第272話 壊れてしまったものは仕方がない
「――何してるの? イグニス。ひとりごと?」
ユーナは「炎の体現者が凍りつく」というめずらしい光景を目にした。
確かに、今のやり取りは外から見れば、頭のおかしい、ただのひとりごとである。
おそらくイグニスを追ってきたのだろう。今も少し息を切らしたアニマリートは彼を見つけ、不思議そうに首を傾げた。以前見たのと同じ、結い上げられた赤い髪が一房、前に垂らされている。なつかしさに、ユーナは口元を両手で覆った。
イグニスはぎくしゃくと頭を横に振る。
「いや、ちがうのだ。アニマ」
よわよわしい彼の否定を聞き流し、アニマリートは視線を転送門へ向ける。
ユーナたちを素通りした赤のまなざしは、安堵の色を映していた。
「消えちゃったね、白い柱」
「――ああ。ここでは話せぬ。戻るとしよう」
硬くなったイグニスの声音に、アニマリートの表情からおだやかさが消える。小さくうなずく彼女の腰に腕を回し、イグニスはこちらを見、あごをしゃくる。
語って曰く、「ついてこい」である。
あの特別依頼を受けて、近づきもしなかったテイマーズギルドへの道筋だ。自身が死亡し、
ユーナは覚悟して、そのあとに続こうと歩き出した。そこそこ削れていたセルヴァのHPを癒したアシュアが、とっさに振り返って彼女の服の裾を引く。
「え、あ、ユーナちゃん? ついてってだいじょうぶなの!?」
「はい。イグニスさんは、その……テイマーズギルドのひとでして、わたしの槍のお師匠様なんですよ」
「何じゃとー!!?」
アデライールの幼い声が、転送門広場に響き渡る。
姿なき幼子の声、しかも「のじゃロリ系」とあって、
「しぃっ。せっかく隠れてるのに意味なくなっちゃうよ」
「す、すまぬ」
「あ、今のひといっちゃうけど、いいの?」
雑踏の中に、赤い二つの人影がまぎれていく。
アシュアが指さす先を見て、ユーナはうなずいた。行先はわかっている。行くにしても、まずはシリウスやアークエルドと合流しなければ。シリウスはともかく、アークエルドは世界が終わってもそこで待っていそうな気がするユーナだった。それほどに、
『シリウス、リーダーちょうだい』
『ん?』
『おばあちゃん入れなくちゃ。あと、テイマーズギルド行くわよ』
パーティーリーダーが切り替わり、
『――主殿はご了承済みか?』
『うん、だいじょうぶ。待っててくれてありがとう。いっしょに行こ、アーク』
アークエルドの問いかけ、ユーナは微笑んだ。己の主と仲間の従魔の姿を月色のまなざしに映し、不死伯爵はようやく己に課した禁を解く。そして、シリウスもまた、幼い不死鳥の姿を目にして、表情をほころばせたのだった。
他のどのテイマーズギルドであっても、きっとこんな気持ちにはならない。
ユーナはアニマリートを、イグニスを、グラースを信じていた。
何が起こっても、彼女たちは絶対に、
さすがに騒ぎの中心である転送門広場で隠蔽を解くわけにはいかなかった。よって、手近な路地に入り込み、一旦隠蔽を解除し、
ユーナが先に立って案内をし、古巣のテイマーズギルドの扉をくぐった時――奥で何か砕ける音を聞いた。
テイマーズギルドは、かつてユーナが去ったころほどは混み合っていなかった。それでも、客も従業員もかなり増えている。また、従魔らしき魔獣の姿もそこかしこにあった。頭上に
ユーナがその音の行方に視線を向けると、カウンターの前に立つイグニスと、その足元にきらめく破片が見えた。そばには口元に笑みを佩いたアニマリートと、なつかしい
逆に、イグニスはユーナの視線に気づいたかのように、こちらを向く。
そのまなざしが、やわらぐ。
「――おかえり」
「おかえりなさい、ユーナ!」
アニマリートも気づき、ユーナへと駆け出す。ギルドマスターたる彼女の満面の笑みを、その身体ごとユーナは受け止めた。やわらかな感触が全身を包む。先ほど感じたなつかしさがこみ上げ、ユーナは目を熱くした。
「……ただいま、です。アニマリートさん」
「アニマでいいのに。
がんばったね、ユーナ。つらかったでしょう」
抱いた腕がするりと外され、彼女の額がユーナのそれと合う。
そうか。
彼女は、もう、知っているのだ。
その優しさゆえに、ユーナは悟った。
だからこそ、もうこらえられなかった。
次から次へと涙がこぼれていく。昨夜、あれだけ泣いたのに、今もなお流れていく。アニマリートもまたひとつ、雫を落とした。
「ん、ゆっくり話聞くから、ね?」
「片づけは任せます。こちらの方々はマスターの執務室へ案内しますので、しばらく人払いを」
なだめるように、アニマリートの手がユーナの頬を拭った。
グラースの指示が遠く聞こえる。
アニマリートに支えられるように、ユーナは足を運んだ。
アニマリートが抱きしめた瞬間、宙に飛んだ
「主殿を信じましょう、おばばさま」
キゥ、ともう一声、朱金の鳥はかぼそく鳴いた。
「何を言うのかと思えば……この年寄りは、主に置き去りにされたと嘆いておるのか! まったく情けない! さすれば追えばよいではないか。それこそ、地の果てまでも」
「あなたは目の色を変えて追いかけすぎです。年中常夏で暑苦しいのは性分でしょうが、ほどほどに願います。
さ、ユーナの仲間の方ですね? こちらへどうぞ」
ふんぞり返って鼻で嗤い、挙句、悪魔のように呪いを吐くイグニスに淡々とツッコミを入れ、グラースがアニマリートとユーナのあとへ続くよう、奥の扉へとうながす。
「あの、あのひとって」
「テイマーズギルド、アンファング支部のギルドマスターであられるアニマリート様です。ユーナに直接、
すっかりユーナが心許しているようすに、アシュアが上ずった声でグラースに問う。NPCよね?という内心の問いかけはある意味理解され、氷の美女は正確に答えた。
「そうそう。
今さきほど、本ギルド支部の記録水晶は偶発的な事故により破損いたしました。よって、しばらく記録業務はできません。せっかく本ギルド支部の希望の星であるユーナが訪れたというのに、残念なことです」
白々しく言い放つ彼女のことばの意味を悟り、
ふいに、前を行くユーナが立ち止まる。濡れた顔が振り向き、己の従魔を紫水晶に映し出した。不安げな表情に、
「オレたちも行って……かまわないのか?」
「同じパーティーの方ですから、問題ありません。そして、今のユーナには支えが必要です。ちがいますか?」
ギルドマスターの執務室へまで足を踏み入れる。その流れに少し弱気な黒衣の剣士の問いに、鋭いまなざしのままグラースは問い返す。アシュアはにっこりと笑んだ。
「よかったー。ユーナちゃん、いい
「確かにね。アシュア、次、大神殿行く時は絶対一人で行っちゃダメだよ」
「それな」
先ほどの聖女降臨劇は、おそらく大神殿にすぐ伝わるだろう。セルヴァの危惧はつい先日の聖女候補にまで祭り上げられ、今、神輿が不在になった大神殿にまたアシュアが囚われることだった。同じことを想像し、シリウスも同意する。
アシュアの笑顔がひきつる。心底、ユーナがうらやましくなった瞬間だった。
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