不死伯爵カードル伯を見て、ソレアードのまなざしが揺れた。それでも、彼は否定を繰り返した。


「心を封じられたがらくたを、妹と呼ぶ趣味はない」

「封じたのはあなたの父王ですよ、ソレアード王」


 エスタトゥーアが歩き出す。

 舞姫が止める間もなく、彼女は双子姫の片割れ……ルーキスへと手を伸ばしていた。しかし、その手は振り払われる。無造作なそれは彼女自身の膂力もあり、容易にエスタトゥーアの左手を痛めつけた。敵との接触に、ルーキスはわずかに距離を取り、武器をかまえる。方天画戟ガウェディガイスの刃がエスタトゥーアに向けられた。その合間へと、舞姫が駆け込む。


「何してんの……!」


 双剣をかまえ、背後のエスタトゥーアへとメーアは言う。

 エスタトゥーアは膝をついた。左手首は赤く腫れ上がり、痛みを強めている。右手に持っていた弦楽器を床に置き、道具袋インベントリからHP回復薬ポーションを選んだ。赤みと痛みが消え、彼女は安堵する。そしてそのまま、口を開いた。


「――わたくしが、フォルティス王から委ねられた姫君を……ルーキスとオルトゥスを、自動人形オートマートスとして生み出しました。ふたりとも、とても明るくて素直ないい子です。父王の術式により、今は心を奪われているだけです」

「そなたがこれの人形遣いか。

 父上が奪ったというのであれば、このがらくたが我を迎えにきたとでもいうのか」


 とたん。

 まるでソレアード王の言を肯定するように、エスタトゥーアから武器を引き、ルーキスは膝を引く。深く腰を落としたようすは、姫君の礼クゥルトゥシィだった。同じようにオルトゥスも一礼し、立ち上がる。それは、エスタトゥーアの見たことのないものだった。骸骨執事アズムが教えた礼は、もっと浅い。本来の姫君が身につけていたものだろうと、想像ができた。


「なぜ……いや、父上に伺うべきだな」


 戸惑いながらも、ソレアードはそう結論づけた。


「下がれ、ヴァルハイト」


 それは力を秘めた命ではなかった。しかし、自身と同じ不死者アンデッドとしての赤の双眸ににらまれ、不死伯爵は素直に身を引く。

 ばら撒かれた聖属性の術石が、不死王ノーライフ・キングを闇の眷属と見做し、弾いた。聖域の加護でないだけダメージは少ないが、術石一つ分の作用が全身を貫いていく。聖属性の術石に身を焦がしながら、顔色ひとつ変えずに不死王ソレアードは歩いた。

 ダメージを受けながらもなお、頭上の緑は揺らがない。弓手は息を呑み……弓を下ろす。


 その時。

 不意に、ソレアードは双子姫の片割れの前で足を止めた。冷たいまなざしでしばし彼女を見下ろし、そして。


「下種が……!」


 忌々しげにオルトゥスの胸倉をつかみ、その身体を先ほどまで歩いた場所へと投げる。床に倒れた自動人形は、敵ではない存在の行動に逆らうことはなく、その場に転がったままだ。まさに、人形の如く。


「このようなものが、我が妹であってたまるか! 神官よ、。このがらくたがまことに我が妹であるならば、呪など要らぬ!」

「――!」


 不死者アンデッドが、除霊を乞う。

 その状況は奇異なものでしかなかったが、青の神官アシュアは応えた。

 自動人形オートマートスとなった双子姫は不死者アンデッドではない。しかし、不死王フォルティスの命に従った。支配インペリウムでも、幻術ヴィーデでもない。その理由が、不死王ソレアードの怒りによってわかった。

 白銀の法杖を、扉へと掲げる。その真下に位置するオルトゥスの全身を包むように、神術陣が広がった。


天への道よ、開けアデ・カェレロゥルム!」


 悪魔祓い……不死者アンデッドを正しく泉下へ導くための、滅魔神術である。

 オルトゥスの身体が跳ねた。

 エスタトゥーアは駆け出す。聖なる結界の只中、愛しい娘はその胸を掻き抱くように動かしていた。重い頭部を抱き上げ、頬を寄せる。黒銀の髪の中の、ただ一筋のみが自身と同じ白を残しているのを見つけ、優しく撫でた。


「だいじょうぶです。母がついていますよ」


 グラスアイが大きく見開かれる。声なき叫びが、口から漏れた。 

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