第342話 だってほら、私たち
「ご挨拶が遅れて失礼いたしました。皇海学園大学三年の望月柊子です。片桐くんとは一般教養のゼミが同じで、ご縁を頂戴して、今は結名さんとも仲良くさせていただいております」
にっこりと微笑み、柊子はいきなり自己紹介をした。
その唐突さに瞬きをした結名の父だったが、同じように愛想よく微笑み、胸ポケットからスタッフ証を出して首へと掛け直し、その表面を示した。
「ご丁寧に、ありがとうございます。結名の父です。皓星君の先輩?」
「はい。あの、結名さんのこと……」
その表情が沈む。
特別応接室だけあって、外に音は洩れなかったようだ。ユーナ撮影会は今のところバレていない。だが、その一方で、柊子たちはわざわざ列を外れて追いかけてきてくれた。しかも、意図的に「リアルの知り合い」であることを伝えようとしている柊子のことばに、結名は胸を押さえた。
「ちょっといつもとはちがう姿のほうが良さそうだったので、私たちもせっかくだしって悪ふざけしちゃって……お父さん、びっくりされましたよね」
「本当に!」
その父の返事が笑顔のままで、少し柊子の表情がやわらぐ。
そしてすぐそばにいた結名の肩を抱き、となりへと寄せる。
「娘の新しい一面を見ることができました。ご協力いただいて、ありがとうございます」
すると、エスタトゥーアが柊子のとなりへと出た。メーアによく似た顔が、真摯にことばを紡ぐ。
「……そうおっしゃっていただけると、こちらとしてもホッとします。
ユーナさんは素材が良すぎたので、ついついお人形さんにしてしまいました。一応、アレルギーの有無は確認した上でポイントメイクをしていますが、もし万が一のことがありましたらご連絡下さい。持っているのがコスイベント用のお名刺で申し訳ないのですが、書き加えている連絡先は私個人のものですので」
そう言って差し出した名刺は、表に月と蝶のマークが入ったものだった。コスプレイヤー名らしき「
父は反射的にそれを両手で受け取っていた。
「ご丁寧に、痛み入ります」
「エスタさん……」
柊子にとっては親友でも、結名にとってエスタトゥーアはゲーム内での知り合いにすぎない。その彼女が、ここまで心を砕いて配慮を示してくれているのは……他ならぬ、コスプレについて叱られた結名のためだとわかった。
「はじめまして」
そこへ、
「小川、拓海です」
「――ああ、君が!」
その名を、結名の父はおぼえていた。土屋の一件で結名を庇った男子生徒の名である。母が絶賛していたこともあり、風当たりが強くなるのではと、一瞬結名は心配した。しかし、父はそれこそ表情をあらため、居住まいを正し、頭を下げたのである。
「先日は、ありがとうございました」
「いえ、力及ばず……大事に至らなくてよかったと思っています。ご招待、ありがとうございました」
「お礼にもなりませんが、今日はぜひ……皆さんで、楽しんで帰って下さい。どうぞ、これからも娘と、甥をよろしくお願いします」
拓海のことばに、父はそう返した。そのまなざしは拓海だけではなく、その後ろに居並ぶ面々へとも向けられ、また小さく頭を下げる。それに応えるように、
その時、スマホの鳴動音がかすかに響いた。父はすぐにふところから取り出し、「少し失礼しますね」と断りを入れて通話に切り替える。
「すみません、今戻ります」
仕事の呼び出しだと、誰もがわかった。
一言だけ返して、父はすぐに通話を終了する。そして、結名へと向き直った。
「ちょっとゲームっていうものを見直したよ。お父さんは仕事だから、もう行くね」
「――うん」
「皓星君、結名をよろしく」
しっかりと皓星がうなずくのを確認して、父は他の面々にも会釈をして身をひるがえした。やや早歩きで、去っていく。
角を曲がって、その姿が見えなくなると……安堵のため息が、そこかしこから漏れた。
「あー……よかった。結名ちゃん、帰らなくていいのね?」
「はい。アシュアさん、ごめんなさい……」
わざわざ本名や所属まで名乗らせてしまったことを詫びると、察したように
「ここにいる
ぴらっと彼女が取り出したものは、二枚の名刺だった。皇海市のマークが刻まれたものと、皇海学園のマークが刻まれたものの二種類があり……。
「お父さんにも渡すべきかなって準備してたんだけどね」
皇海学園情報基盤センター情報システム部基盤システム開発グループ主任 森沢颯一郎、と書かれた名刺である。見慣れた自分の学園章に、
「え、あの、これ」
「ほら」
指さして困惑する彼女に、次いでもう一枚差し出された。
皇海市市民課 古賀真尋。
皇海市のマークの下に書かれた文字に、開いた口がふさがらない。
「あたし、名刺とかないんだけど……師匠とエスタトゥーアさんと、職場同じだから。あ、えっと、外部スタッフだけどね! 本名は徳岡芽衣っていうの。功徳の徳に、岡山とかの岡に、芽生えの衣」
「そ、そうなんだ……」
何が起こっているのか。
「結名ちゃんがね、不安にならないかなあって……そんな話になったの」
コスプレの件は、一応事情があってのことだと開き直ることができる。だが、事故的ではあったが、本名も、父親の仕事も、たかがゲーム内での知り合いにバレてしまったとなれば、これから先の付き合いに支障が出るかもしれない。
その時、残りの面々にこうたずねた。
「聞かなかったことにできますね?」
その真意は――今後、メンバーのリアルに関わらないでいられるかという、クランマスターとしての覚悟の問いかけだった。その答えが、名刺の呈示に繋がったらしい。
「職場にぎられてたら、怪しいことなんてしないっていう証明になるかなーと」
「俺はもうアーシュに渡してたからな」
あとは芋づる式だという。
結名は二枚の名刺をにぎりしめた。少し、ほんの少し、しわがついて、あわてて力を弱める。
「やっぱり、こういうのってご縁じゃないですか」
ことばにできない
「本当は……現実に、安易にゲームの人間関係なんて持ち込まないほうがいいとは思うんですよ。それは、今でも変わりません」
そのきっかけとなった土屋のことが脳裏を過ぎる。
そうだ。
彼は最初から、現実とゲームのちがいを口にしていた。
結名はうなずいた。続くことばを、もう知っている。
「でも、うれしいんですよね。こうやって会えると」
「うん……うん!」
現実とゲームの世界が違うことなんて、誰だってわかっている。
ゲームの世界の自分は、現実の自分よりも何にも持っていなかった。ただ、広がる世界へ歩み出したら、幾つもの出逢いが待っていた。やりたいことをやりたいように選びたくても、できることとできないことがあるのは現実と変わらない。自由がゆえに更に迷う日もあった。
学校に通って、勉強して、受験して、いつか就職して。
そういう道筋がぼんやり見える現実と、
どんなふうに学校に通うのか。
どんなふうに勉強するのか。
何のために受験するのか。
何がしたくて就職するのか。
それと同じように、同じ道筋を行くにしても、方法を選ぶことができた。
ひとつの目標が、前を走っていた。
小さな魔獣が、ユーナに道を示した。
「だいじょうぶだって」
何の根拠も示さぬまま、皓星が結名の肩を叩く。
それが彼なりの信頼と……結名に対する責任感の発露であると、結名は知っていた。繰り返し、結名はうなずいた。
ゲームの中で得られたものなんて、現実には何一つ持っていけないと思っていたのに。
「――うん、ありがとう……」
自分の心は、キャラクターの中でも育っていた。
この胸にある喜びは、絶対にまぼろしなんかじゃない。
「いーのいーの。だってほら、私たち、友達でしょう?」
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