第248話 偶然と奇遇


「あれ、先輩、偶然ですね」

「ほんと、奇遇っていうか」


 結名を送ったカラオケ店から、ひとつ角を曲がったところで。

 いつ言うべきかとタイミングを計っていたかのように、黒縁眼鏡の大学生が口を開く。続けて、人目を惹くチートキャラ……腹黒交易商の中の人が営業用スマイルを柊子に向けた。


 ありえない。

 ありえないったら、ありえない。


 柊子は顔を真っ赤にして叫びそうになり……一度口をつぐんで、はーっと息を吐いてから、ふたりをにらみつけた。


「白々しいわよ、アンタたち!」


 言われたほうも自覚があったようで、皓星は視線を逸らし、指先で頬をかいたのだった。



 衆目を集める場所で怒鳴りつける趣味はない。まして、アーケード街のどまんなかである。結名が心配で……と皓星と拓海のふたりに口をそろえて言われてしまうと、先日の事情を聞き及んでいる身としては、「仕方ないわね」と片づけるしかない。

 そんなふうに思わせるような話の流れで、ふと、柊子は冷静に物事を考え直した。

 アーケードなので日は射さないが、一応日中真昼間である。結名を狙うような不届き者は片づいたからこそ、明日のゲームショウに行く話が出たのではなかったのか。しかも。


「ちょっと待ちなさいよ。改札からは私とずっといっしょだったし、カラオケまで送ってったんだから、別に片桐くんが見守る必要なくない? まして、何でレンくんいるの」

「バレたぞ、小川」

「いえ、それバラしてますから……」


 正直に話を振る皓星に、さすがの拓海も苦笑いである。

 どんどん目を細め、不機嫌さが増していく柊子のさまに、拓海は気を取り直して本題に入ることにした。別段、怪しいつもりはない。柊子から見ると、拓海が営業スマイルを貼りつけ直した時点で、怪しさは増しているのだが。


「もちろん、藤峰さんのことも心配だったんですけど……姐さん、これからのお時間、ご予定ありますか?」

幻界ヴェルト・ラーイ


 間髪入れずに返ってきた答えに、営業スマイルが引きつる。フン、と鼻を鳴らす女子大生というレアなものを目の当たりにし、少しいたいけな高校生の心境を傷つけられつつ、拓海はことばを続けた。


「わかりました。では、立ち話も何ですから、落ち着いて座れる場所にまいりましょう」


 さりげなく柊子の予定は無視されている。

 用事があるなら幻界ヴェルト・ラーイで話せばいいのにと思った瞬間、あちらでは話せないことなのかと納得した。いささか投げやり気味、心底仕方なくといった風情でうなずく柊子に、では、と拓海は先をうながす。すぐにその後ろを、皓星が追う。

 が。


「あ、そうそう。――その服、とてもお似合いですよ」

「それだよ。明日結名とおそろいって思ってたのに、マジ騙された……」


 ぴたりと足を止めて肩越しに振り返り、満面の笑みを見せる拓海と、前を向いたまま不満げにぶつぶつ言う皓星に。

 柊子は顔を真っ赤にして、ミニショルダーバッグを大きく振りかぶり……ふたりの背中に流れるようなスイングを放ったのだった。


「!」

「ぃてっ」

「いいから、サクサク歩く!」


 声なく笑い続ける並んだ背中に、今度は蹴りを入れたくなったが、柊子は自分の服装を見下ろしてあきらめた。丈が短すぎる。正直、前を歩いてくれて助かったとため息をまた吐いて……彼らなりの配慮と、ようやく思い至ったのだった。




 徐々に、アーケード街から遠ざかる。柊子にしてみると慣れない裏通りを、どちらかというと皇海学園のほうに向けて歩いていくようだった。向かう方向は、先日の拓海のバイト先でもない。当然、アーケード街に比べて徐々に人通りは減っていくのだが、すぐに車道のある歩道となり……とあるマンションの前で、拓海は一旦立ち止まった。


「ここです」

「へー、こんなに高等部と近いんだな」

「ええ、8時すぎに家を出ても余裕で間に合いますよ」


 首をかしげる柊子をさておき、そのままエントランスに入る。集合住宅用インターホンのボックス前で、拓海は慣れた手つきでボタンを押した。


『はい?』

「母さん? 連れてきたよ」

『あー、うんうん。入ってー』


 ――母さん!?


 エントランスの自動ドアが開く。拓海は先に開かれたドアの狭間部分に立ち、笑顔で招いた。


「どうぞー」

「ここ、レンくんちってこと? 何考えてんの!?」

「ほら、近所迷惑になりますから、先輩」


 柊子の叫びに、実際、受付から管理人が顔を出してきた。あわてて柊子は口をつぐみ、愛想笑いをする。拓海が何事か受付に話をしにいくあいだに、皓星が「閉まるから」と柊子をエントランスホールへ押し入れた。

 分譲マンション、と一目でわかるほどのゆとりの空間をながめながら、柊子は途方に暮れる。どうしてこんなことになったのか、さっぱりわからない。戻ってきた拓海は、困惑した表情の柊子を見て、皓星へと視線を向けた。めずらしく不安になったようすの拓海に、皓星は口の端を上げる。


「だいじょうぶだって。八階だっけ?」

「ええ」


 押された番号を見ていたようで、皓星は拓海に階数を確認しながら、エレベーターホールへ歩き出す。勝手知ったるも何も初めて来たマンションのはずだが、どこもエレベーターのボタンは変わらない。一階で開かれたままになっていたエレベーターにすぐ乗り、ボタンを押す。


「……私、何も手土産用意してないんだけど……?」

「要らないでしょう」

「むしろ持ってたらびっくりです」


 平然とした皓星と、コメントは冷静な拓海と、妙にずれた会話をしているあいだに目的階へ到着する。

 一番奥の表札が「小川」だった。パーソナルスペースになっている門から、ガーデニングの植木鉢がラティスに飾られていて目にも楽しい。拓海の母の趣味がよくわかる、と思っていると、玄関扉が開いた。


「おかえりー、いらっしゃい! さあ、入ってー」


 どこがお母さん?と言いたくなるような年齢不詳の女性が、にこやかに応対してくれる。拓海とはまたちがう雰囲気を持つが、明らかに先ほどのインターホンの声と同じだ。


「こんにちは、お邪魔します」


 無礼も何も、不意打ちすぎるのである。それでも、拓海の母に「どうやったらこんな息子に育つんですか」とは言えない。柊子は持ち前の愛想のよさで挨拶した。門を開けたまま、拓海は柊子を先に通す。

 そして。


「こちらが望月柊子さん。大学の人なんだけど、いつもこんな感じみたい。全然わからないらしいから、よろしく」

「うんうん、洗顔から教えるから大丈夫! じゃあ、さっそく始めよっか」


 

 柊子の脳がさまざまな事象に対する理解を拒否する中、拓海の母は笑顔のまま凍りついた柊子の頬を両手で挟み込む。


「若い……これは仕込み甲斐がある……ちょっと、何なの、モロモロしてるし! せっかくの若い肌がぁぁぁっ」


 きっちりネイルもメイクもしている美魔女と、自身の母の在り様を思い出し、柊子は気が遠くなりかける。そこに、彼女からと思しき匂いが、ふんわりと香った。基本的に化粧品コーナーの匂いが苦手な柊子なのだが、これはそれほどきつくない。

 そして、母に柊子を差し出した拓海は、無情に言い放った。


「じゃあ、おれたちはちょっと出てるから」

「はいはい、いってらっしゃい」

「えええええっ!?」


 まさかの置き去り宣言である。

 しかも拓海母、無問題ノープロブレム的に受け入れている。柊子はあまりの出来事に拓海へと振り向こうとした。しかし、拓海母のやわらかな手は柊子の頬をふんわりかつがっちりと押さえていて、それを許さない。振り返ることすらできないまま、柊子の背後から拓海の声が響いた。


「うちの母は一応ビューティーコンサルタントもできるひとですから、一から教わるといいですよ」

「レ……小川くん、ちょっと待ってお願いだから」

「いやあ、皓星さんはほら、メイク習わなくていいですから」

「メイクどころかスキンケアからね、これ……」

「いえ、あの、小川くんのお母さん?」

「お義母さんって女の子に呼ばれるの、いいかも……」

「職場、女ばっかりって普段愚痴ってるくせに」

「それはそれ!」


 小川親子と柊子の一連のやり取りをながめながら、皓星はひたすら肩をふるわせている。残念ながら、柊子には見えない位置だったので、彼女は気づくことのないまま、小川家に引きずり込まれていった。

 せめて、とその背に皓星は声を掛ける。


「先輩、ではまた明日ー」

「何がまた明日よー!?」


 明日のゲームショウでは一味ちがう柊子に会えると確信する皓星と、次帰宅するのが少々怖い拓海である。

 そして柊子は、拓海母が化粧品メーカーの取締役の一人であると知り、スキンケアから軽いマッサージ、更に普段使いのメイク法からフルメイクまでを、半日コースで教わった。帰りにはお土産の試供品を大量にプレゼントされ、拓海母……由美奈に、足を向けて眠ることができなくなった柊子は、心からの感謝を述べて辞去したのだった。拓海の帰りを待たずに、というところが、彼女のせめてもの復讐だったりするのは、言うまでもなかった。

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