第14話 兜

 ガシャン!


 水鉄砲に聖水を入れ終わった時、甲高くその音は響いた。

 すぐそばにシャンレンとアシュアがいる。その、更に奥から。

 一枚のハンカチごときで拭えるほどの水量ではなく、未だに聖水を滴らせたまま、シャンレンは再び斧を構えた。


「そうそう。アレね、デュラハンじゃないのよ、ユーナちゃん」


 じゃらりと掌に聖属性の術石を載せ、アシュアはユーナのとなりに立つ。そして、動く甲冑ムービング・アーマーと言い、使い込まれた甲冑に宿る霊であると説明した。暗がりから再び、ガシャン、と甲高く金属音が響く。薄暗い廊下の先に、甲冑の影が見える。


「兜が本体なの。甲冑は壊せば増えちゃうから、ちょっと時間を稼ぎたいわね」


 聖属性付与の装備プラス聖水ぶっかけにしても、確かに簡単すぎた。また、ユーナの経験値はさほど増えておらず、当然レベルアップもない。そう思えば、確かに本体ではないというのも納得できる。

 そんなふうに考えている間にも、カシャカシャと金属音が増え、重なっているように聞こえた。あれ?

 アシュアの光に照らし出された甲冑は、二体に増えていた。

 三人の前に立ちふさがり、剣を掲げ、盾を構えるしぐさをする。


「――来たれ聖域の加護サンクトゥアリウム!」


 駆け出した甲冑は、迷いなくシャンレンを狙う。左右から突き出された剣を避けるには、彼は重過ぎる。どちらもは避けられないと覚悟を決めて、シャンレンは利き腕で即対応できる左側の甲冑から倒すことにしたようだった。振りかぶった斧が左の甲冑の剣とぶつかり合うように見えた時、アシュアの聖句が聖域を紡ぐ。左右の甲冑の二本の剣がまとめて弾かれ、シャンレンの斧が左の甲冑の胴を斬り裂いた。


「ユーナちゃん、やっちゃって!」

「は、はいぃぃっ!」


 シャンレンの後方から、甲冑へ聖水を噴射する。シャンレンには当たらないようにと気をつけていても、ユーナに射撃スキルなどない。よって、シャンレンにもその洗礼は降り注いだ。

 聖水の燐光が消える前に、一瞬、甲冑の動きが鈍る。その隙を見逃さず、シャンレンは斧を振り回した。


戦斧旋舞キルクィトゥス・ベイル!」


 複数回斧によって斬り刻まれた甲冑二体が、揃って四散する。ユーナは頬を手の甲で拭った。冷たい。ぽたり、とアシュアの前髪からも雫が落ちる。


「……レンくん……」

「わ、わざとではありませんよ? 本当ですっ!」


 回転しまくったシャンレンのせいで、後方にまで水しぶきが飛び、よりにもよってアシュアのほうにまでかかってしまったようだ。まあ、やっておしまいって言ったの、彼女だし……。


「それにしても、ちょっとね」

「ええ……参りましたね」


 増える甲冑。遂に三体が姿を見せ、アシュアは深々と溜息をついた。


「増えると厄介なのよね。頭どこよー」

「すみません、ちょっと削るだけのつもりだったんですが……」

「え、さっきのは確信犯よね? いいとこ見せたかった感じ?」

「――ちょっと使ってみたくて……」


 最初の一体の被ダメージ総量から考えても、あのスキルは次の二体を殲滅するのに十分な破壊力だった。シャンレンは斧を構えつつ、目を凝らす。甲冑は光の届かないところから、ゆっくりと三人のほうへ歩いているようだった。まだあの構えは見えない。


「あの中には……見えませんね」

「兜、ないですね」

「これもやっちゃったら次四体? 囲まれたりすると危ないのよね」


 増殖にも限界があり、そのうち兜をつけて出てくる。それはわかっていても、短期決戦にしておきたかった。厳密に言えば、ユーナが最も危険に晒される。あの甲冑の攻撃であれば、直撃さえ避ければアシュアも致命傷にはならない。だが、四方からとなれば、聖域にも限界がある。串刺しは避けたい。廊下は結構な広さがあり、現にシャンレンの戦斧旋舞を発動させることができた。回り込まれてしまう可能性がある。


「きっと奥だから、私ちょっと見てくるわ」

「え!?」


 アシュアは軽く言い放ち、掌の術石をその辺に撒き散らす。一ついくらするのかを思い出して、シャンレンの顔が引きつった。


「留まれ聖域の加護サンクトゥアリウム


 聖属性の術石により聖域結界が具現化し、三人の足元に神術陣が浮かび上がる。聖域を象るそれを踏み越えて、アシュアが法杖を構えた。


聖なる光を帯びしものウルテノネェレ・ルゥツェンム


 続けての聖句に法杖が光を帯びる。弧を描くようにそれを振り、アシュアは軽く肩に掛けた。


「じゃあ、ここはお任せしちゃうわね」

「お早いお戻りを」

「え」


 まさか本当に一人で?

 ユーナが問いかけるより早く、シャンレンは了承したようにアシュアを送ることばを向けた。にっこりときれいな笑顔で応え、アシュアは星の光の届かない闇へと走り出す。すぐにその姿は闇に溶け、殆ど影しか見えない中で、ガシャンガシャンと金属音が乱れて響いた。


「ユーナさん、今のうちに補充ですよ」


 呆気に取られているユーナに、シャンレンが釘を刺す。水鉄砲のことだと思い至り、ユーナは腰の聖水の入った水袋から、器用に水鉄砲の中身を補充した。そろそろ慣れてきている。そのあいだに、シャンレンは水筒の聖水を口にしていた。淡い燐光に、シャンレン自身が包まれている。先ほど外で飲んだ時には気づかなかったが、星明かりの下だとぼんやりとそれがわかった。


「……姐さんは、神官ですからね。不死属性の索敵は得意分野ですし、耐性もあります。すぐに本体を見つけ出すでしょう」


 それは、ユーナに説明しているようで、何故かシャンレン自身に言い聞かせているようにも思えた。

 シャンレンは闇を見つめたまま、目を離そうとしない。

 そして、ユーナもようやく気付いた。金属音が近づいてくる?と理解した時。


 ヒュッ! ガッ!!! ガシャン!


 空気を切り裂く音と共に、二人の目の前で何かに阻まれ、重力に従ってそれ・・は墜落した。

 たっぷり一秒。

 シャンレンとユーナが、陣の前に転がった兜を理解するのに要した時間である。

 全力で走ってきているであろう、複数の金属音が二人を正気に引き戻した。

 シャンレンは思いっきり斧を振りかぶり、ユーナは水鉄砲を発射する。瞬間、兜は砕けて消えていき、同時に崩れ落ちるように甲冑も動きを止め、床に転がっていった。


「あー、よかった。二人とも無事ね?」


 甲冑が散らばる中から、アシュアがいろいろと踏み越えて姿を見せる。その姿こそ無事なことに、ユーナは安堵した。


「お早いお戻りで」

「ふふっ、サクッと片付いたでしょ?」


 シャンレンの嫌味を華麗に躱し、アシュアは陣を消す。そして、散らばった術石を一つ一つ拾い始めた。


「前はね、シリウスがあれ・・してくれたんだけど……私でもできるかなーって。でも、法杖がちょっと歪んじゃったわ。やっぱり無理はダメねー」


 そういって法杖を振る。確かに、一部が少し湾曲しているように見えた。

 そもそも杖は殴る道具ものではありません!と凄まじい正論で注意する商人シャンレンに、アシュアはぺろっと舌を出す。慌ててユーナも術石拾いを手伝うべく屈みこむ。


「あ、いいのいいの。使えるのだけ拾ってるから。甲冑は戦利品ドロップだから、ほしいのあったら持ってっちゃって。結構錆びついてたりボロかったりするけど」


 私は重いのイラナイわ、と自身の権利は放棄して、アシュアはちまちまと術石を拾い上げる。その様子に、もう周囲に敵影はないと判断したのか、シャンレンは早速甲冑を検分し始めた。そのいくつかがシャンレンの道具袋インベントリに消えていく。装備品としては質が悪すぎるので、NPCへの売却価格が高いものだけを選別して、あとで山分けしましょうと提案を受けた。ユーナは大きく頷く。思わぬ戦利品ドロップにホクホクしてしまう。あれだけの数を倒したのに、レベルはやはり上がらなかったが。再度水鉄砲に聖水を補充するユーナの隣に、アシュアが立ち上がる。ようやく術石を拾い終わったようだ。あの陣のおかげで、甲冑の総攻撃も、兜の激突も避けられたと思えば、かなりの性能である。改めてアシュアの聖域の威力を思い知った。


「廊下の奥まで見てきたけど、これ一体だけだったからラッキーよね。きっと先に行ってる子たちが片付けてくれたんじゃないかしら?」

「早く進めるのはありがたいですね」


 シャンレンも戦利品ドロップの選別を終え、斧を担ぎ直す。

 星明かりが天井から少し降りて、再び三人の行く先を照らすべく移動を始めた。足元の甲冑に注意しつつ、時折引っかかりそうになりながら、先へ進む。


 廊下の奥、アシュアが促したその場所の扉は、すでに大きく開かれていた。

 天井には硝子だろうか、大きなシャンデリアが吊るされ、アシュアの星明かりに煌いている。

 長いテーブルには白いテーブルクロスが掛けられ、それが食堂を縦に二分していた。等間隔で椅子が並べられ、一つ一つの席には美しく白い陶器とカトラリーが配膳されている。花を象った布製のナフキンが皿の上に鎮座していた。

 そして、テーブルの隣には、がいた。


「いらっしゃいませ」


 慇懃に礼をする、礼服の紳士。

 その眼窩は虚ろで、頭部は眩しいほどに白かった。

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