第341話 お父さん、お願い待って

 父は招待券の受付嬢に、手近な空き部屋をたずねた。すぐとなりに特別応接室とやらがあるそうで、そちらへと向かう。やや早足で歩く父の後ろを、結名と皓星もまた急いだ。淡いグレーの床を、三人の靴音が反響していく。


「入って」


 父は扉を開き、中へとうながした。明かりが点き、空調が動いているものの、立派なソファセットが設えられた室内は無人だった。その名の如く特別な客をもてなすための場所なのだろうが、時間が早いため、準備だけ済ませてまだ使われていないようだ。

 後ろで、扉が閉まった音がした。

 結名は振り返り、父を見る。しかし、父は結名ではなく、室内へと視線を向けていた。


「とにかく、早くしないとな」


 少し焦った声音に、結名は唇を引き結ぶ。唇に乗ったリップグロスの感触が、否応なく現状を思い知らせた。


「結名」

「――はい」


 立ったまま、結名は父の声に神妙に応えた。父の表情は険しい。

 怒られて、このまま着替えて帰るようにと言われる未来が視えた。


「叔父さん、結名にこんな格好させたのはさ」

「皓星君も、何でもっと早く言ってくれなかったんだ」


 苛立ちのままに父は言いつのる。皓星はその剣幕に口をつぐんだ。


「お父さんが来なかったらどうするつもりだった?」

「……」

「きっと、そのまま会場入りして、わからなくなってたよね」


 父の顔から、結名の視線はどんどん落ちていく。せっかく父が楽しめるようにとチケットを用立ててくれたのに、断りもなく変わった恰好をして、自分自身で台なしにしてしまった。藤峰結名という個人を隠すつもりだったが、こうして幻界ヴェルト・ラーイのユーナそのままの姿で臨むことになり……いつだって、断ることも、拒否することもできたはずだ。自責の念が結名の呼吸を苦しくさせた。


「結名? お父さんの言ってること、わかる?」

「――はい」


 返事をするのがやっとだった。

 視線は落ち切って、足元のサンダルを映す。綺麗に磨かれた爪先が、自分の浮かれっぷりを物語っていた。


「今度から、こういうことをする時はちゃんと教えてほしい。撮り逃したらたいへんだからね!」

「……はい?」


 素直に結名はうなずこうとした。しかし、父の発言の中身がイマイチ理解できず……中途半端な返事になる。顔を上げると、父はスマホをかまえていた。即ち、カメラのレンズが結名に向いている。

 響くシャッター音。次いで父はかぶりを振った。


「ダメダメ、もっと笑って! せっかくそんな恰好してるんだから、笑顔じゃないと!」

「お、とう、さん?」


 笑顔を注文され、結名はあっけにとられたまま父を呼ぶ。しかし、父はスマホのカメラ調整に忙しかった。


「応接室だから、ソファ映っちゃうなあ……」

「叔父さん、そういう時は壁を背にして撮ればいいんだよ。ソファに座らせてポーズとか」

「なるほど! 結名、まずは壁の前に立って!」


 不満げな父のことばに、なぜか皓星がアドバイスをし……その案は即、採用された。

 こうして、父と従兄によるユーナ撮影会が始まったのである。


「すごいなあ、コスプレって。こんなに印象が変わるんだねえ。すっかりファンタジーな感じじゃないか? ほら、昔のイギリスとかの」

「エスタ……結名のコスプレ手伝ったひと、趣味でよくコスプレしてるらしくて。本人もしてただろ?」

「ああ、あの小さい女の子? 中学生なのに?」

「いや、あれでオレより年上の社会人だから」

「えええっ!!? 結名より年下かと思ったよ!?」


 お互いのスマホを交換し、ピクチャーのフォルダをチェックしている父と従兄の姿をちらりと見て、結名はソファに座ったままぐったりとのびた。


「とにかく、全部一旦結名フォルダ入りで」

「了解」


 真剣な表情で打ち合わせを終えたようで、スマホを戻している。結名はソファで寛いだまま、つぶやいた。


「もう結名フォルダ消しちゃおうよ……」

「お父さんの魂の結晶だからね!? 消さないよ!」


 全力で拒否された。

 結名生誕前、言うなれば母の妊娠期間より写真撮影は日常化し、誕生後はそれこそ静止画も動画もクラウド上で延々と残されている。しかし、どういう写真や動画なのかを、結名自身は知らない。以前、結名フォルダを見てそのまま削除しようとした前科があるため、両親どころか伯父伯母従兄からも、自分のフォルダにも関わらずデータを見せてもらえないという憂き目に遭っているのだ。

 実はテラどころかペタになっていることは、本人にだけナイショである。


「あ、そうだ」


 皓星は自分のスマホを操作した。そして、結名の座るソファの背にもたれ、自撮りモードで画面を映す。伸ばした腕の長さだけ、結名もまたレンズに収まった。その画面を見て、結名は背を浮かせようとした時――連射モードでシャッターが切られた。


「皓くん! それ!」

「これだけあれば一枚くらい、いいのあるだろ」

「自撮りしなくても撮ってあげるよ? あとでお父さんとも撮ろうね、結名」


 はい、ポーズ。

 父の声に、皓星の手が結名の肩に伸びる。引き寄せられたおどろきに、結名は目をみはった。

 シャッター音が響く。


「ほら、笑って」


 ダンディさを投げ捨てたように、ニンマリと父が笑う。その表情に釣られて、結名も思わず笑った。


「あ、いいね。じゃあ、交替で!」

「今のはすぐ欲しいから、あとで交換で」

「ふふ、いいとも! あー、お母さんもいっしょに撮りたかったなあ」


 皓星の手が離れ、父に場所を譲る。結名はソファ越しではなく、自身のとなりの座面を叩いた。


「お父さんはこっちがいいな」

「よし! カッコよく頼むよ!」

「わたしを可愛くじゃなくて?」

「結名はもともと可愛いよ」


 そんなやり取りのあいだにもちゃっかりスタッフ証を外し、胸ポケットに隠している父である。ダークスーツに身を包んだ父は企業戦士然としており、結名にとってもカッコよく見えた。その父がピースサインをしてカメラに向く。

 肩をふるわせながら、結名もまたピースした。そして、耳慣れたシャッター音に、自然と破顔するのだった。


「それにしても、いつのまにこんなに育ってたのかなあ……」


 不思議そうに胸元へと視線を落とす父に、結名は自分の胸元へと手をやった。軽く持ち上げると、よりしっかりと谷間が強調される。


「いつもの服だとこんなの、わかんないよね。エスタさんが服の隙間からのぞかれないようにって調整してくれたの」

「ちゃんと下着、自分に合うのを買うんだよ?」

「はぁい」


 言われなくてもそのつもりです、という内心はきれいに隠して、結名は返事をした。ふと、視線を皓星に向けると、何故か彼は反対側のソファで頭を抱えていた。よく見ると、抱えているのではなく……片手にはスマホを持ち、何やらぶつぶつ言いながら操作をしている。


「――ホント、エスタGJ……」

「何?」

「いや? 叔父さん、今の送った!」


 身体を起こしながら、皓星は片手の親指を立ててみせる。同じく父もそれを返した。


「早いね!」

「それにしても、コスプレって撮影可能エリアじゃないと撮っちゃダメなんじゃないの? ここっていいの?」


 撮影会をされながら、結名はずっと考えていたことをたずねた。

 一瞬沈黙が走り、次いで、父がコホンとわざとらしく咳払いをする。


「結名、いいかい? お父さんはコスプレイヤーを撮影したんじゃなくて、一人娘を撮影したんだよ」

「そうそう。オレも従妹を撮影したんだよ」


 凄まじい屁理屈が帰ってきた。

 結名は表情を引きつらせながら、立ち上がる。


「もういいけど……そろそろ戻らなくちゃ」

「そうだね。お父さんもきっと探されてるだろうなぁ……」


 心底嫌そうに父も立ち上がる。そして、肩くらいの身長の娘を見下ろし、微笑んだ。


「その恰好だと、結名って言われなかったらわからないだろうね」

「ああ、うん。そのためのコスプレ。やっぱり警戒しとくべきかなと」

「考えたねー。確かに、結名がわざわざ着飾ってコスプレしてるとは思わないよなあ」


 皓星のことばに、父は大きくうなずく。逆に結名は首を傾げた。みんながみんな胸ばかりを指摘するので、そろそろ胸のおかげで自分結名だとバレずに済んでいるような気がしてきたくらいである。


「そんなにちがう?」

「あ、お父さんだって、前情報あったら絶対わかってたからね!?」


 ゲームに目の色を変える娘の背中を見てきた父としては、気づかなかったこと自体がかなり不満のようだ。扉に向かい、そのドアノブに手を掛けて父は振り向き、あらためて二人に釘を刺した。


「ここでのことは、絶対ナイショで! お父さんのクビが掛かってるからね!」

「そんな危ないことしないでよ!」

「あはははは……うわ、本当にやわらかいね、髪……」


 正論を吐く結名の頭を撫でてその感触におどろきつつ、父は扉を開いた。

 その足が止まる。

 父と扉の間から、その光景は結名にも見えた。


 扉の向こう側には――柊子アシュアを始めとする、一角獣アインホルンの面々が立っていた。 

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