身代わりの妃候補 3
王宮の礼拝堂は、妃候補たちが生活する棟の一番端っこに存在するそうだ。
朝の六時から夕方の五時までなら出入りは自由だという。
(あーよかった! これで毎朝の日課が果たせるわね)
シスター見習いだったエルシーは、毎朝礼拝堂で祈りをささげるのが日課だった。これをしないと一日落ち着かないのだ。
礼拝堂のことを訊ねたあとも、ダーナはしつこく、ほかに訊きたいことはないのかと訊ねてきたけれど、訊きたいことはそれだけだ。
修道院暮らしのエルシーは、部屋の内装にも、ドレスにも宝石にも、なんにも興味はない。妃候補だというくらいだから食べるものは用意されるだろうし、裸で生活しろなどと無茶なことは言われないだろう。
欲を言えば洗濯をさせてほしかったが、あまり妙なことを言うと不審がられるかもしれないので黙っておく。
だからこれ以上、訊くべきことはないのである。
「そう……ですか」
ダーナが解せない顔をしたけれど、もしかして妃候補はあれやこれやと質問をしなければならないのだろうか。そんなことはヘクターに教えられなかったけれど、もしかして失敗した?
「あ、あの、わからないことがでたらその都度訊くわ」
エルシーが言えば、ドロレスがくすくすと笑う。
「不安そうな顔をなさらなくても、ダーナはただ、想像していたのと違う方が来られて戸惑っているだけですわ」
さっそくやらかしたのかもしれない。
(令嬢らしくなかったのかしら? でもどこが想像と違ったのかよくわからないわ……)
やっぱり付け焼刃の淑女教育ではすぐにボロが出てしまうようだ。こんなことで三か月耐えることができるだろうか。
身代わりとしての任務に失敗したら、修道院への寄付を取り下げられるかもしれないから、エルシーはなんとしてもこの三か月間を耐え抜かねばならないのだ。
「ど、どこが想像と違ったのかしら? ……わたし、変?」
変なところは早く直さなければ、そう思ったのだが、ドロレスは首を横に振った。
「勘違いさせてしまったのならば申し訳ございません。変なのではなく……何と言いますか、お妃様たちは、こういう言い方をするのは何ですけども、我先にと有力な情報を得て、正妃様の地位を勝ち取りたい方ばかりでございますので」
「……陛下のことや、ライバルであるほかのお妃様のこと、それからこれは取り入ってズルをするためでしょうが、女官長などのことなどを根掘り葉掘り聞かれるものです」
ダーナがため息交じりに言った。
エルシーは思わず手を叩いた。
「なるほど、それがお妃様らしい行動なのね!」
「は? ……い、いえ、そうではありませんが……」
「違うの?」
「ええっと……、ああ、もう。ですから、そう言う方が多いというだけです! 別にそのようなことを訊いてくださいと申しているのではありません」
ちょっぴり怒ったような口調。しかしその顔は怒っているのではなく戸惑いのものだった。
エルシーがよくわからずに首をひねっていると、ドロレスがおっとりと言った。
「お妃様選びは、女の戦いですからね。皆さま、ドロドロなさっておいでなのですよ」
「ドロドロ?」
「ネチネチとも言いましょうか」
「ネチネチ?」
「ギスギスと言い換えることもできますわね」
ますますわからなくなった。
(もういいわ、どうせ三か月だもの、わからないことは考えるのをやめましょう)
ドロレスが言うには、訊かなかったことは別に間違いでもないようだから、それでいい。
「お妃様は、ほかのお妃様を蹴落としたいとは思いませんの?」
ダーナが不思議そうな顔で訊ねてきた。
「蹴落とす? どこから蹴落とすのかは知らないけど、そんなことをしたら怪我をさせてしまうじゃない。そんな怖いことを望んだりしないわ」
セアラだって階段から落ちただけで痛そうな大痣を作ったのである。怪我なんてさせたら可哀そうだ。
真面目な顔をしてエルシーが言えば、ダーナはすっかり毒気を抜かれたような顔をした。
「物理的なお話をしているわけではないんですが……もういいです」
そう言って、馬車の窓からを外を眺めて、そろそろ休憩場所だと告げる。
「もうすぐ川がありますから、そのほとりで休憩になります。休めるときに休んでください。座ったままとはいえ、三日も続けば体への負担も大きいですから」
馬車はそれなりに揺れる。ここから先、舗装した道ばかりではないそうだ。
修道院から出たことのないエルシーは、すでに馬車に揺られ通しでおしりが痛くなっていたから、休憩をいただけるのは非常にありがたかった。
(川か。この時期なら、ヨモギの新芽とかたくさん取れそうね。タンポポもたくさん生えていたら少しもらって行こうかしら)
エルシーはシスターたちと近くの山や川のほとりで野草を摘んでは調理していたから、食べられる草に詳しい。たんぽぽはサラダにしてもいいし、根っこは乾燥して焙煎した後でお茶にすれば美味しく頂ける。ヨモギに至ってはお茶にもできるし、スープでもいいし、油で揚げて食べてもサクサクして美味しい。
川の近くで馬車が停まったので、エルシーはほくほく顔で川岸に降りた。ダーナもドロレスも一緒についてくる。緩やかな土手にはお目当てのヨモギやタンポポがたくさん生えていた。
土手に座って、せっせとヨモギとタンポポを摘んでいると、ダーナとドロレスが不思議そうな顔をする。
「何をしていらっしゃるんですか?」
「ヨモギとタンポポを摘んでいるの。食べられるのよ、これ」
「……はい?」
「食べられる?」
ダーナとドロレスがそろってポカンとした顔になった。どうやら二人は、ヨモギとタンポポが食べられることを知らなかったらしい。
「お茶にして飲んでも体にいいの」
ヨモギ茶は貧血症状にきくし、タンポポ茶は便秘にきく。これはカリスタが教えてくれたことで、この二つのお茶を飲んでいると体調がいい。ケイフォード伯爵家に連れてこられてから飲んでいなかったからか、最近ちょっと便秘気味なので、特にタンポポは多めに回収していきたかった。
納得してくれたのか、二人はそろって沈黙している。
広げたハンカチの上にせっせとヨモギとタンポポの根を回収していると、泥だらけになったエルシーの手を見て、ダーナが嘆息した。
「……馬車に戻る前に、せめて川で手を洗ってくださいね」
それはもちろん、タンポポの根もヨモギも洗わなくてはならないからついでに手も洗うつもりである。
広げたハンカチいっぱいのヨモギとタンポポの根を採取し終えたところで、休憩時間が終わりを告げた。
馬車に戻って、川で洗ったヨモギとタンポポを座席の上に広げて乾かしていると、対面座席に座っているダーナが額を押さえ、ドロレスがおっとりと頬に手をやった。
「面白い方」
ドロレスが小さくつぶやいて、くすりと笑ったけれど、面白い人がどこかにいたのだろうか。
「どなた? あ、あのトサカみたいな兜をつけた人のこと?」
きっと護衛騎士の誰かのことだろうと、窓の外を見やってあたりをつければ、ダーナが言った。
「あの方は第四騎士団の副団長であるクライド様でございます。トサカなんて……滅多なことを言うものではありませんわ」
そう言うダーナの肩が小さく震えている。口元もぴくぴくしているからどうしたのかと思えば、隣でドロレスがあきれ顔で言った。
「もう。ダーナってば、素直に笑えばいいのに。トサカなんで……ふふ、ぴったりだと思わない?」
ドロレスが窓の外を覗いてそう言ったから、ついに我慢できなくなったようにダーナが吹き出した。
そののち、王宮につくまでの三日間、クライド副団長は三人にひそかに「トサカ団長」と呼ばれることになったのだが、それが本人の耳に入るのはもっとずっと後のことである。
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