第212話 待ち人
アシュアの場合、大神殿で受注となるわけだが、わざわざ受注してから狩りに行かずとも、その内容――討伐時の
聖騎士マリス、である。
「アシュア殿、お待ちしておりました」
「あら、こんにちは。待ってたの?」
歓迎すら感じる声音に、アシュアは首をかしげた。もう聖騎士に用事はない。
先日、王都の霊廟の貴賓棟で寝食をともにした間柄ではあるが、はっきり言えば監視されていたのである。途中、彼自身まで寝込んでいたので、あまり監視の役目は果たせていなかったかもしれない。結局何人かが熱病を発症したが、回復は早かった。それは、
「『聖なる炎の御使い』が、あなたにお会いしたいと」
聖騎士マリスの物言いに、アシュアは顔をしかめた。丁寧を通り過ぎて慇懃に聞こえる。貴賓棟では、普通に話していた気がするが。
それでも、彼の口にした内容は聞き流すわけにはいかなかった。
「――本当に?」
「私はそのように伺っている」
王家の霊廟で過ごすあいだ、『聖なる炎の御使い』も貴賓棟にいた。そして全員が全快したと判断された日に、彼女は聖騎士マリスに連れられて大神殿へ戻ったのだ。気がかりと言えばそうだったが、アシュアたちにはどうすることもできなかった。墓室で語ったのち、老女は一切口を開かなかったからだ。沈黙の中で何を考えていたのかはわからないが、ともに食事を摂っている時は表情がゆるんでいた気がする。
そして、骸骨執事や不死伯爵はユーナの部屋にいたので、老女と関わることができなかった、というのも理由にある。ユーナが最も発病が早かったのだが、影にいる彼らへの影響を考え、神術の併用を彼女自身が拒否していたのだ。結果として回復がいちばん遅かったのも彼女になったが、その分、懇切丁寧な骸骨執事による看病が行なわれていた。実際、聖騎士マリスが足を踏み込めない場所という意味でも、ユーナの部屋は安全地帯であった。
最も親しい間柄である不死伯爵と話せず、やり取りらしいやり取りもないまま、「またね」と別れてしまったのは残念に思っていた。
だからこそ、その彼女が「アシュアに会いたい」などと言うはずがないのである。「ユーナに会いたい」のならば、不死伯爵に繋がるのでわかるのだが、この展開は妙だった。アシュアにしてみると「大神殿にせっかく来たから、顔くらい見られないかしら」とは思っていたので、ちょうどよかったのだが……陰謀めいた何かを感じてしまうのは否めない。
分かっていても、飛び込むしかないのが現状だが。そのことを早々と悟り、アシュアは息を吐いた。
「光栄なお話ね」
「では、こちらへ」
一人で来るんじゃなかったかも、と思ったが、後の祭りだった。
神官職が特別依頼を受けたり、教練を受けたりする場所は、大神殿のホールから通じる右手の扉の先にあった。それを逆に戻り、礼拝堂へ進む。今、祭壇には誰もいない。その礼拝堂の奥にある扉も抜け、外で見た尖塔のほうの建物へ進む。
聖騎士マリスの先導で、聖騎士が配された大扉が開かれた。アシュアはおもむろに命の礼を取った。足を踏み入れたことのない場所だが、
入ってすぐの足元には、ステンドグラスが大理石の床へと、白と青の光で絵柄を落とし込んでいるのが見え、その美しさにアシュアの表情がゆるむ。荘厳華麗ということばが似合う彫刻がそこかしこにあった。視線を奥に向けると、ただ一つ、赤に彩られたステンドグラスが最奥中央上に嵌め込まれているのに気づいた。他はどれも白と青を基調としているのに、それだけが赤い。
一目で、鳥だと分かった。王都イウリオスの南門上でも、王家の馬車でも、王家の霊廟でも見た紋章の大本になるものだろう。華麗なる赤い鳥は、空へと舞い上がる図案で描かれていた。
その真下に、彼女がいた。白い神官服に、赤い帯を佩いた――『聖なる炎の御使い』である。
となりに立つ者は、紫の帯を佩いていた。
「お待ちしておりました、青の神官アシュアよ。あなたこそ、我らの待ちわびた聖女です」
その言に、アシュアは目を伏せた。
――失敗した。
背後で、鈍い音が聞こえる。戻る扉が、閉ざされた音だった。
改装の打ち合わせの途中。
マールテイトが食材を大量に持ち込んだので、ユーナはここぞとばかりに手伝いを申し出た。
ユーナに対しては昨夜からやや点数が辛めのマールテイトだったが、やる気は買ってくれるようで、今夜の料理に使う芋を洗う、たいへん名誉ある任務を与えられた。朝がブランチめいていたので、昼食はカットである。おそらく、酔っ払い……二日酔いたちは、もう何も食べたくないレベルだろう。
マールテイトは手袋を取ったユーナを手を見て、一瞬だけ視線をとどめていたようだった。やっぱり気になるものかなあとユーナが気落ちする間に、「とっとと洗え」と言い置いて、彼は別の作業に入っている。ユーナは洗い場に芋を出した。
結果としては、失格である。ひとつひとつ丁寧に洗おうと芋を撫でていたユーナを見て、マールテイトはあっさり厨房を追い出した。桶に入れた芋ごと井戸のほうへ放り出し、「ごゆっくり」と笑顔で告げるようすは怖かった。本当に怖かった。
井戸のそばで再び芋洗いを開始したユーナだったが、一向に泥だらけの芋はなかなか綺麗にならない。幾度か水を汲み替えたものの、やはり汚れは落ちにくかった。
「お手伝いしましょうか?」
楽しげな声音は、我らがサブマスター、シャンレンのものだった。改装の打ち合わせは終わったようだ。寝台で眠ったのがよかったのか、だいぶ顔色もよくなっていた。食事時は本当に、アークエルド並みに青白かったのだ。改装の打ち合わせではいつもの調子でしゃべっていたので、もう本調子に戻っているのだろう。
彼はまず、桶に入った芋にそのまま水をかけ、ひたひたにした。そして一旦、厨房へ入る。「簡単にソテーするだけのようですから、皮ごと使いたいらしいですね」と、シャンレンは芋の用途を把握して戻ってきた。ユーナは、その思考回路が足りなかったと気づく。
しばらく水に浸していた芋を、新しく汲み替えた水で流しながら更に撫でるように泥を落としていく。
「新しい、いい芋ですね。芽も出てないし。もしあったら、一応取っておいてくださいね。ジャガイモじゃないみたいですけど、念のため」
見た目はジャガイモだが、ここは
「ありがとうございます、シャンレンさん。もうだいじょうぶ、がんばってみますね!」
一人で、という意図を察し、交易商は微笑んだ。
「きっとこれ、調理のスキルマスタリーの鍛錬になりますよ。
ああ、ユーナさんのお部屋の改装ですが、予算に問題なさそうなので、お風呂がつきますよ。まだ改装を手掛ける
「アークがいいなら、わたしも問題ないです」
「わかりました。改装中は空き部屋のほうを使って下さいね。私は少し出ますので、他の女性陣にも戻り次第、その旨お伝え下さい」
「はい」
本来の案件はこっちだな、と思いながら、ユーナは交易商の背中を見送る。
見るに見かねるほど、ユーナの手つきややり方がよくなかったのだろう。芋は水にしばらく浸してから洗う、と脳裏にメモして、ユーナは再び芋に対峙した。ソテーにしてやるのだ。
それから半刻ほどかけて、芋をきれいにしたユーナを待っていたものは「ご苦労」のひとことと、大根のような野菜の皮むきだった。
アシュアが戻ってこない。
そう気づいたのは、皆のそろった夕食でだった。
やはり、帰る家があると違うと痛感する。既にマールテイトはいないのだが、厨房からは骸骨執事が温め直している料理の匂いが漂い始め、誰もが食堂に降りて、特に女性陣の成果に聞き入っていたのである。だが、すべての料理がテーブルに並んでもなお、彼女は戻らなかった。閉門の鐘は鳴り終わっているにも関わらず、である。
「――部屋にはいないね」
ぽつりとつぶやくのは、
『――はい?』
『ああ、王都にはいるんだな』
クランチャットで、唐突にアシュアの声が聞こえた。どうやら、シリウスが呼び出したらしい。テーブルに安堵の空気が流れた。安易に連絡がつくということは、トラブルに巻き込まれたわけではないようだ。
『ああ、うん。ごめんねー。何だかオリジナルクエストっぽいの始まっちゃって、今、大神殿なの』
『オリジナルクエストですか?』
『ユーナちゃんもほら、カードル伯を連れ帰った時の、あれ多分オリジナルクエストよ。そのひとだけのとか、その職限定のとかあるみたい』
アシュアの話を聞くと、身におぼえのあるモノがいくつもユーナの脳裏に浮かんだ。
『帰れないのか?』
『――うん。今日はこっちに泊まるわ』
『ちゃんとごはん、食べましたか?』
『精進料理みたいなのもらったんだけど、おばあちゃんといっしょに食べたわよー』
『ばあちゃんもいるなら大丈夫かな』
『手が足りないなら、いつでも呼んでよ』
『うんうん、ありがとねー。そっち、ごはん中?』
『こっちはこれからだよ。マールさんのごっはーん♪』
『うらやまし……』
耳元に響く多数の声は、彼女を気遣うものばかりだった。
だからこそ、「じゃあ、おやすみー」で途切れたクランチャットは、やけに寂しく感じた。
「――本当に、大丈夫でしょうか?」
クランチャットではいっさい発言しなかったシャンレンが、視線を落としたままつぶやく。エスタトゥーアが肩をすくめる。彼の言を否定する仕草に、ユーナはおどろいた。
「今のところは、そっとしておいてあげましょう。ひとりでがんばってみたいようですし……連絡がつくのなら、それほど心配はいらないと思います」
「神官の上級職になるクエストとかかなあ……」
「司祭とか? それはそれで頼もしいね」
「うんうん、アシュアさんなんだからさ、期待しとこうっ! じゃあ、いただきまーす!」
行儀よく両手を合わせて言うフィニア・フィニスに、テーブルについた者達も唱和する。
地狼にも取り分けていたユーナは、
そして、アシュアはその後、幻界時間にして数日経ち、彼らがログアウトする時間帯になってもなお、帰らなかった。
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