第242話 閑話 人形遣いと双子姫 ~戦う術~
風の魔術師でもあるセルウスに頼み、防音結界を敷いてもらう。
更に、紅蓮の魔術師の協力で温めた炉の中の炎の温度を高め、必要な数字を出した。炎属性の術石を複数用い、その温度を継続させる。
本来はどちらも専用の魔術具を作り、設置してから鍛冶に入るものだ。
だが、
魔銀糸でしか攻撃手段のなかった布人形の娘たちとは異なり、
「――もう少し、上げようか?」
「いえ、じゅうぶんです。ありがとうございます」
白髪を紐で結い上げ、術衣ではなく、キャミソールドレスの上に水の術石を組み込んだ前掛けをつけ、両腕には分厚い籠手のような
鍛冶工房に立ち入るのも、エスタトゥーアの鍛冶師としての仕事に触れるのも、ふたりにとっては初めてのことだった。頼まれごとを終えたセルウスは、小さいながらも設備の整った鍛冶工房を、汗を流しながら物珍しげにながめ回している。
「
「いや、さすがにそれはちょっと……」
「こちらはもうだいじょうぶですから」
「は、はい、わかりました。じゃあ、戻ります」
魔術師として一目も二目も置いている相手と、クランマスターから暗にうながされ、セルウスは人が好さそうな顔に苦笑を滲ませたまま頭を下げた。巨大な盾を背負っていない今では、ごく普通の青年に見える。否、そばにフィニア・フィニスがいなければ、無害に感じる。ひとり
そこには、かつてアシュアから譲られた一本の大鎌があった。
自身が得意とした武器であるなら、彼女たちに教え込むこともそれほど難しくないだろう。もちろん、このままでは大きすぎる。二体の
「アーシュが
「ええ、譲ってもらいました。シャンレンさんでなら扱えましたが、今のわたくしには難しいですね」
「人形にはもったいないんじゃないか?」
「娘たちにはちょうどいいかと」
棘のある物言いにも、エスタトゥーアはおだやかに返した。ただ、そのまなざしが細くなり、針のように仮面に刺さる。彼女の瞳よりも更に深い朱殷が、仮面越しに向けられた。
「そうか」
その声の響きに、エスタトゥーアはおどろきを以て彼を見る。双子姫を知らない者にとっては、新しくただ人形が作られるだけのことだろう。なのに、微笑ましいと言わんばかりのどことなくうれしそうな声音は、聞きおぼえのあるもので……どうしてずっと気づかなかったのかと思うほどだった。
βからの付き合いなのだから、そこそこともに戦い、その時間も長かったはずなのに、灯台下暗しにもほどがある。ゴールデンウィーク中の平日なので、職場は今日も市民の皆さまであふれていて大混雑だったので、休憩も交替で取り、業務に関すること以外話すこともなかった。さすがに空気を読んだのか正規職員は休まなかったのだが、外部スタッフは何人か休暇を取っていたので、その忙しさに拍車をかけていたのである。
「アーシュから、連絡は?」
「特には」
アシュアからも、柊子からも話は聞いていない。紅蓮の魔術師自身が触れないのであれば、エスタトゥーアもそのことについて
そうか、と同じことばを残念そうな響きで繰り返し、彼は踵を返す。しかし、扉を押し開けようとした手が止まった。少しだけこちらへと振り向き、仮面の魔術師は念押しをする。
「火力が足りなければ呼んでくれ」
「――ありがとうございます」
仕事は仕事として、きっちりこなそうとするところはいつもどおりだ。
紅蓮の魔術師が扉の向こうへ消え、エスタトゥーアもまた軽く両腕を引いて、気合いを入れる。
そして、
かすかに槌を打つ音が、うすく雲のかかった空に抜けていく。目で追うように、フィニア・フィニスはそれを見上げる。窓から入る日射しが金色の巻き毛に弾かれ、テーブルに不思議な光を落としていた。セルウスは息もできず、その姿に見惚れ……まるで気持ちが通じたかのように、黄金の狩人は大きな空色の瞳に
そして。
「防音結界、手ぇ抜いたな?」
「違います! 長時間保てるように、音がやわらぐ結界にしてあるんです! 風の術石と併用しているので、日暮れまでは保ちますよ」
「へー」
「そんなこともできるんだね」
フィニア・フィニスとセルウスの前に、カローヴァの乳を入れたコップを置く。今、スープは温めているところだ。ちなみに、火は
よって、まずはせめて飲み物をと持ってきたところだった。厨房には入れない地狼は、厨房の扉から食堂のテーブルまでエスコートしてくれるのだが、あいにく両手は使えないので、ユーナが自力で運んでいる。
ふたりがそれぞれ礼を口にし、コップを傾ける。セルウスは早々と中身を空にしていた。先ほど散々水を飲みまくっていたのだが、まだ喉が渇くらしい。
「スキルポイントは大して振ってなくても、術式はわかるからね」
「今は盾士のスキルばっかり取ってるんだよな、セルは」
「それはもちろん、姫の御為に……」
ユーナは盆を胸に抱き、パンを取りに厨房へ戻った。紅蓮の魔術師が腕組みをして、かまどの前で火をにらんでいる。火の術石で起動するかまどは、自宅のコンロに比べると火力が強い。しかし、彼の微調整のおかげで、今はきちんと焦がさないように弱火になっていた。ユーナでは間違いなく焦げるコースである。
「混ぜるものは?」
「あ、はい!」
ふつふつと表面が煮立ってきたようだ。吊るされたレードルをひとつ手に取り、鍋に突っ込む。すると、横合いから手が伸びた。
「こっちはいいから、他のを」
レードルを引き受けて、紅蓮の魔術師がうながす。コクコクとうなずいて、ユーナは皿を並べ、パンをのせていく。
「――ああ、いけるかもな」
それを横目で見て、紅蓮の魔術師は何事か口の中でつぶやいた。ユーナに聞こえたのは、なんと、
「
パンの上を、炎の矢が疾る。
消し炭になる!?と焦ったユーナだったが、やや高めの位置で、しかも何にも当たらずにそれは消えたので、ただほんのりとした温かさだけをパンの表面に残しているようだった。
「よし」
満足げにうなずく紅蓮の魔術師だったが、それを見ていた者は、ユーナだけではなかった。
「こらっ! 厨房で
裏手の扉に、仁王立ちした料理人がひとり。
その怒号に、さすがに紅蓮の魔術師も身をふるわせたのを見て、ユーナは少し仲間だと思ったのだった。
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