第309話 ほころび


 語らいのさなかも、弓手セルヴァは静かに索敵ノティーティアで周囲を警戒していた。フォルティス王の頭上には緑の名前が掲げられ、また彼自身を見ていても敵に切り替わるようすはない。しかし、先ほど王の命により下がった魔物たちはちがう。今もなおこちらをうかがい、いつでも喰らいつけるように虎視眈々と狙っているのだ。しかも、弓手の索敵範囲にある赤い光点エネミー・アイコンは――徐々に増えつつあった。

 王の御前で弓引く真似などしたくもないが、油断はできない。弓を肩に掛けることなく手に持ったまま、地図マップを視界の端に浮かべ続けていた。

 となりに立つ紅蓮の魔術師もまた、弓手同様術杖をかまえ、その指先は杖を撫でている。その朱殷の瞳が、前方へと向いた。


「最近、変わったこと?」


 おうむ返しに問いかけを口にするフォルティス王へ、青の神官アシュアはうなずく。

 本来、王家の霊廟へ再訪することになったきっかけは、フォルティス王の幻影の出現である。以前、ソレアード王を倒すまでには出現していなかったことから、以後に異変が起こったか、もしくは……自身たちの訪れ自体が、異変だったのではないかとも、アシュアは考えていた。


「ええ、例えば……王家の霊廟の外に、お出ましになられたりとか」

「むぅ」


 否定ではなく、迷いが表れた。

 フォルティス王は、虚ろの眼窩を持つ頭部を闇の奥へと向ける。


「――ソレアードの墓室にて、そなたたちと別れたあとのことだが……記憶が曖昧でな」


 情けなさ。

 もの悲しさ。

 そういった響きを持つ答えに、アシュアは更に問いを重ねるべきか悩んだ。


「何、力の使いすぎだろう。ソレアードの枕元におったこと以外、何をしていたかもおぼえておらぬ。どれほどの年月が流れたのかもわからぬとは、年には勝てぬわ」


 既に死した王は、茶目っ気たっぷりにそう言い放った。

 見た目が以前と同じものであれば、アシュアもごく普通に笑い返せただろう。だが、相手は――みすぼらしい姿を晒す、不死者アンデッドだった。鏡があれば、彼自身も異変に気付いたかもしれない。虚ろと成り果てた眼窩でも、こちらは見えているのだから。


「ふむ、不死鳥フェニーチェの力やもしれんの」


 幼女アデライール不死王ノーライフ・キングフォルティスへと歩み寄る。そして、こともなげにその手の位置へと自身の手を伸ばしてみせた。

 不死鳥の宝珠の指輪、不死王フォルティスの装備品のひとつである。


「これが……? 確かに、ただの魔石ではないとは思っておった。おばばさまは、このようなものが王城にあると知っておったのか」

「どこにあるのかまでは知らなんだがの。飛べもせぬ老いさらばえた身で、イウリオスを守るためにはあれしかなかったのじゃ。我が力のかけらを従魔の宝珠として切り離し、礎とすることで不死鳥フェニーチェの結界を生み出した……まあ、一時の気休めではあったが、今も王城があるということは、時間稼ぎくらいには役に立ったようじゃの」


 触れることはできない。

 ここにあるフォルティス王は幻である。それもまた、不死鳥の宝珠の効果と思われた。

 不死鳥幼生アデライールは、その赤を撫でるように手を下ろした。


「王家の霊廟の泉に、フォルティス王の幻が現れ……ゆえに、王族から我が一角獣アインホルンが真相究明の依頼を頂戴したのです。フォルティス王自身におぼえがないとなると、不死鳥の宝珠の暴走とかですかね?」

「レンくん、もっと怖い予測やめて」

「あはは」


 憮然とするアシュアに、シャンレンはごまかしたっぷりの笑い声をあげた。


『むしろ』


 それは、パーティーチャットで発された。

 紅蓮の魔術師の予測だった。


『無意識だからこそ、そこまで力が発現したんじゃないのか? フォルティス王自身が、暴走しかかっている可能性もある』


 一角獣の面々の表情がこわばる。

 空気が変わったことに、声を聞いていないフォルティス王も首をかしげた。


「とーさま」

「ととさま」


 鈴を鳴らすような声だった。

 魂が持つ音なのか、双子姫の声質は幻であったころと変わらない。ただ、見た目は三歳の……むしろもっとか細かったころよりも十歳以上も年を重ね、母を見習い、舞姫に戦い方を学び、骸骨執事アズムから受けた立ち居振る舞いの所作の教えが、彼女たちの中に息づいている。

 父王に寄り添うように双子姫は立ち、父を見上げる。

 そして。


「おばばさまに、不死鳥フェニーチェの宝珠を返してあげて下さい」

「おばばさまには、その力が必要なのです」


 両手を胸元ににぎり、切々と願ったのである。


「おばばさま、かわいそうなのです」

「おばばさま、ずっと悩んでおいでです」

「とーさま、お願いなのです」

「ととさま、ダメですか?」


 無垢な子らの、純なる願いのことばの羅列は不死鳥幼生アデライールの胸を打った。主を前にして言い出せない年寄りの義理立てを、双子姫は察していたのである。


 だが、双子姫は気づいていない。


 不死鳥の宝珠を、フォルティス王から奪えば――今のように、その姿を墓室の外へ晒すことができなくなる。封じられたソレアード王と同様、墓室の中でのみ動くことができる不死者アンデッドとなるだろう。ソレアード王の目覚めまで、その眠りを守るつもりでいたフォルティス王にとって、同じ王家の霊廟に葬られながら、再び顔を合わせることはできない事態は……受け入れられまい。

 王であるならば、父と子が別々の墓室に葬られるのは道理だ。だが、熱病の病原菌を持つ遺体であったことで、ふたりは互いに泉下へ旅立つことができなかった。同じく、双子姫たちもだ。今、双子姫の亡骸はフォルティス王の墓室に共に葬られ、魂のみが自動人形オートマートスの中にある。どちらも孤独のままに、永劫の闇の中で過ごすこととなるのだ。


「わたしからも、お願いします」


 そのことばに、アデライールは振り向いた。金の双眸が大きく見開かれ、己の主を映す。

 ユーナは頭を下げていた。


「アデライールに、力を取り戻してあげたいんです。まだ、転生して間がなくて……不自由かけて、我慢ばっかりさせちゃって」


 更に、深く、彼女は頭を下げた。


「どうか、お願いします。同じものは無理だけど、代わりのものを見つけてくるとかがんばりますから……!」


 追随するように、不死伯爵もまた跪いたまま頭を下げた。地狼はその場に伏せる。

 不死鳥幼生アデライールは、ことばが出なかった。


「――そなたたちの考えはよくわかった」


 厳かに、フォルティス王の声が響いた。その手が上がり、闇を指さす。


「この姿はまぼろしなれば、授けることができぬ。我が墓室を開くがいい」

「……本気か、フォルティス王よ」


 呻くように、不死鳥幼生アデライールは声を上げた。

 それは、一角獣アインホルンとの戦闘を意味している。


「褒美としてくれてやることができぬ以上、他に取るべき手段はあるまい」


 虚ろのまなざしから感情はまったく読み取れない。淡々と続けられたことばは覚悟に満ちていた。


「我もまた、ソレアードのようにこのままではおれぬ。不死王ノーライフ・キングとしてそなたたちへ牙を剥くこととなろう……」


 不死伯爵は目を伏せた。彼もまた、覚悟の上で戦いを望んだことがある。幾度となく滅びを迎え、また闇の中で目覚める日々をおぼえている。無為にも思えたあの日常が終わったのは――他ならぬ、自身の主が差し出した手があったからこそだ。


「とーさま、牙生えますか?」

「ととさまのお口、アルタクスみたいになりますか?」


 むー、と不満げに首をかしげる双子姫に、不死王の口元がゆるむ。


「どのようなことになったとしても、我が娘であるそなたたちを傷つけることはせぬ。ソレアードが成し得たことを、父である身でできぬはずがないからな。よって、そなたたちの手で不死王ノーライフ・キングフォルティスを倒し、その戦果として受けるもよかろう」

「とーさまを倒す?」

「け、喧嘩はならぬのです!」

「フォルティス王、それは――」


 エスタトゥーアはかぶりを横に振った。

 誰よりも父王を敬愛している双子姫に、その選択肢はありえない。

 その意図は伝わった。


「そなたたちに倒されようとも、不死者アンデッドたる呪われし身に終焉が訪れることはない。しばし眠るだけのこと、そう気に病まずともよいぞ」

「気にせず父親ぶったおすような娘のほうがいいのかよ」


 うなるように黄金の狩人フィニア・フィニスが言い放つ。空色の瞳は細めらせ、苛立ちのままに燃え上がっていた。虚ろによってそれを受け止め、フォルティス王はその子どもが、かつて従魔の宝珠を提供した勇士であると思い出す。


「勇ましいところは変わらぬな。

 確かに、そこまで割り切ることができるのであれば、これから先、父は心置きなく闇に沈むことができよう。しかし……我が姫は見た目ほど中身が育っておらぬようだ。

 我もまた狂気に足掻いてみせるとも。どれほど我が身を抑えきれるかはわからぬが、我が腕を断ち、そなたらが逃走する時間は稼ごうぞ。扉は開け放たれたままになろうが、致し方あるまい」


 フォルティス王の姿が、ゆっくりと闇に融けていく。

 薄れる深紅の外套に、双子姫は手を伸ばした。


「とーさま!」

「ととさまぁっ」

「姫よ、そなたたちが再び闇に囚われぬよう、父は心から願っておる……」


 どれだけつかみたくてもつかめない幻影が、完全に消えた。

 魔力光セヘル・フォスにきらめくグラスアイは、父王の姿をなお求め、闇に目を凝らすのだった。


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