諦めの悪い人たち 1
(エルシーは今頃ケイフォード伯爵領についたころか)
フランシスは書類から顔をあげて窓の外に視線を向けた。
窓の外には妃候補たちが暮らす王宮が見える。一番遠くの礼拝堂の手前の部屋がエルシーが使っていた「セアラ・ケイフォード」の部屋だ。
エルシーはセアラ・ケイフォードの双子の姉であるのに、双子が不吉というだけで戸籍にも登録されず、幼いころに修道院へ捨てられた。
その後、修道院の院長が出生不明の孤児として国に登録したため、エルシーは登録上「平民の孤児」である。平民である以上、「エルシー」本人としてはフランシスの妃候補には上がれない。
(養子縁組など、エルシーを貴族に戻す方法がないわけではないが、エルシーはそれは望まない……)
ずっと王宮にいてほしい。
ワルシャール地方の湖のボートの上で、フランシスはついそんなことを言ってしまった。
口にした言葉は紛れもないフランシスの本心だったが、それはエルシーを困らせるだけで終わった。エルシーはフランシスの妃になることは望んではいなくて――彼女の望みは、シスターになること以外ないのだと、フランシスは痛いくらいに理解した。少しでも、ほんの少しでも、わずか一秒だっていい、エルシーが迷うようなそぶりをすれば期待を抱けたかもしれないが、エルシーは困っただけで迷いはしなかった。彼女の中の将来図に、フランシスの影はどこにもないと思い知らされた。
(でも俺は――エルシーに側にいてほしい)
エルシーと再会しなければ、フランシスはいずれ、好きでもない適当な女と世継ぎのためだけに結婚することを選んだだろう。女嫌いのフランシスは、自分の好みの女を探そうなどという愚を犯したりしない。そもそも女を信用できないフランシスが、「好みの女」など見つけられるはずがないからだ。
だから国にとって一番都合のいい、自己主張の少なそうな女を妃候補の中から探して正妃に据えるつもりだった。顔も性格も何にも興味はなかった。それでいいと思っていたし、自分はきっと一生こうなのだとも思っていた。
でも、エルシーを見つけてしまった。
ずっと昔に、たった一か月修道院で一緒に暮らしただけの少女。
エルシーはフランシスのことなどすっかり忘れているようだが、フランシスは忘れることなどできなかった。
子供のころだったので、そこに恋愛感情があったわけではない。
ただ、一番苦しいときにずっと寄り添ってくれていたぬくもりが、フランシスはどうしても忘れられなかっただけだ。
純粋で、真っ直ぐで、ころころと表情のよく変わる少女。エルシーは、色あせないフランシスの思い出の少女のまま成長していた。
最初はただ懐かしくて、そして居心地がよくて――気が付いた時にはエルシーがほしくなっていた。
このまま自分の側にいてくれないだろうか。
エルシーがフランシスの側にいたいと思ってくれれば、どんな手段を使ったって手放さないのに。
そう思ったのに、エルシーは出て行ってしまった。きっともう、戻ってこない。
「陛下、刑部から至急の書類が――」
補佐官のアルヴィンがそう言いながら急いで部屋に飛び込んでくる。そして、ぼんやりと窓外を眺めているフランシスに気づいて眉をひそめた。
「陛下! ここのところずっとその調子で書類がちっとも進んでいません! 窓の外には書類もインクもペンも存在しませんよ! きりきり手を動かしてください!」
「お前は少しくらい感傷という言葉を覚えてみたらどうなんだ」
「何言ってるんですか! お気に入りの妃候補が里帰りに行っただけじゃないですか。思春期の子供ではあるまいし、三週間会えないくらいなんですか」
(里帰りに行っただけ、じゃないから落ち込んでいるんだろう)
しかしこれを説明するわけにはいかない。
フランシスはため息をついて、窓から書類に視線を戻した。
そこへ、アルヴィンが「至急」だという刑部からの書類を割り込ませてくる。
「これからお願いします。囚人が脱獄したそうです」
「脱獄?」
囚人が脱獄する事件はどこかしらで年に一、二回程度起こるが、たいていすぐに捕まって事後報告になることが多い。
どうせまた逃げようとして捕まった囚人の刑期をどうするかとかの確認だろうと思って書類を確認したフランシスは、目を丸くした。
「……捕まっていないのか」
「はい」
刑部からの報告によると、東の牢獄から一人の囚人が昨日の夜に脱獄し、王都からも捜索隊を派遣して調べさせているが見つからないという。
「東の牢獄というとウェントール公爵領のゴルドア牢獄か。……ん、待てよ」
フランシスは脳内にシャルダン国の地図を思い浮かべてハッとした。
(ウェントール公爵領のゴルドア牢獄というと、近くにケイフォード伯爵領があるじゃないか!)
ケイフォード伯爵領は、王都とウェントール公爵領に挟まれている。
フランシスは立ち上がった。
「こうしてはいられない。よし、ゴルドア牢獄へ行こう」
アルヴィンはギョッとした。
「ええ⁉」
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