第96話 話せばわかります

 宿の外に出ると、空には星が瞬いていた。見たことのない星の配置と一つ一つの強い輝きに目を奪われる。そういえば、幻界ヴェルト・ラーイの夜に宿を出たことがなかった……。


 足を止めていることに気づき、紅蓮の魔術師が振り向く。待たせていたと思い出して、ユーナはあわてて歩き始めた。当然、森狼もつき従う。

 夜の闇に覆われたアンテステリオンにはそこかしこに街灯があり、しかし大通り以外にはかぼそい光がまばらにあるだけで、かなり薄暗い。シャンレンが紹介してくれた宿は大通りを一本だけ奥に入ったところで、大通りにはまだ人がそこそこ行き交っていた。もっとも、こんな時間にうろついているのは旅行者プレイヤーだけのようだが。

 紅蓮の魔術師は宿を出る前に、ユーナにパーティー申請を飛ばしてきていた。「念のため」と言われたが、確かに、アンテステリオンは今日が初めてで、アンファングほど広くはないが、迷子に関しては前科者のユーナである。とりあえず、行先と帰り道を把握するべく、ユーナは地図マップを表示したままにしていた。

 そして、気づく。


「魔術師ギルド、ですか?」

「ああ」


 ユーナのアンテステリオンの地図マップは、ほとんどがまだ色づいていない。しかし、大通りやランドマークになる建物はあらかじめ表示されているのだ。そこに今は三つの光点がまとまって表示されている。

 紅蓮の魔術師ペルソナの向かう先に、魔術師ギルドそれがあった。

 短い肯定を返し、ちらりと彼はユーナに視線を向けた。


「――中級を得たという話だったからな。術式マギア・ラティオを組み直すはずだ」

術式マギア・ラティオっていうのは、その杖のですよね?」


 ユーナの問いかけに、紅蓮の魔術師は術杖を軽くかかげて見せる。木製の杖には、びっしりと術式が彫り込まれていた。ユーナが見たところで、何が何やらわからない。そもそも、幻界文字には見えなかった。

 歩きながら、魔術師はユーナの疑問に答えてくれた。


 魔術師は魔術を扱う。魔術は術式の詠唱によって発動する。術式には必要とされる形式があり、その形式に則ることによって設定を変更できる。まず、初級の術式でその形式を学び、形式を知ることで徐々に設定変更を加えていき、自分のオリジナルの術式を開発することができるそうだ。この辺りはアンファングの魔術師ギルドでも習うらしい。しかし、初級魔術を一つ体得するまでにかなりの修行を要する上に、魔術の場合、慣れない詠唱に時間がかかったり、間違うこともある。剣なら振って当たればダメージになる一方で、MPの消費状況を気にしながら、連発もできない当初の魔術師は不遇を極めたという。

 だが、アンテステリオンの魔術師ギルドでは、初級魔術の術式を魔術文字で刻んだ術杖が販売されていた。どれも属性系統の一種類のみしかないが、これはたいへん画期的なものだった。

 術杖に刻まれている術式を、術式刻印という。術式刻印は魔術文字で構成されている。術杖があれば、本来は詠唱を必要とする魔術の発動を、術式刻印に触れる動作と、術句ヴェルブムのみで行うことができる。当然、口述するよりも間違いがなく、そのほうが早い。

 そして、魔術師は自身のオリジナルの術式を、術杖に自ら刻むようになったのだ。ほとんどの魔術師が木製の杖を選ぶのは、単純に彫りやすいからである。

 その話を聞いていて、ユーナはふと思い出した。アニマリートの腕輪に刻まれた紋様もまた、魔術文字ではなかろうか。彼女も腕輪に触れて、召喚を扱っていた。


従魔シムレースの召喚も、魔術なんでしょうか?」

「そこまで取ったのか?」


 逆に訊き返され、ユーナはうなずいた。テイムを取得したら、次のスキルまでの必要スキルポイントの8は表示される。ほかにも従魔使いテイマーを目指しているものがいるなら、既知の内容と思っていいだろう。問題は、融合召喚ウィンクルムのほうである。


「従魔術、と言えば、確かに従魔使いテイマーも魔術を扱うことになるだろうな。魔術であれば、術式マギア・ラティオを組める。もっとも……四六時中一緒じゃないのか?」

「そ、そうですけど……」


 森狼へと視線を向けながらのペルソナの指摘に、ユーナは言いよどんだ。必要があるのかソレ的響きに、少し動揺する。

 以前、森狼王クエストの詳細を、ペルソナは攻略板に上げていた。話せば話すだけ、すべて暴露されてしまう可能性も否定できない。そして、どこまで話すべきで、どこからは隠すべきなのか、ユーナは判断をつけられずにいた。

 そんなユーナに対して、敢えて追及せす、紅の魔術師は話題を変える。


「逆に、神官や精霊使いエレメンタラーが使う法杖に、術式刻印はいらない。神への祈りや精霊への願いが発動の条件だからな」


 むしろ、心を伝えるための方法としての、法杖である。刻むなどもってのほかというわけだ。

 法杖自体のランクが高ければ高いほど、神術や精霊術は発動しやすくなる。媒体として存在するため、杖という形でなくともかまわない。


「例えば、その指輪とか」


 ぽつりと指摘され、ユーナの表情が固まる。


「オープンチャットで話す時は、気をつけたほうがいい。

 従魔使いテイマーが精霊の名を口にすれば、誰でも耳を澄ませる」


 苦笑を含む低い声の忠告に、ユーナは肩を落とした。以前も失敗しておきながら、学習していない自分が情けなくなる。


「で、水の精霊術まで扱えるようになったのか?」

「使ったことはないんです。スペルスクロールで覚えただけで」

「なるほど」


 その声がやけに楽しそうに聞こえて、ユーナは顔を上げる。仮面は前を向いたまま、口元がゆるんでいる気はするが、やはり目が見えなくては表情を読み取ることはできない。

 その歩みが、止まる。

 目前には、石造りの建物があった。正面玄関の真上には、魔術師ギルドを象徴する紋章がかがげられている。魔術文字を刻んだ円環の中に、正方形を二つ組み合わせた星が浮かび、その内に一本の杖が立つ。夜にもかかわらず、転送門広場よりも多くの明かりが灯されていた。テイマーズギルドとは異なり、夜も営業しているようで、人の出入りが多い。


「ようこそ、魔術師ギルドへ」


 彼から発された歓迎のことばは、少しも歓迎の響きを持たず。

 まるで彼女に、この奥に入る覚悟があるのかを問うているようだった。


 ユーナは念のために確認する。


「あの、ギルドメンバー以外の立ち入り禁止とかないですよね?」

「そんなことをすれば、新しいギルドメンバーが増えないだろう?」


 ごもっともです。

 ユーナは自分の質問に恥ずかしくなり、両手でマルドギールを握り直す。その穂先には布が巻かれていたが、赤の宝玉はその保護のうちになかった。仮面の魔術師はその短槍越しにユーナを一瞥し、先に中へと進む。


「お手並み拝見といこう」


 音として発されることもなく。

 雑踏に紛れ、彼のつぶやきは夜に融けた。






 魔術師ギルドとはいえ、頸を落とした鶏を逆さにして血を集めていたり、あちこちで蛇がうねっていたりすることはない。そのギルドホールは、先日見た、にぎわいを取り戻したテイマーズギルドのような雰囲気を持っていた。違いといえば、そこかしこでくつろいでいるのがアルカロット産の装備をきらめかせる旅行者プレイヤーではなく、術衣ローブをまとい術杖を持った魔術師ばかりであることくらいだ。

 ギルドホールで受付と少し話をした仮面の魔術師は、衆目を集めながらユーナと森狼を手招く。ことばもなく案内された先は、地下への階段だった。石造りの階段は足音をやけに大きく響かせる。幾度めかの踊り場の先に、出口がようやく見えた。

 かなり、明るい。

 ユーナは目を細めながら、その開かれたままの扉をくぐる。

 真昼のような明るさが、ほのかな灯りに慣れた目に、痛い。

 魔術師ギルドの訓練場は階上のギルドホールの倍ほどの広さがあった。天井はすべてやわらかな光を放つ石造りで、どういうふうに作られているのかと一瞬真面目に考えかけたユーナだったが、幻界ヴェルト・ラーイの中なので、そこは言わぬが花だと察する。広々とした訓練場の外周には街壁の石と同じもので組み上がった魔術陣があり、この訓練場自体が結界の中にあることを示していた。その巨大な魔術陣の中に三つの魔術陣があり、今はそのうちの一つが使用中だった。……彼女によって。


 訓練用の木偶人形を前に、少女はひとり、立っている。

 右手には短い杖を持っていた。彼女の指先から肘ほどにも満たない長さで、スティックのように見える。それにはいっさいの術式刻印がなく、表面はやすりか何かで丁寧に磨かれているようになめらかだった。

 真っ黒のとんがり帽子が、ゆっくりとした彼女のことばに合わせて揺れる。


「――我が魔力マズィアエ雷となりてムータルトトゥルトニ前方の敵を打ち倒せインピトゥミミカァルマンテ――雷迅光ラートゥム・レイ!」


 おぼつかない口調で、少したどたどしくつむがれたそれは、術式マギア・ラティオのように聞こえた。

 振り下ろされた杖の先から、かすかに稲光が見えた、気がした。しかし、それで終わる。

 木偶人形は変わらず、そこに立っていた。


「っ……」


 ぷーっとふくれた少女の頬を見てなのか、それともあまりにひどい術式詠唱のためなのか、仮面の魔術師が口元を押さえて肩をふるわせた。

 何故術式が失敗したのかもわからないユーナは、何が笑うほどのことなのかもわからず、紅の魔術師の術衣を引っ張った。


「あの……?」


 説明を要求しようとしたのだが、その前に、彼女が気づいた。

 こちらを振り向いた日本人形は、顔を真っ赤にして、杖の先をこちらに向けて振りまくる。


「なっ、何で見てるんですか!?」

「……ここに来たら、見えただけだ」

「何でここにいるんですかっ!?」

「そんなこと、決まってる」


 仮面の魔術師はようやく、肩のふるえを止めた。

 楽しげな口調はそのままに、彼女に向き直る。


「お前が売った喧嘩を、わざわざここまで買いに来てやったんだ。……彼女がな」

「え?」


 手に持った術杖の頭部を、となりのユーナに向ける。ユーナは話が飲み込めず、問い返した。

 逆に、魔女は息を呑む。その脳裏で、さまざまな出来事がつながっていった。



 アンテステリオンで再会し、そのまま逃げた師匠。

 従魔使いテイマーの一行との、事情を知らない者に聞かれたくない話。

 先を急ぐ、理由。


 いつもは青の神官様のことを口にしても、冷たい目で聞き流す師匠が、めずらしく声を荒げた。

 最初は、パワーレベリングしてほしいと、泣きつかれたのだと思っていたけれど、拒否されたことで、青の神官様とあのパーティーの深い関わりが見えた。


 何なの、うちの師匠。

 がんばって追いつこうと思って、攻略がんばってたのに、いつの間にか戻っていたりして。

 先に行けとばかり言うけど、自分には振り返ってもくれない。

 結局、まだ追いつけないのだと、連れていってもらえないのだと、そう思ったから。

 とりあえず、認めてもらうために強くなるしかなくて……。



「――まさかっ、あなたが、青の神官様が癒した初心者ルーキーってわけ? じゃあ、あの金髪の子はMVP? だから、あんなに……やだ、あたしサイアクじゃないの。ホント」


 前髪を掻き上げ、最後に深々とため息をつき、ソルシエールは目を閉じた。吐息とともにうつむいた顔が、さらさらの黒髪に覆われていく。

 真っ黒いとんがり帽子と、真っ黒い髪で彼女の視界が染まった時。

 弾かれたように、魔女は頭を上げた。


「わかりました。やりましょう」


 ――何をですか?


 覚悟を決めた魔女と紅蓮の魔術師が、互いのまなざしを交錯させ、同意を示している。

 その一方で、当事者のはずが、完全に蚊帳の外に置かれたまま話が決まってしまったユーナは、ふたりの間に視線を行き来させ、そのあまりの無反応に途方に暮れて、肩を落とした。

 フン、と森狼が鼻を鳴らす音が、聞こえた。

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