諦めの悪い人たち 3

(あの人はいったい誰なのかしら?)


 翌朝、エルシーはシスターたちとともに礼拝堂を掃除しながら考えた。

 昨日、エルシーが子供と間違えて思い切り驚かせてしまった男性は、今朝になっても目を覚まさず、礼拝堂の中の一室に寝かされている。

 念のため近くの医者を呼んだところ、疲労がたまっているようだが病気ではなさそうだと言っていた。ただ、見るからに痩せていて栄養が行き届いていないようなので、目を覚ましたら消化のよさそうなものを食べさせてあげた方がいいとのことだった。汚れていたから、風呂も必要だろう。


「しっかしまあ、子供と間違えて大人を気絶させるとか、さすがエルシーよね」

「ほんとよ。どんな驚かせ方をしたのかしら? 間違えたら心臓止まってたんじゃない?」

「礼拝堂で死亡事故とかにならなくてよかったわ」

「肝試し大会で間違えて驚かせて死なせてしまいましたとか、洒落にならないもの」


 せっせとグランダシル像を磨くエルシーの背後で、シスターたちがくすくすと笑っている。

 あんまりな言いように、エルシーはぷうっと頬を膨らませた。

 エルシーだってわざと気絶させたのではないのだ。確認しなかったのも悪かったが、子供しか来ないと思っていたのだから仕方がないだろう。


(子供たちも、エルシーが大人の男を気絶させたぜーって盛り上がっていたものね。ひどいわ!)


 昨日も大盛り上がりで、今朝なんて「エルシーごっこ」遊びなるものをはじめてしまった。簡単に言えば、一人がエルシー役で、一人が昨日気絶した男の役だ。エルシー役が驚かせて男役が気絶するという、何が楽しいのかよくわからないごっこ遊びである。


「でも、このあたりでは見ない顔だったわね。旅人さんなのかしら?」


 シスター・イレーネがおっとりとつぶやいたのを聞いて、エルシーは振り返った。


「旅人さんがどうして礼拝堂にいたんでしょうか?」

「旅の途中に立ち寄ったんじゃない? ほら、このあたりでは聞かないけど、北の方だと、宿が取れないときに礼拝堂を宿代わりに使う旅人がいるって聞くもの」


 なるほど、つまり礼拝堂で一晩過ごそうと思って来たのだろうか。


「休むために来たのに驚かされるなんて思わなかったでしょうね」

「お気の毒だわ……」


 確かに旅人(仮)は気の毒かもしれないが、さっきからシスターたちの言葉がグサグサと胸に突き刺さっているエルシーは気の毒ではないのだろうか。少しは遠慮してほしい。


(でも気になるのは気になるし、昨日のことも謝らないといけないから、掃除が終わったら様子を見に行ってみましょう)


 旅人(仮)にはカリスタがついている。医者はそのうち目を覚ますだろうと言ったので、掃除を終えて向かう頃には目を覚ましているかもしれない。

 エルシーはグランダシル像の拭き掃除を終えると、最後にシスターたちと全員で床の拭き掃除をして、旅人(仮)が休んでいる客間に向う。


 客間は修道院の一階の端にあって、扉を叩くと中からカリスタの返事があった。

 そっと扉を開くと、椅子に座っているカリスタと、その奥にベッドに上体を起こしている男の姿があった。


「あら、エルシー。ちょうどあなたのことを話していたのよ」


 カリスタがくすくす笑いながら手招きしたので部屋の中に入ったエルシーは、きっと昨日のことを話していたのだと察して縮こまった。


「き、昨日は本当に申し訳のないことを……」

「いやいや、こちらこそ、肝試しの最中とは知らず勝手に入って申し訳ないことを」


 旅人(仮)もベッドの上で恐縮しきったように頭を下げる。

 彼はすでに湯を使った後なのか、さっぱりした様子だった。髭も綺麗に剃られて、昨日ちらっと見た様子では四十半ばほどに見えたのだが、今は三十半ばほどに見える。髭と汚れでだいぶ印象が変わるものだ。

 ガウン姿のところを見ると、着ていた服は洗濯に回されたのだろう。


(旅人さんの割に荷物がないのね)


 そう言えば昨日も手荷物がなかったなと思ったが、あれこれと詮索するのは失礼なことなので気にしないことにした。

 焦げ茶色の髪に同じ色の優しそうな瞳。彼は恥ずかしそうに頬を掻きながら、昨夜は空腹でつい祭壇の上のクッキーに手を伸ばそうとしたのだと白状した。


「彼はダニエルさんとおっしゃって、東の、ウェントール公爵様の領地からいらっしゃったようよ。お知り合いを探しているんですって」


 カリスタの説明に、ダニエルが頷いた。


「友人がこの近くの町に住んでいたんですが、なにぶん五年ぶりのことでして、引っ越してしまったみたいです」

「近くの町というと……ポルカ町でしょうか?」


 修道院の近くは山と農村地が広がっているが、北東に少し行ったところに町がある。美味しいパン屋さんがあって、少し前に修道院を出て町で働いている子たちが里帰りするときに、よくお土産で買ってきてくれるのだ。


「ええ、そうです。ここに来る前に寄ったのですが、友人が住んでいた家には別の人がいました。それで、友人の手掛かりを探してこのあたりまで来たのですが、途中で道に迷ってしまって……」


 方角がわからず歩き回っているときに礼拝堂を見つけて、休ませてもらおうと考えたそうだ。


(このあたり、道が入り組んでいてわかりにくいものね?)


 農村地のため道も整備されておらず、どの道もくねくねしている。そこへ畑や果樹園などに向けて細い道がいくつも伸びているから、混乱しても仕方がない。


「お医者様も疲れがたまっているようだとおっしゃっていたから、体調が落ち着くまでここにいてもらおうと思うの。みんなにも伝えて来てくれる? あとついでに、ホットミルクを持ってきてくれないかしら? 子供たちに頼んでおいたのだけど、来ないところ見ると忘れて遊んでいるのだと思うわ」

「わかりました!」


 困っている人は助けましょうというのがカリスタの教えである。エルシーにももちろん異論はない。


「ダニエルさん、お友達、早く見つかるといいですね!」


 エルシーがそう言って笑うと、ダニエルは眩しいものでも見るように目を細めて、小さな声で「そうですね」とつぶやいた。




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