シスター見習いは神様の敵を許しません 4

 ――神様が愛してくださる限り、わたくしたちは生きていていいんです。


 セアラ・ケイフォードの口からその言葉が出たとき、フランシスは息を呑んだ。


 ――大丈夫、神様が愛してくれるから、わたしもフランお兄ちゃんも生きていてもいいんだよ。


 ふと、十年前に大きな目にいっぱいの涙をためて言ったエルシーの姿と、セアラ・ケイフォードの姿が重なって見えたからだ。

 なぜかはわからなかった。だが気が付いた時には「エルシー?」とセアラに向かってそう呼び掛けてしまっていた。

 自分でも驚くほどにかすれた声だったから、セアラは聞き逃すか怪訝に思うかのどちらかだろうと思ったのに、彼女は驚いたように目を見開いて硬直した。


「……どうして……」


 その返答は、あきらかにおかしかった。

 確信したわけではなかったが、セアラが「エルシー」という名前を知っているかもしれないと気づいたフランシスは、もう一度、今度ははっきりとその名前をくり返してみることにした。


「エルシー?」


 すると、セアラは狼狽えたように視線を彷徨わせはじめた。

 そして、フランシスから身を守るかのようにブランケットを胸の前で握りしめて、小声で言う。


「……どうして、わたしがエルシーだって知っているんですか?」


 これにはフランシスの方が愕然とした。

 フランシスはただ、セアラがエルシーを知っているのではないかと思っただけだった。それなのに、そんな、まさか――


「エルシー?」


 三度目の呼びかけに、セアラは――いや、エルシーは、弱々しい声で「はい」と頷いた。

 フランシスは思わず立ち上がった。


「エルシー? 何故お前がここにいるんだ?」


 つい詰問するような声になってしまった。だって本来エルシーはここにはいないはずの存在だ。それなのにどうして「セアラ・ケイフォード」を名乗ってここにいるのだろう。


(まさか、セアラ・ケイフォードが『エルシー』だったのか?)


 フランシスと同じように、名前を偽って修道院に預けられていたのだろうか。淡い期待が胸をよぎる。

 エルシーはおろおろとして、それからふるふると首を横に振った。


「な、なぜわたくしがエルシーだとわかったのかはわかりませんが、その、このことは誰にも言わないで……ハ! でも陛下に知られたら、内緒にされても意味がない……?」


 エルシーが真っ青になってふるふると震えはじめたので、フランシスは慌てた。

 エルシーはどうやら、フランシスが十年前の「フラン」だとは気が付いていない様子だった。それもそうだろう。なにせあの時エルシーは六歳だったのだ。僅か一か月しか一緒にいなかった男の子を覚えているはずがない。あれから十年も経ったのだ。


 少し淋しいような気がしたけれど、フランシスだって、エルシーの顔をはっきりと覚えていたわけではなかったのだから、それでエルシーを責めるのは間違っている。

 フランシスはこの場で十年前のことを話してしまいたい気になったけれど、ふと意地悪な心が頭をもたげた。あっさり教えるのは癪だ。どうせならエルシー本人に思い出させたい。

 フランシスは十年前に会ったことがあることを内緒にしておくことにした。


「誰にも言わないでいてやってもいい。だが、どうしてここにエルシーがいるのか、説明くらいはしてくれるんだろう? ……もちろん、お前が言わないならケイフォード伯爵に訊ねればすむ話だから、伯爵に確認を取るか、今ここでお前が白状するのかは、選ばせてやる」

「ケイフォード伯爵に確認するのはやめてくださいっ」


 エルシーが悲鳴のような声を上げたので、フランシスは「おや?」と思った。エルシーがセアラ・ケイフォードならば、ケイフォード伯爵のことを「お父様」と呼ばないのはおかしい。

 エルシーはおろおろしながらも、諦めたように、ぽつりぽつりと事情を説明する。

 エルシーの話を聞き終えたフランシスは、愕然とした。


「ちょっと待て、ではお前は、セアラ・ケイフォードの双子の姉だと?」


 ケイフォード伯爵家には娘が一人しかなかったはずだ。つまり、戸籍からも抹消されて――いや、生まれたときから登録されていなかったことになる。つまり、二人のうちどちらかを捨てるのは生まれたときから決めていたことで、残った方を「セアラ」とするつもりだったということだ。


 昔に比べて受け入れられつつあるとはいえ、双子は不吉だという昔の教えは未だに残っていて、双子が生まれれば秘密裏にどちらかを殺してしまうような家もあるという。

 そう言う風習が残っていることは知っていたが、フランシスは怒りで目の前が真っ赤に染まるかと思った。


 エルシーはつまり「不要」だと捨てられたのだ。

 十年前、フランシスはとある理由で心に傷を負っていて、ぽつりと「なぜ生まれてきたのだろうか」とエルシーの前でつぶやいたことがあった。

 そのとき、エルシーが先ほどのセリフを言ったのだ。


 ――大丈夫、神様が愛してくれるから、わたしもフランお兄ちゃんも生きていてもいいんだよ。


 エルシーはあのとき、どんな気持ちでそれを言ったのだろうか。

 フランシスは怒りで震える手を握りしめた。


「それで……セアラ・ケイフォードの顔の痣が治るまで、お前は身代わりとしてここに入るように命じられた……そう言うことなんだな」

「そうです。だから、ちゃんと本物のお妃様候補は次の里帰りの時に来ますから、それまで内密にしておいて……い、いえ、お目こぼしいただけないでしょうか……?」


 エルシーは言った。ケイフォード伯爵が修道院の寄付を打ち切らないためにも、セアラの身代わりの仕事は全うしなくてはならないと。つまり、ケイフォード伯爵は実の娘を、修道院の寄付をちらつかせて脅したということだ。

 今すぐ城に呼び出して問い詰めてやりたいところだが、それをすればエルシーが困る。

 フランシスは大きく息を吐くと、腕を伸ばして、怯えた顔をしているエルシーの頭をポンと撫でた。


「わかった。いいだろう。目こぼししてやる。……だが、一つ交換条件だ」

「こ、交換条件……?」


 フランシスはいつだったからクライドが言ったことを覚えていた。ニヤリと笑うと、子供のころのぷっくりした頬を懐かしく思いながら、今の滑らかなエルシーの頬をつついて言う。


「アップルケーキ。……お前が作る、アップルケーキが食べたい」


 エルシーは幼いころと同じように、大きな瞳をぱちくりとさせた。

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