諦めの悪い人たち 2

「エルシー、張り切ってるわね」

「はい! もちろん!」


 ケイフォード伯爵領の修道院に戻ってきて二日目の夕方。

 ダイニングで、肝試し大会に使うシーツにせっせとアイロンをあてているエルシーを見て、カリスタが苦笑した。

 カリスタはエルシーの隣の椅子に腰を下ろすと、エルシーの手元を見るでもなく見ながら、ぽつりと「陛下にはお会いになった?」と訊ねてきた。

 エルシーが頷くと、カリスタはどこかホッとしたように微笑む。


「お元気そうだった?」

「はい。……院長先生は陛下をご存じなんですか?」


 カリスタは虚を突かれたような顔をして、そのあとで少し寂しそうな顔をした。


「そうね。あなたは小さかったから……覚えていないでしょうね」

「え?」

「なんでもないのよ。それからエルシー、アイロンを動かさないと焦げ付いちゃうわよ」

「ああ!」


 エルシーはカリスタとの話に夢中になるあまり手が止まっていたことに気が付いて、慌ててシーツからアイロンを離した。セーフ、焦げ付いていない。アイロンの熱が冷めていたからだろう。

 エルシーはアイロンをアイロンストーブの上に置いて温めなおすことにした。


「アイロンが温まるまでお茶でも入れようと思うんですけど、院長先生も飲まれますか?」

「せっかくだけど遠慮するわ。わたくしはこのあと、マナが訪ねて来ることになっていますから」


 マナは近所に住んでいる妊婦だった。出産予定は冬頃で、産婆経験のあるカリスタのもとに定期的に検診に訪れている。


「マナさんの調子はどうですか?」

「順調よ。だんだんお母さんの顔になってきているわ」


 お母さんの顔とはどんな顔だろうかとエルシーは首を傾げたが、考えてもよくわからなかったので笑顔で頷いた。


「じゃあ、エルシー。今夜の肝試し大会では張り切りすぎて怪我をしないようにね」

「わかりました!」


 エルシーが元気いっぱいに頷くと、カリスタは笑ってダイニングから出て行く。

 エルシーはお茶をいれて一息つくと、温めなおしたアイロンを手に、せっせとシーツの皺を伸ばして行った。






 日が傾いて東の空が暗くなってきたころ、エルシーは礼拝堂の祭壇の影に隠れて子供たちが来るのを待っていた。

 肝試し大会は、近くの山のふもとから修道院までを歩いて、最後に礼拝堂の祭壇の上に置いてあるクッキーの袋を取って帰るのが毎年お決まりのコースだ。


 子供たちは三人が一組で、今年は合計十組である。

 そしてエルシーは、クッキーを取りに来た子供たちの前にシーツを被って登場し、驚かせるのが仕事だった。


 子供たちが怪我をしないように蝋燭が数本灯されているが、それでも夜の礼拝堂の中は薄暗い。

 エルシーは祭壇の上の蝋燭の炎にしたからぼんやりと照らされたグランダシル像を見上げた。

 この礼拝堂のグランダシル像は、王宮の礼拝堂の像よりも幾分か柔らかい優しそうな顔立ちをしている。


 祭壇の裏に隠れていると、幼いころにここで膝を抱えて泣いていた記憶がうっすらと蘇ってくる。

 はっきりとは覚えていないが、修道院に来たばかりのころ、エルシーはよく泣く子だった。

 淋しくて悲しくて、礼拝堂の祭壇裏に隠れるように座り込んでは、ぐすぐすと鼻をすすりながら泣いていた。


 子供ながらに、捨てられたという事実がわかっていたのか、それとも単に環境が変わって心細かったのか。子供のころに自分が何に不安を覚えていたのかはわからないが、とても淋しかったのだけは覚えている。

 けれども、シスターたちの前で泣くとみんなが心配するから、エルシーは礼拝堂の祭壇の中でこっそり泣くことが習慣化していた。


 そんなある日。

 いつものようにエルシーが祭壇裏で膝を抱えて泣いていると、カリスタがやってきた。

 カリスタはエルシーを見つけて困ったように微笑むと、優しく頭を撫でながら言った。


 ――あなたは一人ではないわ。わたくしたちはみんなあなたが大好きよ。そしてグランダシル様もあなたのことをとてもとても愛してくださるわ。ほら見て、あなたがここで泣いているときも、グランダシル様はああして優しいお顔で見守ってくれていたでしょう? あなたはここへ、神様のお招きがあって来たの。わたくしたちと家族になりましょうねって、グランダシル様がお導き下さったのよ。だからね、エルシー。もう泣かないで。あなたは必要とされてここにいるのだから。


 おそらくだが、カリスタにそう言われてから、エルシーはここで泣かなくなった気がする。

 カリスタはたくさんのことを教えてくれた。

 でも、幼いころに言われたその言葉が一番エルシーの心に残っている。


「グランダシル様。わたくし、ここが大好きです。今も昔もここはわたくしの大切な家で、家族で、それは変わらないのに……なんだか胸のこのあたりが、チクチクするんです。変ですよね」


 ――ずっと俺の側にいないか?


 ワルシャール地方の湖の上で、フランシスはそうエルシーに訊ねた。

 そんなことを言われたのははじめてで――ここ以外でエルシーが必要とされたのもはじめてで、エルシーはただ戸惑った。


 神様のお嫁さんになる。カリスタのようになって、子供たちを導いて、ずっとここで生活する。

 エルシーはそう決めていて、それは今も変わらないのに、心が揺れた。


 ここにお別れなんてできないのに、王宮からも――フランシスの側からも離れがたく思えて、両方選ぶことなんてできないのに、どちらも手放したくないと思ってしまった。


「ここでの生活に戻れば、きっとこんな気持ちは忘れられるって思うけど……忘れたくないって思っちゃうんです」


 もちろん、グランダシル像は答えない。

 エルシーは静かに見下ろしてくるグランダシル像に、ちょっと微笑んだ。

 神様は見守ってくれるけれど、答えはくれない。どうしたらいいのかも教えてくれない。それはエルシー自身が考えて見つけなければいけないことだ。そしてエルシーはここに帰ることを選んだ。だからもう、迷うべきではないのに、迷ってしまうのはきっとエルシーの心が弱いからだ。


 エルシーがそっと息を吐きだしたそのときだった。

 小さな物音がして、エルシーはハッとした。


(もう子供たちが来たの? いつもより早いわね)


 エルシーはシーツを頭からかぶると、祭壇裏で足音がこちらに近づいてくるのを息を殺して待つ。

 相手を驚かせるのには、タイミングが重要だ。子供たちも毎年のことなので知恵をつけていて、なかなか驚いてくれないのである。


(現れないと思って安心してクッキーに手を伸ばした瞬間がねらい目ね!)


 安心しきったときに突然姿を現せば、きっと驚いて悲鳴を上げてくれることだろう。

 固唾を飲んで、子供たちが祭壇まで歩いてくるのを今か今かと待ち構える。

 そして、すぐ近くまで足音が迫ったその時。


「ばあああああああああ‼」

「うわあああああああああ‼」


 シーツを被って勢いよく祭壇から飛び出した瞬間、子供にしてはずいぶんと野太い声が上がった。


(うん?)


 シーツを被っているので前が見えないが、この声は明らかに子供の声ではない気がする。

 シーツを脱ぎ捨てて確認すれば、祭壇の前で薄汚れた男が泡を食って倒れていた。


「あ……あれ……?」


 エルシーは男を見下ろして、これはいったいどうしたことかと、目をパチパチとしばたたいた。



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