第337話 お披露目


 目の前で繰り広げられる術式に……否、手技メイクに。

 結名ユーナの表情はどんどん輝いていった。


 既に日和エスタトゥーアも衣装を着替え、色とりどりの帯を腰で締めている。結名ユーナと同様に、日和エスタトゥーアもウィッグをかぶっていた。今、彼女はキャリーの上に鏡を置き、メイク道具一式を広げて顔をキャンバスと化している。

 うすい桃色のショートボブに、同色のカラーコンタクト。

 一筆ごとに限りなく舞姫メーアに近づくさまに、結名ユーナは声を上げた。


「うわぁ……エスタさん、メイク上手なんですね! メーアみたい……」

「ふふ、今のわたくしでは、エスタトゥーアのコスプレだと似合いませんからね。いつか撮影しておこうと思って、ウィッグとカラコンは購入しておいたんです。でも、帯は浴衣の兵児帯ですし、衣装の短衣チュニックとサンダルは他のキャラクターの使い回しだったりします」

「全然そんなふうに見えませんよ。すごーい!」

「ユーナにそう言われると、うれしいなっ」


 はしゃいだメーアのような口調で、日和エスタトゥーアが言う。

 マジメーア、と結名ユーナは打ちふるえた。日和エスタトゥーアは悪戯っぽくにっこりと鏡の中でも微笑む。


「これで、メーアをおどろかせようかと」

「おどろくどころじゃないと思います……」


 ドッペルゲンガーのように感じるのではなかろうかと、結名ユーナ舞姫メーアの心中を慮った。かなり楽しみだ。

 うすいピンクのリップグロスで仕上げ、日和エスタトゥーアは場所を空ける。


「では、次はユーナさんの番ですよ。腕、見せていただけますか?」

「はい!」


 先ほどまで日和エスタトゥーアが座っていた場所に腰を落とし、結名ユーナは素直に腕を出した。ややうすい栗色の髪が肩口からさらさらと零れていく。重さも感じない上に、触り心地もとても良いウィッグで、結名ユーナは初のウィッグ体験を満喫していた。

 その腕を取り、一通り引かれたラインをながめる。そして日和エスタトゥーアは、真新しいスポンジを手に取った。


「テカるので、本当は全体にファンデを塗りたいんですが……今はだいじょうぶでも、あとの肌荒れが怖いので、ポイントメイクを使う要所のみにしますね。日焼け止めは塗っていますよね?」


 結名ユーナがうなずくと、日和エスタトゥーアはさっそくメイクを開始した。鏡の中の自分が、どんどん印象を変えていく。特にちがうのは、目だ。

 紫色のカラーコンタクトで、すっかり「ユーナ」らしくなっている。

 日和エスタトゥーアが軽く眉を整え、目が大きく見えるようにアイライン描き加えたりと工夫を凝らしていくにつれ、幻界ヴェルト・ラーイのキャラクターであるはずの「ユーナ」が現実に下りてくるようだった。

 とは言え、致命的にちがう部分もある。

 喜ぶべきことなのか、悲しむべきことなのか、結名ユーナは自分の胸元を見た。白の短衣はウエストの部分で茶色の皮でできた帯で締められているのだが、先ほど、見目よくするために散々その胸は日和エスタトゥーアによっていぢられていた。

 ひとことで言えば、谷間である。

 やや大きめに作ってもらった衣装だったが、やはり、成長に伴って実際の結名のほうが身体は大きくなっていた。いつのまにか胸も育っていたようで、幻界ヴェルト・ラーイではまったく気にならなかった胸元が、隙間からハの字状態で見えていたのである。覗かれるのは困りますからね、と日和エスタトゥーアの努力により、寄せて上げられた結果の谷間だった。今度母と下着を買いに行こうと決意した結名である。


「現実のユーナさんとわからなければ、結局幻界ヴェルト・ラーイのユーナさんがどなたかなんてわかりませんからね。――少し、口を開けていただけます?」


 唇に塗られたり、線を引かれたり、また塗られたりと繰り返していくと、結名のものではなく、ユーナの唇の形ができあがっていく。


「わたくしの記憶だけが頼りなので、本来とは少しちがうのでしょうが……あの世界、スクリーンショットも撮れませんし……ちがうって怒らないで下さいね?」

「そっくりですよ!?」

「あ、おしゃべり禁止です」

「はい……」


 メイク中に動くのは自殺行為である。

 楽しげな日和エスタトゥーアのようすと、鏡の中の変わっていく自分を見ながら、結名は思った。


 ――同じにしたはずなのに、まったくちがう……。


 ゲームの中のユーナと、現実の結名。

 姿かたちを大きく変えてしまえば、戦いにくくなるだろうという予測の下に、同じような寸法サイズで作り上げたアバターだったはずだ。顔は二割増しくらいに可愛くしたつもりだったが、日和エスタトゥーアのメイクのポイントを見ていると、二割どころではない変わりようである。


 ――がっかり、されてないかなあ……。


 まともにあいさつもできなかった一角獣アインホルンの面々を思い出し、結名ユーナは気持ちを沈ませた。皓星シリウス柊子アシュア拓海シャンレン以外のメンバーとは、今日初顔合わせになる。日和エスタトゥーアについてはあらかじめ話に聞いていたこともあり、あまり身構えずに済んだ。今もこうしていっしょにいても、とにかく気持ちのやさしいひとだと思う。

 まだ、一日は始まったばかりだ。

 鏡の中のユーナは口元をゆるめた。綺麗な弧を描くと、鏡の中のメーアまでが微笑んだ。


「とても可愛いですよ」

「ありがとうございます!」


 ユーナの姿でなら、もっといつも通りにできるだろうか。

 紅蓮の魔術師ペルソナは、少し垂れ目気味の、若干冷たそうなイメージの男性だった。黒のスキニーに白のインナーがちらっと見えるカーキの薄手のセーターは、早朝の寒さに耐えるためだろうか。全身真っ赤なら一発で紅蓮の魔術師だとわかったのに、と少し残念に思う。そして、意外とまともそうな印象でおどろいたが、人形遣いエスタトゥーア雷の魔女ソルシエールと同じ職場だと聞いたことのほうがもっとおどろきだった。

 皇海市は幻界ヴェルト・ラーイの運営のお膝元なので、管理の都合上、初期のベータテスターの半数以上が皇海市在住者から抽出されたとは聞いている。実際にエスタトゥーアやアシュア、ペルソナはβ時代から戦ったこともある仲なので、地元が同じでもおかしくはない。

 結名は単純に、休み明けにはどうなるのだろうと気になった。幻界ヴェルト・ラーイの紅蓮の魔術師がそのまま働いているわけではないだろうが……と想像して笑ってしまう。


「エスタさんの職場、楽しそうですね」


 ユーナのことばに、一瞬、日和エスタトゥーアの手が止まる。苦笑気味に彼女は応じた。


「……そ、そうですか?」

「ペルソナさんたちと働くとか」

「普通ですよ? ペルソナもソルシエールさんも、ああ見えてちゃんとお仕事していますし」


 どう見てもメーアな外見で言われると、違和感がすごい。

 ふむふむとうなずく結名も、決してあのふたりが働かないと思ったわけではなく、むしろ真逆で、とんでもないスピードでさまざまなトラブルを処理排除していきそうだと、想像が明後日のほうに飛んだだけである。窓口での対応の円滑さを思えば、あながち的外れでもない想像である。

 仕上げに、ぽんぽん、と置くように結名ユーナの唇へリップグロスを乗せて、日和エスタトゥーアは満足げに封を閉めた。


「はい、完成です。メイク直し用のポーチと、あとは貴重品を持っていきましょう。ユーナさんのお洋服は、わたくしのキャリーに詰めてもよろしいでしょうか?」

「え、いいんですか?」

「クロークに預けますので、荷物一個ごとに、サイズに応じてお金を支払うんです。キャリーのサイズはどう足掻いても変わりませんから、どうぞご遠慮なく」


 結名はことばに甘えることにした。手際よく日和エスタトゥーアはキャリーからいくつか出し、代わりに使わないものを仕舞っていく。ふと、自身の腕に舞姫メーアのように鈴を巻き、小さく鈴の音が響くのを確認し、取り外して帯の中のウェストポーチに片づけていた。ここでは迷惑になると判断したのだろう。

 結名ユーナはそのまま、自身のバッグを手に取った。貴重品を入れておくために別途ウェストポーチを、などとは考えていなかったので、単なる白のハンドバッグである。持ち運ぶとなると衣装と少しギャップがあるが、致し方ない。

 そして、ふたりは立ち上がった。





「あの、連絡先とか交換しても、いいですか……?」


 コスプレ更衣室の出入口へと視線を向けた真尋ペルソナへ、ふたりだけの時間は残り少ないと判断した芽衣ソルシエールがねだる。その殊勝な態度に、真尋ペルソナは苦笑した。


「いいけど……それなら、幻界ヴェルト・ラーイ宛てのもあったほうがいいよな」

「はい!」


 スマホを取り出し、互いに連絡先をコードで表示し、カメラで読み込ませる。

 嬉々としてその画面を見つめる芽衣ソルシエールの横顔を見ながら、真尋ペルソナ幻界ヴェルト・ラーイの彼女と重ねた。

 確かに、面倒見のよさはそのままである。春から入ってきた同じ外部スタッフの子たちの教育は、正規職員ではなく、彼女が担当している。その分本来の春先の忙しい時期の仕事に没頭することができ、正規職員の間でも評判がよかった。そういったことは、完全定時上がりとなる外部スタッフのほうには伝わらない。必要とあれば残業に走る正規職員のあいだでの内緒話のひとつになるためだ。


「ありがとうございます! 迷惑は、かけませんから……」


 何でその態度が幻界ヴェルト・ラーイでの彼女ソルシエールにはあまり見えないのだろうかと思いつつ、真尋ペルソナはあいまいにうなずいた。ゲームショウここでは、紅蓮の魔術師ペルソナに徹したほうがよさそうだが、やはり現実リアルの背景がちらついてうまくいかない。


「ふっふっふ、おまたせーっ!」


 異様なほど元気のよい日和エスタトゥーアの声に、ふたりは弾かれたように振り向く。

 すると――そこには、鈴を涼やかに鳴らす舞姫メーアと、少し恥ずかしそうな従魔使いユーナが立っていた。

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