第12話 日射し

 急に外へ出たせいか、屋内との差が激しく、日射しの強さに目が眩む。

 思わず手で視界を陰らせた時、ユーナはふと思い出した。


「そういえば、ここって日焼けしないんですか?」


 少しの間があって、シャンレンがやや迷いながら答える。


「しない……と思いますよ」

「考えたことなかったけど……こんなとこでまでお化粧ポーチ持ち歩きたくないわ……」


 心底嫌そうにアシュアが呟く。


「オールインワンジェルなんてもの、絶対なさそーだし」

「一応、ちゃんと化粧水から順番に、ゆっくりと馴染ませたほうが……」

「ううっ」

「姐さん、まさかお出かけ前にBBクリームを塗っておしまいとかしてませんよね?」

「ぎくぅっ」


 シャンレンの鋭い追撃に、アシュアは視線を逸らす。全身でお化粧なんて面倒なんだものと語るその姿に、思わずユーナも笑った。


「日焼け止め、薬草から作らなくちゃとかになりそうですね」

「薬師がそこにスキル振ってくれるかが謎ね」

「そもそも、皆さんお肌がきれいですからね。必要ないものは売れませんから、作らないのでは?」

「肌荒れ気にせず夜更かしできるのはイイわよね!」

「姐さん、ちゃんと寝て下さい……それと」


 ユーナさん、オープンチャットになっていますよ。

 ぽそっと耳打ちされたことばに、慌ててユーナはパーティーチャットに会話を切り替えた。その恥ずかしさを誤魔化したくなり、先ほどから気になっていたことを問いかける。


「お二人って、ご姉弟きょうだい?」

「こんな腹黒弟知らないわね」

「……血縁ではありませんね。以前に救っていただいてから、私がお慕いしているだけですよ」

「その言い方語弊あるからっ」

「嘘偽りはありません」


 営業スマイルを貼り付けて、キラキラとシャンレンが語る。とても訊いてほしそうなので、ユーナはご要望に応えることにした。シャンレンの話は長いが、かなり重要な話が多い。そう悟っていたのもある。


「救って?」

「はい、あれは忘れもしない『幻界ヴェルト・ラーイ』オープン初日でした……」

「一昨日だから、それっ」


 うっとりと、とてつもなく遠い昔のような言い回しを始めるシャンレンを、法杖で突っつきながら、アシュアが突っ込む。さりげなく歩くスピードを落としてきっちり最後まで話そうとしていたのがバレバレである。商店は広場の転送門の向こう側で、本当にすぐそこだ。


「細かいことは機会があれば姐さんがいない時にゆっくりお話するとして、まあ、PKされかかった私を姐さんたちが助けて下さったんですよ」

「あるんですか!?」


 PK。

 プレイヤーキラーもしくはプレイヤーキリングを略されているアルファベットの組み合わせは、ユーナも知っていた。他のゲームでも時折聞くが、対人戦闘を嫌うプレイヤーも多いのであまり流行らない上、禁止されているゲームも多い。

 シャンレンは苦笑して頷いた。


「この世界の攻撃は、プレイヤーだからと言って避けてくれません。ですから、パーティーを組んで戦っていると、誤って仲間ごと攻撃してしまった……なんてことはよくあるんです。私の時も、そんなふうに見せかけてというパターンでしたね」


 そういえば、以前アシュアが投げた石が思いっきりシリウスの額に当たり、流血していた。ユーナは思い出して背筋が冷たくなった。


「……初心者とか、絶好の獲物だったりします?」

「ろくなものを持っていませんからね。初心者を狙うひとは少ないと思いますよ。ただ、レイドでも間違って攻撃が当たって揉める話はよく聞きます」


 怯えて問うた内容に、もっと怖い返事が返ってきた。


「まあ、補助とか回復役がいれば問題ないわよ。いなかったら悲劇だけど」

「そうですね。あと、パーティー内での誤射でHPが少し削られたくらいなら、ペナルティの対象にならないんですよ。プレイヤーを標的とした攻撃とか、連続したダメージや死亡は別ですが」


 意図的に青色旅行者ブルー・プレイヤーを傷つけたとなると、その時点でIDが黄色に変わる。更に攻撃を加え、青色旅行者を殺害した場合には赤に変わる。黄色旅行者イエロー・プレイヤー赤色旅行者レッド・プレイヤーは、NPCである門番や警邏隊に見咎められると連行され、ブルークエストと俗に呼ばれる、青色IDに戻るためのクエストをしなければならなくなる。また、赤色や黄色旅行者をPKしたとしても、青色旅行者のIDの色は変わらないので、正当防衛が成り立つ。


「あ、この前の石投げとかは、セクハラ規定に引っかかってる男子シリウスに対する注意だから、私イエローじゃないのよ?」


 ほら、見てみてとアシュアがIDが浮かぶあたりを指さす。確かに。クリティカルヒットしていたが、それは不可抗力になるようだ。ちなみに、パーティーに加入する際には濃い青から薄い青に色が変化するので、パーティーに加入しているかどうかの判断に使える。


「って、あのひと何やってたんですか……」

「それはナイショ。ほらほら、中入りましょ。スッキリさっぱりしなくちゃね」


 軒先に吊るされた『シプレス・ラーデン』と幻界文字で書かれた看板を軽く叩き、アシュアが先に行く。既に開かれたままになっている扉に向かって、どうぞ、とシャンレンに先を勧められ、遠慮なくユーナもその軒先をくぐった。


「いらっしゃい。おお、ご同業もおいでかね。買取かな?」


 野太い声の持ち主は、頭はつるつるだが、ひげがもじゃもじゃの店主だった。筋骨隆々とした立派な体格に、思わず頭の上を凝視してしまう。IDはなく、『シプレス』という名前だけが緑色で表示されていた。NPCだ。

 促されるままに、ユーナは道具袋インベントリを開く。一旦シャンレンに売却予定の戦利品を預けた。スキルを使いながら、シャンレンが店主に売却をしていく。転売可能なものは既に引き取ってもらっているし、代金も受け取っているので、かなりユーナの道具袋は軽くなった。


「では、こちらを」


 店主から受け取った代金を、そっくりそのままシャンレンはユーナに手渡す。大判な銀貨も多く、ユーナは目を輝かせた。


「ありがとうございます。あの、本当にいいんですか?」


 NPCへの売却での手数料をまったく取っていないことは、目に見えてわかった。

 シャンレンはにこやかに頷き、次は準備をしましょうと促す。ユーナは忘れないうちに、セルヴァから譲られた短剣を出した。


「あの、これなんですけど」

「いい品ですね。初心者用装備では確かに心もとないですから、そちらがいいでしょう」

「いえ、あの……」


 実は、両方装備してみたいんです。

 初心者のくせに、スキルもまだないのにおこがましいとは思いながら、ぽつりとユーナは呟いた。


 二刀流。


 ユーナの希望する方向性を知り、一瞬、シャンレンは絶句する。

 『幻界ヴェルト・ラーイ』では、職業に応じて装備できる武器が変わるというわけではない。もちろん、そのほうが好ましいとか、向いているという武器はある。また、防具も同じで、装備するだけならば神官アシュアが重鎧を着込むということも可能だ。だが、致命的な問題がある。体力スタミナだ。こればかりは各人の特性があり、ステータスやスキルを知性方面に振っている神官アシュアでは、重鎧を着ても、絶望的に体力が足りない。しかも、敏捷度も犠牲となってしまう。そのため、すぐに行動不能に陥ることが予想される。武器もまた同じように、自身のステータスやスキルに合ったものを選ばなければ、使いこなすことができない。例えば、シャンレンの場合には特に商人であるため、多くの荷物を持ち運びできるように重点的に力にステータスを振っていることもあって、あの大きな斧を振り回すことも可能なのだ。PKされかかった経験から、見た目だけでも強そうに見せかけたい気持ちも否定はしないが。

 ユーナが目指している方向性は短剣の二刀流であり、リーチが短い。接近戦が可能で、かつ、相手の攻撃を回避できるだけの敏捷性とその間に攻撃できる技術力と瞬発力を要求される、難易度の高いものだ。今から目指すという点については特に問題はない。ただ……。


「双剣士は、基本的な剣スキルが上がらないと厳しいと聞いたことがあります。ユーナさんの場合は双短剣ですが、やはり短剣スキルが上がらないと厳しいのではないかと……」

「まあ、装備しとく分にはいいんじゃないの?」


 接近戦にはあまり詳しくないアシュアが気軽に言う。シャンレンは溜息をついた。


「それは構わないんですが、肝心の佩くためのベルトがありませんよ。双短剣用のものなんて、注文しなければ市場に出回ることもないでしょうし」

「あ、そっか。じゃあ、二本巻いちゃえば?」

「二本?」


 ユーナが繰り返すと、アシュアは頷き、商店の中をぐるりと見回して、壁に吊るされていたベルトの中で比較的細くて短いものを選んで引き抜く。そして、今既にユーナが腰に下げている短剣用のベルトの上に重ねて巻いた。


「ほら、こうやって、あとは左利き用の短剣の鞘入れをくっつけたらどう?」

「すてき……カッコイイです!」

「なかなかよさそうですね。それならバランスも何とかなります」


 右用にセルヴァの短剣を、左用に初心者用短剣を佩いて、ユーナはご満悦である。もとより両利きではないので、すぐさま使えるわけではないが、気は持ちようだ。その他、シャンレンの手持ちにあった指先が出るタイプの薄い革の手袋や非常事態のための高価な回復薬ポーションをそこそこ安く譲ってもらったり、足回りをよくするために商店にあった短めのブーツへと買い替えていく。

 そのあいだに、商店の隅にある小机で、アシュアがシャンレンから預かった術石を検め始めた。親指の先ほどの小さな術石はビー玉というよりおはじきに似ていて、どれもこれもいびつな形をしている。それを両手ほどの大きさの袋いっぱいとなれば、安くなったとはいえ、かなり高価な代物と想像がつく。

 一通り準備が整ったユーナが、じゃらじゃらと指先で術石を確認しているアシュアにふと尋ねた。


「聖水ってどこで作るんですか?」

「どこでもできるけど……別荘の近くに湧き水あるから、そこで補充かしら。薬は一通り揃えておいてね」

「抜かりなく。今お渡しします?」

「重たいからあとで」

「……了解しました」


 道具袋インベントリが軽くなった一行は商店を出て、さっそく目的地へ向かうことにした。

 別荘はエネロの南東にあり、村から道も伸びていた。街道のように石畳で舗装されていないが、馬車すら通れそうな幅である。道沿いに歩けば負担も少ない。しかし、遠くに建物が見えるまで、結構時間がかかった。既に太陽は中天よりやや傾きつつあり、三人は別荘近くにあるという湧き水で昼食を取ることにする。休憩中に、アシュアが聖水の準備も行うことになった。


「はい、飲んで」

「……飲めるんですか?」


 聖属性を付与した水筒の水。とりあえず聖水。

 アシュアは全員分の水筒の水に、まず聖属性を付与した。そして、シャンレンが出してきた水袋にもどんどん水を入れ、聖水に変えていく。


聖水生成アクアム・サンクトゥアム……飲めるわよ。前も飲んだもの」


 と言って、ごくごくと実際に飲んでみせる。それ、水袋のだけど。

 シャンレンもさすがに少し引いたようで、昼食用に軽く湯を沸かしてスープを作ろうとしていた手が、完全に止まっている。水筒の中の水、やはり聖水でスープを作って大丈夫なのだろうか。


「いいから、とっとと作ってよ。こっちはすぐ終わるわよ」

「姐さん、さすがに料理は……」

「前もスープ作ったけど、普通に食べたもの。正直、ぶっかけるよりこっちが効果あった気がするのよねー」


 内緒よ?と人差し指を口元にあてて笑いながら、アシュアは語った。

 聖属性を付与した水を飲んだり、食事に使うと、体にまで聖属性が付与されて対不死属性アンデッド強化される。当然、効果はそれほど長続きしない。食事が消化される間だけだろうという見方だったが、アンデッドの攻撃の手がかなり鈍くなるようだ。

 ひょっとして、どちらかではなく、どちらもがあったから勝てたのではなかろうかとシャンレンは思った。


「さて、じゃあ、行きましょうか!」


 やや硬めの黒パンと聖水スープで食事を終えた三人の視線の先には、鬱蒼とした森を切り取って出現した苔むした石壁と、緑の蔦が壁に這い回る洋館が聳え立っている。ユーナは、少し震える手で短剣の柄を握りしめるのだった。

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