シスター見習いは神様の敵を許しません 3

「お妃様、本当にここで眠るんですか?」


 祭壇前の蝋燭を二本灯しただけの薄暗い礼拝堂で、ダーナが何度目になるのかわからないため息をこぼした。

 木製のベンチの上にタオルケットを準備して、お茶の入ったポットとアップルケーキの詰まった籠を持ったエルシーは、もちろんよと、これまた何度目かわからない頷きを返す。


「また礼拝堂を汚されたらたまらないもの! 昼間は人の出入りを監視できるけれど、夜はできないでしょ? だからここで礼拝堂を守るの」

「だからって、何もここで寝起きしなくとも……。朝早くに様子を見に来ればよろしいではありませんか」

「汚されてからでは遅いのよ。グランダシル様の家はわたくしが守るわ! あ! ダーナとドロレスはちゃんとベッドで休まないとだめよ?」

「そう言うわけには……」

「大丈夫よ! わたくし一人でも立派に礼拝堂を守って見せるもの!」


 ダーナはこめかみを押さえて眉を寄せる。何度も同じ押し問答を繰り返したので、これ以上言っても無駄だと判断したようだ。


「……何かあればすぐに大声を上げてくださいね。騎士団の方が近くで見張りをなさっているそうですから」

「わかったわ」


 エルシーは頷いた。本当は騎士団の人たちの手を借りるのは申し訳なかったのだが、クライドに押し通されたのだ。お礼はアップルケーキでいいと茶目っ気たっぷりに片目をつむられては、エルシーもそれ以上は何も言えなかった。

 ダーナが何度も振り返りながら礼拝堂から出て行くと、エルシーは隣の長椅子にポットとアップルケーキの入った籠を置いて、祭壇を振り返る。


 ゆらゆらと二本のろうそくの炎が揺らめく上のステンドグラスから、色付きの月明かりが差し込んでいた。今日は満月だ。

 薄暗い礼拝堂の中は不気味だとダーナは言ったけれど、エルシーはとても神秘的だと思う。

 ステンドグラスから差し込む月明かりをずっと見ていたいような気になって、しばらく上を見上げていたエルシーだけれど、ふわりと入り込んできた隙間風にぶるりと肩を震わせた。


「くしゅん!」


 さすがに夜は冷える。

 エルシーは長椅子に座るとブランケットにくるまった。そしてまた、ステンドグラスを見上げる。

 そうしてしばらくぼーっと揺れる蝋燭の灯りとステンドグラスから差し込む月明かりを眺めていたときだった。


 ぎいっと、静まり返った礼拝堂の中に扉が開く音が響いて、エルシーはハッとした。

 長椅子の下に隠していた掃除用の竹ぼうきを取り出して、ぎゅっと構えて振り返る。

 誰だろうと目を凝らしたエルシーは、礼拝堂の入口に一人の人間を見つけた。背が高くて、フード付きの外套を羽織っている。……見るからに怪しい。


「誰!?」


 エルシーが竹ぼうきを構えて立ち上がると、「私だ」とあきれたような声とともに、その人物がフードを外した。

 薄暗闇の中に浮かび上がるのは、エメラルド色の二つの瞳。エルシーは息を呑んだ。


(フランシス国王陛下!?)


 いくら国王に興味のないエルシーでも、昨日見たばかりの男の顔は覚えている。

 しかしなぜ国王がここにいるのだろうか。


(まさか国王陛下が礼拝堂を荒らした本当の犯人?)


 イレイズはクラリアーナが怪しいと言ったけれど、エルシーもそれを完全に信じたわけではない。証拠もないのに人を疑うべきではないとカリスタの教えだ。だがイレイズの言う通り、再びここが荒らされる可能性もあるからこうして見張りをしようと思い至っただけである。


(どうしよう……もし陛下が犯人だったら……説教したりしたら不敬罪でわたしの方が捕まっちゃうのかしら?)


 両手でぎゅうっと竹ぼうきの柄を握りしめて困っていると、フランシスがこちらに歩いてきながら言う。


「そんなものを持って、まさか応戦する気だったのか? もし犯人が男だったらどうする気なんだ」


 ということは、フランシスは犯人ではないようだ。

 エルシーはホッとして、竹ぼうきを長椅子の下に戻して答える。


「たとえ犯人が誰であろうとも、礼拝堂を汚す人を許すわけにはまいりません。どれだけ罪深いことをしたのか、きちんと悔い改めてもらわなくては」

「そうではなく怪我をしたらどうするんだと訊いているんだ」

「怪我ですか?」


 エルシーはきょとんとして、それからぷっと吹き出した。


「大丈夫ですよ! こう見えて、わたし、意外と強いんですから!」


 修道院の裏で飼っている鶏を盗もうと忍び込んだ泥棒をほうきで殴って捕まえたことだってあるのだ。あのときは近くの町の警備隊から感謝状を贈られた。カリスタは「なんて危ないことを」とあきれていたけれど、エルシーは怪我をしなかったし、大事な鶏も守れた。

 エルシーが修道院で暮らしていたことは内緒なので過去の武勇伝は語れないが、自信満々に胸を張れば、なぜかフランシスに嘆息された。


「何の冗談だ」

「冗談ではなく大まじめです。そんなことより陛下はどうしてこちらへ?」

「心配してやったのに『そんなこと』か……」


 フランシスは小声でつぶやいてムッと眉を寄せた。


「妃候補が馬鹿なことをしていると報告を受けたから様子を見に来たんだ。お前たちが王宮で生活する一年間を安全にすごさせるのも私の務めだからな」


 自分たちで掃除や洗濯や料理、何もかもをしろと無茶な命令を出しておきながら、妃候補の安全には気を配っているらしい。冷徹な人なのかと思ったが、根は優しいのかもしれない。

 フランシスはエルシーがブランケットを置いている後ろの長椅子に腰を下ろした。


「何故そうまでして礼拝堂を守りたいんだ」

「何故と言われましても……」


 礼拝堂はエルシーにとってかけがえのない場所だ。それがどこに存在する礼拝堂であっても、グランダシル神を祀っている場所であるならば、「神様のお嫁さん」を志すエルシーにとって守るべき場所なのである。

 いや、例え「神様のお嫁さん」にならなかったとしても、子供のころから毎日祈りをささげたグランダシル神の住まいを守っただろう。


「……神様は貴族も平民も孤児も関係なく、平等に愛してくださるもの。神様が愛してくださる限り、わたくしたちは生きていていいんです、と……、わたくしはそう教えられて育ちました。わたくしが今あるのはグランダシル様と、そう教えてくださった方のおかげです。だから、わたくしは何があろうとも、例えこの身が傷つこうとも、礼拝堂を守ります」


 今でこそ平気なエルシーだが、捨てられたばかりの子供のころは、どうして父も母も会いに来てくれないのだろうかと、毎日のように泣いていた。そんなエルシーを抱きしめて、カリスタが礼拝堂のグランダシル様の像を指さながら、「あなたのことはあそこにいらっしゃる神様が愛してくださっているのですよ。だから生きているのです」と何度も諭してくれたことを覚えている。いつしかエルシーは、淋しいとき、悲しいときには礼拝堂のグランダシル神に祈る癖がついた。楽しいときにも嬉しいときにも、愛してくださってありがとうございますと神に祈った。そうして生きてきたエルシーにとって、礼拝堂はもう一つの家なのだ。


 エルシーが真顔で答えると、フランシスがハッと息を呑んだ。

 そして、信じられないものを見る目でエルシーを見つめて、彼はかすれた声でつぶやいた。


「…………エルシー?」



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