第211話 弱点


 目が覚めると、地狼の上だった。完全に枕というか寝台扱いをしていたようで、頭を乗せていたところが少し冷たい。あわてて布を取り出して毛皮を拭く。


【おはよ】

「――おはよ」


 即、バレた。

 地狼は頭を持ち上げて、ぺろりとユーナの頬を舐めた。それが目元だったので、泣いていたのだとわかった。よかった、よだれじゃなくて……。


「あまり、よくないと思うが」


 背後から発せられた不死伯爵アークエルドの声は、多分に苦みを帯びていた。バレた、パート2である。

 身を起こすとカウンターやテーブルが目について、自分が食堂で寝入っていたのだと気づいた。せっかく部屋をもらったのに、まるで意味がない。

 ただ、それは自分だけではなさそうだ。まだ毛布に包まったかたまりが、そこかしこに転がっている。どちらかというと、死屍累々の様相を呈していた。

 昨夜、散々飲み食いしたテーブルには今、大皿に盛られたパンが鎮座している。そこには不死伯爵アークエルドだけが席についていた。彼にはやや不似合いな木製のカップが、その前に置かれている。ぼーっと見回していると、アークエルドは立ち上がり、こちらへと膝を落とした。


「寝台に運ぼうとしたら、泣いて嫌がっただろう? 覚えていないか」


 目元を拭う指先が、冷たくて気持ちいい。かなり泣いたのだろうか。どうも腫れぼったい気がする。何もおぼえていないので、ユーナは素直にうなずいた。昨夜は皆で飲んで歌って騒いでとても楽しくて……はて、そこから記憶がなかった。

 軽い靴音が、厨房から出てくる。青い髪を揺らして、彼女は楽しげに声を上げた。


「あら、起きた? おはよー、ユーナちゃん」

「おはようございます、アシュアさん」

「ふふ、ユーナちゃんもお酒弱いみたいだから、ひとりで飲んじゃだめよ?」

「え、わたし、飲んじゃったんですか!?」

「蜂蜜酒を少しだけ、ね」


 まったく身におぼえがない。

 蒼白になるユーナに目を細めつつ、アシュアはうなずいた。彼女はいつも通りのようだ。深めの皿を盆に載せ、テーブルに運んでいる。その後ろから骸骨執事アズムが大鍋を持ってきた。なるほど、鎧戸が閉まっているのは彼のためらしい。魔力光セヘル・フォスが室内を照らしている。


「アズムさん、無理しないでね。もう朝なんだからつらいでしょう?」

「お気遣い痛み入ります。そうですね。みなさま、朝の光を堪能したいでしょうから、そろそろ休ませていただきます」


 鍋敷きらしき木の板に大鍋を下ろし、一旦、骸骨執事アズムは厨房に戻っていく。しかしすぐに姿を見せ、コップを片手にふたりのところへ歩み寄った。


「お加減、いかがですか? ユーナ様」

「だ、だいじょうぶです。ありがとう、アズムさん」


 差し出されたものは水だった。ありがたく頂戴し、口に含む。何かハーブ系の匂いがついていて、さっぱりした。カタカタとしゃれこうべが鳴る。


「それはようございました。またいつでも、御用の際にはお呼び下さい」


 お酒も食事もできないと思っていたのだが、骸骨執事アズムは普通に杯を傾け、木の実を摘まんでいた。別段骨から漏れているようすもなく、どこに消えているのかはわからないが、アズム曰く味がするようなしないような、という話である。不死伯爵アークエルドも同じような感覚らしいので、幻界ヴェルト・ラーイでの不死者アンデッドの仕様かもしれない。

 不死者アンデッドに関する新たなる発見、とマールテイトはうれしそうだったが、「従魔シムレースの眷属です」でナチュラルに不死者アンデッドを受け入れられている彼のほうが、よっぽど新発見である。ただ、「以前の熱病で不死者アンデッド精神的外傷トラウマになっている者もいるので気をつけるように」という真顔での注意は受けた。アークエルドはともかく、骸骨執事アズムは骨にしか見えないので、店には出せなさそうだ。残念である。

 虚ろのまなざしを向けられても、もう怖くない。ユーナは優しい声音に微笑んでうなずいた。すると、彼の足元に冥術陣が広がる。その身体が黒い靄となり、ぐしゃりと崩れて融けた。


「一晩中片づけて、しかもスープまで温めてくれてたんだから、ホント出来た人よねー」

「いや、皆が寝静まったあと、私と話していたので……一晩中では」

「ええ!? じゃあ、しゃべってたのに全部片づけてくれたの!? すご……」


 皿にそのスープをよそいながら、アシュアはしみじみと感謝していた。アークエルドは否定するが、食べ散らかし飲み散らかしたはずが、ゴミひとつ床には落ちていないのである。アシュアの物言いでは、厨房のほうも片づいているのだろう。執事に皿洗いまでさせたとなれば、本当に申し訳ない話である。


「ん……もう朝ぁ?」

「はい、朝ですよー。サラダもできましたから、顔を洗っていらっしゃい」


 ミノムシのように毛布に包まったまま、うすい桃色の頭が動いた。今のおしゃべりで起きたようだ。ちょうどエスタトゥーアも食堂に姿を見せた。こちらも山盛りの生野菜の大皿を持っている。


「鎧戸を開けようか?」

「だいじょうぶ?」

「この姿なら」


 擬装フェルリトゥル中のアークエルドは、どこから見てもNPCである。ステータスは半分どころか、やはりユーナよりも低い値となっていた。それでも、ユヌヤで見た時よりは高い数値を示している。これもまた、レベルで差が生じるもののようだ。敢えて言うなら、もう一つの問題は、服装が未だにお貴族様なことだろう。びっしり銀糸の入った外套を着ているような平民などいない。当の本人はその異様さを意識せず、食堂で最も大きい窓の鎧戸に手を掛けた。

 秋の清涼な空気とともに、朝陽が射し込む。そのまぶしさに、毛布に包まったミノムシたちはのたうち回った。


「うぅ」

「ったまいてぇ……」

「頼む、もう少し寝かせてくれ……」


 むしろこちらのほうが不死者アンデッドのごとく、朝陽で苦しんでいた。メーアが起きたので、ユーナもまた地狼から離れ、立ち上がる。


「井戸って外?」

「厨房の裏手にありますよ」

「りょーかい」


 メーアの問いかけに、サラダを取り分けながらエスタトゥーアが答える。あくびを洩らしつつ髪をかき上げながら、メーアの足取りは不思議とリズミカルに厨房のほうへ向かう。顔を洗うならいっしょに、後を追おうとしたユーナは、その声音と動きに口元をゆるめた。


「メーアってホントに舞姫だよね。いつでも身体が音楽奏でてる気がするー」

「ふぇ!? そ、そうかなあ?」


 後ろからユーナがついてきているのには気づいていなかったようで、その声にメーアはおどろいて振り返り、照れくさそうに笑った。とても綺麗な顔立ちをしているのに、可愛いのほうが先に印象づけられる。


「ほら、そろそろ起きなさいよー。ごはんできたわよー」

「心配しなくてもマールさんのスープですから、味は保証いたしますよ」

「何それどーいう意味……」


 後ろで、アシュアとエスタトゥーアがねぼすけたちに声を掛けている。

 ふたりで笑いながら、メーアとユーナもまた顔を洗いに急いだ。






 一角獣の酒場バール・アインホルンの開店のために、まず必要なものは――金銭カネである。

 舞台や棚などの食堂にからむ改装についてはクランのほうから支出するが、個室に関しては各自のふところから捻出する。男性陣はそのまま個室を使うとのことで、備えつけの寝台や寝具でじゅうぶん事足りるそうだ。問題は、女性陣である。


「やっぱり、個室にもお風呂が欲しいわよね!」


 切実な青の神官アシュアの叫びに、はっきりと同意を示したのはソルシエールとエスタトゥーアだけであった。フィニア・フィニスとメーアは大浴場があればいいという意見だ。

 ユーナは少し迷った。水の精霊術のおかげで、サッパリした毎日を過ごせている従魔使いテイマー一同である。一応金額を聞いてから、ということで、見積もりを取ってもらうことになった。この宿は個室よりも大部屋が多く、二人部屋はもちろん、四人部屋まである。女性陣の希望するお風呂付の部屋、ともなれば広さが必要になるため、大部屋のほうを改装していくという。ただ、ユーナには、あらかじめその中でも最も広い部屋が割り当てられた。エスタトゥーア曰く、


「あなたの場合、従魔シムレース眷属アズムさんもいますから」


 とのことで、配慮してもらえたようだ。確かに、頭数だけなら四人である。そして、彼らのほうがユーナよりもよほど長時間、部屋で過ごすだろう。

 よって、ユーナは、内装インテリアをすべて骸骨執事アズムに任せることにした。その手の感性は、彼のほうが確かだからだ。あの世でも準備しておくとか言っていたし。もちろん、業者と直接会話はできないので、そのあたりは不死伯爵アークエルドの出番である。

 ユーナ自身は、「わたし用に寝台ベッドをひとつ、お願いします」という意見だけ出しておいた。地狼は何もいらないそうだ。一番広い部屋だけあって物入も大きかったので、ユーナ的にはそこに布団を入れてもらうだけでもいいくらいである。某青いロボット的で楽しそうだが、地狼は入れないので文句を言われる気もする……。


 この丸投げの結果、不死伯爵アークエルドのポケットマネーによって、お風呂付個室どころか貴族様式のスイートルームが完成するのは余談である。


 クラン結成の翌日、無理やり朝食を摂らされた二日酔いの男性陣は各自の個室でもう一寝入りすることに決め、女性陣のほうは改装プランを見積もりの段階にまで進めると、すぐに一角獣の酒場バール・アインホルンから出掛けていった。各自、自身のギルドで出されているという特別依頼を確認するためである。

 この時点でようやく、ユーナは不死伯爵アークエルドにテイマーズギルドの特別依頼について話をすることができた。ユーナ自身は、テイマーズギルドに足を踏み入れることができないからだ。食堂の片隅でテイマーズギルドの思い出も含めた長い話を終えると、アークエルドは深い息を吐いて、視線を落とした。


「――我が主殿が狙われる可能性がある、というのは、なかなか物騒な話だな。

 だが、確かに融合召喚ウィンクルムは王城にも話が残されているほど、他者から見れば強大な力であり、危険極まりないものだ。自身がその対象となってみると、逆にその脆さのほうが目立つが」


 不死伯爵カードル伯が王城で護衛騎士の任に就いていたころ、当時の王子ソレアードの歴史の授業で耳にした内容である。かつて、神獣や龍を従魔シムレースとし、融合召喚ウィンクルムを使いこなした伝説の従魔使いテイマーがいた。その従魔使いテイマーは魔族の一軍ですら退けたという。その伝承が、融合召喚ウィンクルム自体を神聖視してしまうのだろうと、彼は指摘した。


「主殿もお分かりだと思うが、融合召喚ウィンクルムは膨大な魔力を消費する。それは発動のみならず、時間経過ごとに続く。魔術師ほどの魔力を有する従魔使いテイマーでなければ、長時間の継続は不可能だ。貴女と私の融合召喚ウィンクルムですら、半刻も持たぬ。もし、融合召喚ウィンクルム中に何らかの術を扱えば、それは更に短縮されよう」


 ユーナはうなずいた。

 地狼との融合召喚ウィンクルムでは、MPがMAXであっても20分程度しか持たないのが現状である。前回のホルドルディール戦では、地霊術を行使したために、あっという間に干上がりかけた。ソルシエールのおかげで回避できたようなものだ。

 それに比べると、不死伯爵との融合召喚ウィンクルムは長時間可能とも言えたのだが、単独で軍を倒すのは到底無理だ。ただ、ためらいさえなければ、不死王ソレアードは倒せたかもしれない。強力な術であることは事実だった。


「もうひとつ、融合召喚ウィンクルム解除後のダメージだ。従魔シムレースよりも、今はまだ主殿に跳ね返るものが大きい気がする」


 不死伯爵アークエルドはユーナの手を取った。革の手袋に包まれた手のひらは、未だにただれた傷痕が少し残っている。もうすっかり痛まないし、かなり薄れてきているので放置しているものだ。それでも、アークエルドにとっては気になるらしい。この程度、ヴェールににぎりつぶされかけた時のことを思えば、大したことはないのだが。あまり気にされるようなら、早めにエスタトゥーアへ傷消し軟膏を頼まなければならない。


「アルタクスのほうが、経験上察しているのでは?」

【その通りだと思う。だから、融合召喚ウィンクルム中は回避を優先してるよ】

「え、そうだったの?」


 曖昧に首を傾げるユーナから、彼女の足元に寝そべる地狼へと視線を落とす。地狼は頭を上げて同意を示した。ユーナは付け加えられたことばにおどろく。地狼はあきれて鼻を鳴らした。


【最初の時、反動がひどすぎたから。ユーナ、回復してもらってもしばらく目覚めなかったじゃないか】


 そうでした。

 イグニスの一撃でボロボロになったことは、もう遠い記憶だ。


「今後、私もそのように配慮しよう。

 もっとも、主殿はまだ伸びる。特別依頼の条件にあるレベル50に到達したころには、どこまで強くなっているのか想像もつかぬ。おそろしいことだ」


 ことばとは真逆に、不死伯爵アークエルドは口元をほころばせた。期待を感じるものの、ユーナにしてみると、ようやく、レベル29になったというところだ。地狼と不死伯爵は横並びで23同士である。さすが不死王ノーライフ・キング、経験値が並みではない。アシュアとシリウスは、31に早々と到達したようだった。

 不意に、開きっ放しになっていた食堂の扉を叩かれた。ずんぐりとした体形とひょろっとした体形の二人の男が、こちらを見ている。


「あー、マールテイトから紹介を受けたんだが……」

「あ、はい! アーク、ちょっとお願いね。わたし、シャンレンさん呼んでくる!」


 改装を担当する大工の親方だ。エスタトゥーアに酔い潰され、二日酔いで寝込んでいるシャンレンを起こしに、ユーナはその場をアークエルドに任せて駆け出す。

 フレンドチャットかクランチャットで呼び出す、という考えが飛んでいたすっとんでいるユーナに、地狼は無言で付き従うのだった。

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