第8話 早く帰ろう

 終礼後、皆が部活や課外活動で散っていく中、結名は我先に帰宅すべく駐輪場へ向かう。教室を出て左右どちらに行っても同じくらいの距離に階段があるのだが、座席が少し後ろにある関係で、結名はいつも西側の階段を利用していた。


 時間はまだ午後三時半すぎ。

 大丈夫、ログインできる!


 行く先はかれこれ三年以上続けてきたMMOではなく、うれし恥ずかし『幻界ヴェルト・ラーイ』である。アイテム整理もまだしていないし、レベルがあがったあとのスキル振りも考えなくてはいけないし、まずネットで『幻界』の情報をもう一度洗い直して、従兄にも確認してからインしたほうがいいのかも……と思考は完全に旅立っていた。


 階段を駆け下りない程度の速度で急ぎ、中庭ピロティに出るほうの通路を選ぶ。中庭を突っ切るほうが駐輪場には早いのだ。

 無人の多目的室の横を抜けると、一気に視界が開ける。広々としたオープンスペースにはガーデンスタイルのテーブルセットが複数設置され、続く中庭にも同じものが見えた。昼食時には混み合うスペースだが、こちらも今はまだ人影がない。そして、中庭へのガラス扉もまた、昼食時と異なり閉ざされていた。


「あっ」

「――藤峰ふじみねさん? 早いんだね、どうぞ」

「小川くん……ありがとう。もう帰るの?」


 迷わず中庭への扉を押そうとした瞬間。

 同じくらいのスピードで反対側の通路から飛び出してきた人影が、ガラス扉の取っ手に手を掛け、押し開いていた。同じタイミングで教室を出て、同じタイミングで中庭手前にいるのだから、きっと同じように早く帰りたいのだろう。


 何故か苦笑いをしているような、少し照れているような……朝の表情とはまた違う笑顔を貼り付けた男子生徒は、とても社交的に返事をした。


「ちょっとね、野暮用。そうだ、今朝はありがとう」

「いえいえ、こちらこそ! 日焼け止め、すごくよかったよ。手に塗ってみたんだけど、ほんっとサラサラ」

「手? あ、そっか。正解だね。朝塗ったの? じゃあ、へーきかも。顔とかも使ってみてね」


 事情をすぐに理解して、鞄を握る手に視線を走らせ、異常がどこにもないことを確認された。

 鋭い。

 実は、朝から今まで日焼け止めを意識していなかった結名である。これで顔にも少し塗って試せそうだ。


「うん、そうするね! お母さんにも、お礼、言っておいてね」

「あ……うん。ありがとう。じゃ、また」


 本当に急ぐのだろう。結名が扉を潜ってすぐに彼も続き、また扉を閉めてから片手を挙げて駆けていった。その背中のリュックはぺたんと潰れていて、肩に掛けた制定の鞄のほうがよほど重そうに見えた。


 野暮用って……彼女カノジョだよね。

 頭良くて、話せて、カッコイイとなれば当然かなぁ。


 ゲーム三昧な自分には縁遠いお話である。「あれだけ急ぐんだから、別の学校だよね」などと思いつつ、結名もまた自分の世界へ急ぐのだった。


 ――即ち、幻界ヴェルト・ラーイへ。

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