第339話 ほっと一息


 紙に印刷されたように見えたが、左手首に巻かれた感触は紙ではなくとてもやわらかかった。数字やバーコード、QRコードなどが印字され、もちろん、「皇海ゲームショウ」と年号のロゴも入っている。貼り合わされたリストバンドに触れていると、皓星シリウスがのぞき込んできた。


「これなら失くさないんだろうけど、そのかっこうにはちょっと合わないな」

「レイヤー泣かせですね」


 苦笑しながら、日和エスタトゥーアも同意する。確かに、ファンタジーにあるまじき物品だろう。撮影時にはポーズで工夫するしか……!とこぶしをふるわせていた。今回は撮影ゾーンには行かない予定だが、それでもレイヤー魂が炸裂しているようだ。


「エスタさんは、いつもその……コスプレしてるんですか?」

「普段はもっと質がいいものを作っていますからね! 今回は本当に時間がなくて……これが実力とか思わないでいただきたいです」


 芽衣ソルシエールの問いかけに、日和エスタトゥーアが頬をふくらませている。

 それは回答だけど解答じゃないよね、と内心結名ユーナはツッコミを入れた。


「招待券のお客様用の控室はあちらです。開場まで今しばらくお待ち下さい」


 受付嬢はひとりひとりにリストバンドをつけたあと、ゲームショウのロゴの入った袋を手渡した。中にはゲームショウの案内が入っている。次いで、控室のほうへ全員で向かう――と、中にはかなりの人数が列を成していた。とは言え、結名的に見ても一クラス分、と言ったところである。控室というよりも、実際には招待客用の待機列の隠し場所という表現のほうが正しい気もする。但し、待遇が一般入場とは大違いである。屋内であることと、もう一つ、室内にドリンクバーが設置されていることだ。誰もが飲み放題を堪能しているようで、手に紙コップを持っている。

 結名ユーナたちは幻界ヴェルト・ラーイのアトラクションの開幕にあたる、10時ジャストの整理券番号一から八をゲットしていた。他の試遊台もあるのだろうが、開場から30分しかないという時間的制約を考えれば、幻界ヴェルト・ラーイのブースへまっしぐらしか選択肢はない。

 気持ちとしては早く並びたいのだが、その利点があまりないのが実情だった。迷わずドリンクバーへ向かう柊子アシュアの姿に、ぞろぞろとお供のごとく付き従う一角獣アインホルンの面々である。


「招待チケットって待遇いいわね……」


 しみじみとそのラインナップをながめる。おそらくは超お得意様への特別待遇を見越してなのだろうが、実際に並んでいる面々を見ると、家族横流し組がほとんどのような気がするほどのラフさだ。

 拓海シャンレンがそのとなりへと並び、紙コップをひとつ手に取った。


「エスプレッソメーカーまで置いてありますよ。あ、カフェラテでよければ淹れましょうか?」

「え、じゃあホットでお願いしようかしら」


 カフェオレ大好きな柊子アシュアの好みを踏まえた問いかけに、彼女の表情が輝く。拓海シャンレンはひとつうなずいて、結名ユーナにも声を掛けた。


「はい。ユーナさんもよろしければ」

「お……シャンレンさん、おまかせしちゃっていいんですか?」

「もちろんです」

「わたしもホットのカフェラテで!」


 まさかここで拓海シャンレンの実力をまた見られるとは……!と興奮しながら、結名ユーナはそばに行き、手元を見つめた。手慣れたようすで淹れていく彼の姿に、他の面々もまた目をみはる。


「へえ、すごいね」


 感嘆の声を上げる颯一郎セルヴァに、拓海シャンレンは愛想よく微笑んだ。


「皆さまの分もお淹れしますよ? えっと、シリウスさんはエスプレッソでいいですか?」

「うーん、ここあったかいからなあ。アイスコーヒーがいいな」

「僕はエスプレッソで!」

「少々お待ちを」


 マシンに紙コップをセットしつつ、紙コップに氷を入れていく。そのあいだに、たっぷりのフォームミルクが入ったカフェラテを柊子アシュアの前に置いた。マドラーを、軽く線を入れるように動かし……その白い円の、形を変えた。

 大きなハートの出来上がりである。


「――!」


 柊子アシュアの頬に朱が差し、拓海シャンレンの動作を見つめていた結名ユーナは歓声を上げた。


「ラテアート! かわいーっ!」

「はい、ユーナさんにもどうぞ」


 同じようにカフェラテを結名ユーナにも差し出し、ささっと上のミルクをハートに変える。結名ユーナは大きなハートを手に……すぐ、泣きそうな顔になった。


「シャンレンさん、わたし……お砂糖ないとつらいかも……」

「ですよねー」


 苦笑して拓海シャンレンはスティックの砂糖を渡し、合わせてマドラーもつける。少しその際にハートが崩れていた。ちょっとでも崩れてしまうと、やはり景気よく砂糖を入れられるというものである。結名ユーナがまぜまぜしている横で、熱いせいか、柊子アシュアは紙コップを持ったものの、ハートをにらむように見つめていた。


「わたくしはカフェモカをいただけますか?」

「はい」

「くっ、ハートは無理ですよね……」

「チョコで何か描いてみますね」

「まぁ♪」


 日和エスタトゥーアの可愛いものに目がないようすに、シャンレンは楽しげに肩をふるわせる。見た目は舞姫メーアだが、口調はエスタトゥーアという組み合わせがより拍車をかけていた。


「あたしは紅茶にしますけど……師匠はどうします? シャンレンさんに淹れてもらいます?」

「そうだな。せっかくだから、エスプレッソをひとつ」

「かしこまりました」


 拓海シャンレンがミニカフェを開いている中、柊子アシュアはやはりハートを睨んだまま列の最後尾へとひとり先に向かった。結名ユーナもまた彼女を追ってとなりに立つ。三人ごとに列を作っているようで、更にそのとなりには皓星シリウスが並んだ。


「それ、カラコン?」

「うん、使い捨てなんだって」


 日和エスタトゥーアもそれほど視力が悪いわけではないようで、普段コスプレの際には度なしのカラーコンタクトを使うらしい。紫のものは以前カラーコンタクトのお試しセットを購入した時の余りだそうだ。


「雰囲気出てるじゃん」

「っていうか、そっくりだよね?」


 エスプレッソを淹れてもらった颯一郎セルヴァが、柊子アシュアの後ろにつく。そして彼女の手の中にあるハートを見つけて、小さく笑った。


「飲まないの?」

「熱いのニガテなのよ。でも、身体冷えてたし……」


 眉をハの字にして、ほんの少しだけ、柊子アシュアは紙コップに口をつけ……そして、すぐに離した。やっぱり熱いらしい。


「替えようか?」

「ううん、そのうち冷めるでしょ」


 皓星シリウスのことばにかぶりを振り、ふーっとカフェラテの表面に息を吹きかけ、努力を開始する。エスプレッソで唇を潤して、颯一郎セルヴァ結名ユーナへと視線を向けた。


「さっきよりも、ちゃんとユーナに見えるね」

「まあ……コスプレだしな」


 髪の色も瞳の色も、顔つきの印象でさえも。

 日和エスタトゥーアの努力の結晶なだけあって、結名はちゃんとユーナに見えていた。ただ、違和感はあったが。

 皓星シリウスが言わない違和感とは別の意味で、颯一郎セルヴァは自分が抱いた感想を素直に口にした。


「初めて見た時は、どこのNPCかと思ったよ。シリウスの妹じゃないんだよね?」


 その時、皓星シリウスの反応が一瞬、遅れた。結名ユーナはあわてて付け加える。


「――ああ、親戚」

「えと、従妹いとこです」

「そっか。なるほど」


 おだやかに微笑む颯一郎セルヴァはとても大人に見えて、結名ユーナは何となく、担任の前にいるような心境になった。悪いことはしていないのだが、なぜか背筋がピッと伸びる感覚……あれと、同じものを感じる。


「ホント、そっくりだからびっくりしちゃうわよね」

「ああ、うん、最初見た時おどろいた」


 柊子アシュアのことばに同意した颯一郎セルヴァは――目を細めて、結名ユーナを見る。その表情がどことなく暗いものに感じて、結名ユーナは首を傾げた。


「あの? どこかおかしいですか……?」

「え、そうじゃなくって――あ、ユーナってリアルだとスタイルいいんだね!」


 あわてて言いつくろったことばに、柊子アシュアの踵が浮き、手が伸びた。

 颯一郎セルヴァの耳を摘まみ、軽く引っ張る。


「どこ、見てるのかなー……?」

「ごめん、失言でした……」


 素直に謝る颯一郎セルヴァに曖昧な返事を返すしかないほど、頭から湯気が出そうな結名ユーナだった。

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