第309話 ほころび
語らいのさなかも、
王の御前で弓引く真似などしたくもないが、油断はできない。弓を肩に掛けることなく手に持ったまま、
となりに立つ紅蓮の魔術師もまた、弓手同様術杖をかまえ、その指先は杖を撫でている。その朱殷の瞳が、前方へと向いた。
「最近、変わったこと?」
おうむ返しに問いかけを口にするフォルティス王へ、
本来、王家の霊廟へ再訪することになったきっかけは、フォルティス王の幻影の出現である。以前、ソレアード王を倒すまでには出現していなかったことから、以後に異変が起こったか、もしくは……自身たちの訪れ自体が、異変だったのではないかとも、アシュアは考えていた。
「ええ、例えば……王家の霊廟の外に、お出ましになられたりとか」
「むぅ」
否定ではなく、迷いが表れた。
フォルティス王は、虚ろの眼窩を持つ頭部を闇の奥へと向ける。
「――ソレアードの墓室にて、そなたたちと別れたあとのことだが……記憶が曖昧でな」
情けなさ。
もの悲しさ。
そういった響きを持つ答えに、アシュアは更に問いを重ねるべきか悩んだ。
「何、力の使いすぎだろう。ソレアードの枕元におったこと以外、何をしていたかもおぼえておらぬ。どれほどの年月が流れたのかもわからぬとは、年には勝てぬわ」
既に死した王は、茶目っ気たっぷりにそう言い放った。
見た目が以前と同じものであれば、アシュアもごく普通に笑い返せただろう。だが、相手は――みすぼらしい姿を晒す、
「ふむ、
不死鳥の宝珠の指輪、不死王フォルティスの装備品のひとつである。
「これが……? 確かに、ただの魔石ではないとは思っておった。おばばさまは、このようなものが王城にあると知っておったのか」
「どこにあるのかまでは知らなんだがの。飛べもせぬ老いさらばえた身で、イウリオスを守るためにはあれしかなかったのじゃ。我が力のかけらを従魔の宝珠として切り離し、礎とすることで
触れることはできない。
ここにあるフォルティス王は幻である。それもまた、不死鳥の宝珠の効果と思われた。
「王家の霊廟の泉に、フォルティス王の幻が現れ……ゆえに、王族から我が
「レンくん、もっと怖い予測やめて」
「あはは」
憮然とするアシュアに、シャンレンはごまかしたっぷりの笑い声をあげた。
『むしろ』
それは、パーティーチャットで発された。
紅蓮の魔術師の予測だった。
『無意識だからこそ、そこまで力が発現したんじゃないのか? フォルティス王自身が、暴走しかかっている可能性もある』
一角獣の面々の表情がこわばる。
空気が変わったことに、声を聞いていないフォルティス王も首をかしげた。
「とーさま」
「ととさま」
鈴を鳴らすような声だった。
魂が持つ音なのか、双子姫の声質は幻であったころと変わらない。ただ、見た目は三歳の……むしろもっとか細かったころよりも十歳以上も年を重ね、母を見習い、舞姫に戦い方を学び、
父王に寄り添うように双子姫は立ち、父を見上げる。
そして。
「おばばさまに、
「おばばさまには、その力が必要なのです」
両手を胸元ににぎり、切々と願ったのである。
「おばばさま、かわいそうなのです」
「おばばさま、ずっと悩んでおいでです」
「とーさま、お願いなのです」
「ととさま、ダメですか?」
無垢な子らの、純なる願いのことばの羅列は
だが、双子姫は気づいていない。
不死鳥の宝珠を、フォルティス王から奪えば――今のように、その姿を墓室の外へ晒すことができなくなる。封じられたソレアード王と同様、墓室の中でのみ動くことができる
王であるならば、父と子が別々の墓室に葬られるのは道理だ。だが、熱病の病原菌を持つ遺体であったことで、ふたりは互いに泉下へ旅立つことができなかった。同じく、双子姫たちもだ。今、双子姫の亡骸はフォルティス王の墓室に共に葬られ、魂のみが
「わたしからも、お願いします」
そのことばに、アデライールは振り向いた。金の双眸が大きく見開かれ、己の主を映す。
ユーナは頭を下げていた。
「アデライールに、力を取り戻してあげたいんです。まだ、転生して間がなくて……不自由かけて、我慢ばっかりさせちゃって」
更に、深く、彼女は頭を下げた。
「どうか、お願いします。同じものは無理だけど、代わりのものを見つけてくるとかがんばりますから……!」
追随するように、不死伯爵もまた跪いたまま頭を下げた。地狼はその場に伏せる。
「――そなたたちの考えはよくわかった」
厳かに、フォルティス王の声が響いた。その手が上がり、闇を指さす。
「この姿はまぼろしなれば、授けることができぬ。我が墓室を開くがいい」
「……本気か、フォルティス王よ」
呻くように、
それは、
「褒美としてくれてやることができぬ以上、他に取るべき手段はあるまい」
虚ろのまなざしから感情はまったく読み取れない。淡々と続けられたことばは覚悟に満ちていた。
「我もまた、ソレアードのようにこのままではおれぬ。
不死伯爵は目を伏せた。彼もまた、覚悟の上で戦いを望んだことがある。幾度となく滅びを迎え、また闇の中で目覚める日々をおぼえている。無為にも思えたあの日常が終わったのは――他ならぬ、自身の主が差し出した手があったからこそだ。
「とーさま、牙生えますか?」
「ととさまのお口、アルタクスみたいになりますか?」
むー、と不満げに首をかしげる双子姫に、不死王の口元がゆるむ。
「どのようなことになったとしても、我が娘であるそなたたちを傷つけることはせぬ。ソレアードが成し得たことを、父である身でできぬはずがないからな。よって、そなたたちの手で
「とーさまを倒す?」
「け、喧嘩はならぬのです!」
「フォルティス王、それは――」
エスタトゥーアはかぶりを横に振った。
誰よりも父王を敬愛している双子姫に、その選択肢はありえない。
その意図は伝わった。
「そなたたちに倒されようとも、
「気にせず父親ぶったおすような娘のほうがいいのかよ」
うなるように
「勇ましいところは変わらぬな。
確かに、そこまで割り切ることができるのであれば、これから先、父は心置きなく闇に沈むことができよう。しかし……我が姫は見た目ほど中身が育っておらぬようだ。
我もまた狂気に足掻いてみせるとも。どれほど我が身を抑えきれるかはわからぬが、我が腕を断ち、そなたらが逃走する時間は稼ごうぞ。扉は開け放たれたままになろうが、致し方あるまい」
フォルティス王の姿が、ゆっくりと闇に融けていく。
薄れる深紅の外套に、双子姫は手を伸ばした。
「とーさま!」
「ととさまぁっ」
「姫よ、そなたたちが再び闇に囚われぬよう、父は心から願っておる……」
どれだけつかみたくてもつかめない幻影が、完全に消えた。
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