第344話 そばにいるよ

 鏡のように向き合う自分は、ユーナであってユーナではなかった。

 ユーナの成長した姿、と言えたらよかった。だが、どちらかというと、結名が大きくなってユーナになろうとした姿、に見えた。

 ユーナの姿かたちは、かつての自分を模したものだった。あれほど工夫してサイズを測ってくれたエスタトゥーアの努力は実を結び、短時間でありながらすばらしい衣装となってここにある。成長しているということばにサイズを少し大きめに製作されたにもかかわらず、やや胸元を強調する形になってしまったのは、たぶん日頃の美味しい食事と、伯母から提供されることが増えたスイーツのせいだと主張したい。


 あのころの自分であったら、どうだろう。

 この衣装がもっと似合うような、自分だっただろうか。


 中学時代の自分に戻りたいなんて思っていない。部活に翻弄されたり、価値観がちがう友人たちと適当に話を合わせたり、最後の一年はひたすら受験一色で、けじめをつけながら勉強の合間にゲームに走っても、我に帰るとつらかった。それでもやめられなかったのは言うまでもないが。


 目の色も、髪の長さも、身体の線も。

 印象だけがやけにユーナを残していて、現実の自分を無理に彼女へ当てはめたような感覚が否めなかった。

 そんな「わたし」のそばに、あの子たちはいた。立ち止まった「わたし」を囲んで、その顔をのぞきこんでいる。


「わー、アルタクス!」

「カードル伯、こっち見えてるのかしら?」

「アデライール、その姿でだいじょうぶなのか……?」


 歓声を上げる芽衣ソルシエールもまた、巫女装束に包まれていた。長い黒髪をなびかせた神官アシュアはそれはそれで似合っている。アークエルドに向かって手を振り、反応があるか確認していたが、彼はスクリーンの中のユーナを見つめているだけだ。

 そして、仮面をつけた真尋ペルソナは全身真っ赤なのだが、瞳と髪だけが赤くないことに違和感をおぼえた。ひょっとしたら、彼も結名と同じく、リアルとあまりサイズを変えていないのかもしれない。術杖を持った紅蓮の魔術師はいつも飄々としていて、その火力にすべてを賭けるようなひとだが、今、冷たくなりきれない真尋ペルソナの人の良さがそのことばから零れ落ちていた。

 アデライールが、肩にとまる。その美しい朱金の羽へと、手を伸ばそうとすると……彼女は不思議そうに首を傾げた。


 そうか、鏡だ。


 スクリーンではなく、自分の肩へと手を持っていく。それに応えるように、アデライールは翼をふるわせた。伸ばした首が、まるで触れるように動く。

 動かないユーナの後ろで、アルタクスが欠伸をして、背を伸ばす。その尻尾がふわりと、ユーナの身体を撫でていく。いつもの、もう癖のように感じる動きなのに、ひとつも感じられないのが寂しかった。


「こうやって見ていると」


 大きな斧を担いだ拓海シャンレンが、となりに並ぶ。戦闘を想定していたためか、あいかわらずの重鎧に身を包んでいる。彼もまた、こちらへと視線を向ける。


「見えてないだけで、いつもそばにいるみたいですね」


 そう言って微笑む彼は、腹黒商人ではなく、普通の高校生のようだった。

 そのことばの通りならいいのに、と思いながら、結名ユーナはうなずく。


「たぶんそうだよ。特にアルタクスなんて、ごはんって呼ばないと来ないからね。ユーナがログアウトしてるあいだは、必ず誰かがそばにいるんじゃないかな」


 弓を肩に掛けた颯一郎セルヴァは、いつもの美々しさは鳴りを潜めていたが、少し長めの髪とそのやさしいまなざしが腕利きの弓手を思い出させた。そこへ、白銀の髪の女の子たちが駆け込んでくる。


「ルーキス……オルトゥス?」

「あら……まあ、これは……」


 身長がいきなり縮んだ日和エスタトゥーアは、顔は舞姫メーアで、服装はいつもの白の術衣だった。彼女の両脇にも双子姫が立っており、今は神官服ではなく、一角獣の酒場バール・アインホルンで過ごす時の女中服になっていた。うれしそうに彼女たちは一礼し、縮んだ日和エスタトゥーアの身体に両脇から抱きついたり、手をにぎろうとしたりしている。

 今は見上げなければならない彼女たちを連れて、日和エスタトゥーアもまた声をふるわせた。


「……うれしいですね」

「――はい!」

「ここにいるなら、闘技場ドゥジオンでも会えるんじゃない? 行きましょう!」


 思いがけない再会に喜ぶふたりへと、柊子アシュアがうながす。

 白銀の法杖がその手で輝く。

 その頼もしさに背中を押され、結名ユーナはその場から歩き出した。当然のごとく、従魔シムレースたちもまた付き従う。

 幻界ヴェルト・ラーイの初期のPVの曲が流れる。その始まりの一文を、結名は思い出した。


 ――まぼろしの中で、生きよう。


 スクリーンの中にいる自分たちも、ここを歩いている自分たちも、まぼろしのように儚いものだろう。

 それでも、確かに生きていると。

 一歩進むごとに高鳴る胸の鼓動を感じながら、結名ユーナは――鏡の通路を通り抜けた。






 よりにもよって、どうしてコレが。


 誰もがそう意識した巨大な魔物が、その空間のどまんなかに鎮座していた。周囲にはポールとチェーンがあり、撮影〇の看板とともに近寄らないでとアピールしている。


「まあ……今のところ普通に印象深くて強かったボスって言えば、そうだよな……」


 皓星シリウスは不可思議な色合いをした鱗と、自身の身体すらも貫いた尾を忌々しげにながめた。これの小さいほうに殺された経験を持つ結名ユーナにとっては、立派にトラウマだ。蒼白になった結名ユーナを前に、さすがに記念撮影をと言い出す者はいなかった。

 見た目では不死王ノーライフ・キングソレアードあたりのほうが好まれるのだろうが、あれはまだ一般的なボスではない。

 さりげなく真尋はスマホでホルドルディールを撮影しつつ、その背後に目をやった。


闘技場ドゥジオンのホール、か」


 結名にはまったく見覚えのない空間が、その後ろに広がっていた。

 どことなく受付がずらりと並ぶあたりはギルド案内所の雰囲気を持っていたが、立っている受付嬢コンパニオンは兵装である。短衣チュニックに銀色の胸当てと、槍こそ持たないものの雰囲気を醸し出していた。その頭上や壁面には複数のスクリーンがあり、第一試合から第八試合までの倍率オッズが既に表示されている。

 ここで賭け札を購入できると知り、さっそく受付に並んだ。まだガラガラなので、横並びである。

 が、リストバンドで最初に芽衣ソルシエールが確認を受けた時、受付嬢コンパニオンの表情が変わった。


「ドゥジオン・エレイム整理券番号1から8のお客様には、到着次第できるだけ早く闘技場控室へおいでいただけるようお願いしたいと、幻界ヴェルト・ラーイの運営側より伝言を承っております。ご希望でしたら、先に賭け札を購入することももちろん可能ですが……如何なさいますか?」


 同音異口に伝えられた内容に、少し迷いながらも記念に全員が自分の回の賭け札を購入した。手に札を持ったまま、倍率オッズが表示されたスクリーンの前に集まった。拓海シャンレンは首を傾げる。


「まだ……かなり、早いですよね?」

「開場が早まった分、早く始めたいってことだよね」

「空いてるうちに、物販とかは買っといたほうが楽だけどなあ」


 颯一郎セルヴァの意見はあくまで運営側の都合である。こちらが配慮しなければならない義務はないわけだが、もとより、目的のイベントはそれなので、不満はなかった。ただ、物販の長蛇の列が皆無な今のタイミングは、捨てがたい。

 まだ、予定の集合時間よりは40分以上早かった。

 迷ったのは一瞬だった。


「とっとと買って、早く行こう」


 皓星シリウスの発言に皆が大きくうなずき、物販のほうへと急いだのだった。

 このメーカーには幻界ヴェルト・ラーイのほかにゲームタイトルがないため、どの物販列と迷わずに済むのはよかった。だが、アトラクションにばかり意識が飛んでいたので、結名ユーナはまったく物販の品揃えをチェックしていなかったのである。居並ぶ商品アイテムに目を奪われた。


「えええっ、これ、おやつ!?」

「買うの迷うわー……」


 げんなりとした芽衣ソルシエールに、思いっきり結名は頷いた。

 幻界ヴェルト・ラーイのロゴに、バラエティー・スライムのコアと書かれた缶。見本が小さく丸抜きの写真で載せられており、中身はただのグミのようだ。他にも、イカスミ味スナックの魔蟻フォルミーカの足や、小瓶型ペットボトルに入った回復薬ポーション、三種の丸薬ピルラセット、命脈の泉まんじゅうなど、いろいろそろっている。


「ユーナさん、これこれ!」


 日和エスタトゥーアの声に視線を向けると、デフォルメされた森狼のぬいぐるみがあった。結名は迷わず財布を出した。お買い上げ確定である。

 他にも草虫グラス・ワーム草兎グラス・ラビット、ハシャラや森熊まであった。ひょっとしたら、ヴェールなのかもしれない。ぬいぐるみと同じモチーフのストラップや携帯カバーもあり、結名ユーナはお財布の軽さに涙した。なお、スマホカバーはサイズちがいで使えないのであきらめた。

 Tシャツやステッカー、ラバーマグネットやメモ帳などの定番商品から、各種ギルドのエンブレムのアクリルキーホルダーや缶バッジもあった。女の子のキャラもの扱いらしく、王女や、アンファングの大神殿にいた女神官のものもある。

 幻界ヴェルト・ラーイのオリジナルサウンドトラック、イメージソングなどは言うに及ばず、他にも、何を考えているのか、王族やファーラス男爵アルテアのブロマイドまであった。ステファノス王子は不死王ソレアードにもよく似ている。他の王族はまだ会ったことがないが、現王については複雑な心境になるのは否めない。不死伯爵アークエルドのブロマイドがなかったので、結名ユーナは心底がっかりした。

 周囲に少し人が増えてきたころ、スマホがうごめいた。


「さすがにそろそろ行く? ホルドルディール裏集合で!」


 SSシューティング・スターで送られた流れ星メッセージに振り返る。手を振る柊子アシュアのとなりには、幻界ヴェルト・ラーイの紙袋に大量の戦利品を詰めた拓海シャンレンのホクホク顔があった。

 とりあえず、アトラクションが終わったら、一度車に荷物を置きに戻ったほうがよさそうだった。

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