古いお城には幽霊がでるものです 2
翌朝、エルシーは古城の隣にある礼拝堂へ向かうことにした。
昨日の栗色の髪のメイドはララと言う名前で、エルシーの部屋の専属メイドだそうだ。礼拝堂について訊ねたところ、朝の掃除が六時に終わってそこから夕方の五時まで解放されているという話だった。
妃候補たちは、朝食と昼食は各自部屋で取るようにとフランシスの命令なので、朝食の支度で慌てる必要はない。エルシーが掃除が終わる六時を見計らって礼拝堂へ向かおうとすると、ダーナが一緒に来るというので、彼女と一緒に部屋を出た。
初夏とはいえ朝はまだ肌寒い。特にこの古城は山を切り開いて建てられているので標高が高いところにあり、暮らしていた王宮よりも体感温度が数度低いような気がした。
ひんやりとした風が頬を撫でて、エルシーは羽織っていたストールをぎゅっと握りしめる。昼になると暖かくなるからと、半そでのワンピースを着たのは失敗だったかもしれない。
古城の裏手の山を見上げれば、朝もやがかかっていた。
「なんだか神聖な感じがするわね」
エルシーが城の奥の山を見ながら言えば、ダーナがエルシーの視線を追って頷く。
「霊峰ですからね」
「霊峰?」
「この地には、グランダシル神とは別に、戦女神が住んでいるのです」
「戦女神?」
エルシーの知る神様はグランダシル神ただ一柱だけだ。
「わたくしもあまり詳しくはありませんが……この国がまだ二つの国だった数百年前の時代に、国を統一した初代国王がこの山に住むと言われている戦女神に祈りを捧げたそうです」
「お名前は何と言うの?」
「存じ上げません。何の資料も残っていないそうです。この地に昔から住んでいる方にお聞きすれば何かわかるかもしれませんが……、もう何百年も前のことなので、口伝で語り継がれているかどうかも……」
「そうなのね。それにしても、ダーナは物知りなのね」
「わたくしの家庭教師だった女性が、歴史に詳しい方だったのです。授業の合間に昔話を聞かせるようにしていろいろ教えてくださったのを覚えているだけなので、他人より多少知っている程度ですよ」
修道院で暮らしていた時に、院長であるカリスタに、この国にグランダシル神の信仰がなかなか根付かないのは、各地にそれぞれ土地神がいたからだと聞いたことがある。それらの神はその土地土地の人たちに深く根付いていて、礼拝堂などなくても風や土、木や水などに神の息吹を感じながら生きているから、なかなかグランダシル神が信仰されないのだという。
信仰を矯正しないというカリスタの教えがあるから、もちろんエルシーもそれについては何も不満には思わない。
どうやらこの霊峰に住むと言われる戦女神も、この土地で信仰されている土地神なのかもしれなかった。
城の隣の礼拝堂の重厚な扉を開くと、中は外よりもさらにひんやりとしていた。左右に五つずつ長椅子が並び、祭壇の奥にはステンドグラス。どこの礼拝堂も大きさこそ違えど、同じような作りだ。
扉から祭壇までは細長い緋色の絨毯が伸びていて、エルシーは祭壇前に跪くと、両手を組んでグランダシル神に祈りをささげる。
ダーナもすっかりお祈りには慣れていて、エルシーの斜め後ろで同じように祈りをささげた。
時間にして十分ほどの祈りをささげたあと、エルシーが帰ろうとしたとき、礼拝堂の扉が開いでフランシスが入ってきた。
ダーナがさっと礼を取ったので、エルシーもならって頭を下げる。
「少し外してくれ」
てっきり二人とも出て行けと言われたのかと思ったが、フランシスはダーナにだけ言ったようだ。エルシーにはこちらに来いと、一番祭壇に近いところの長椅子に座るように促す。
何か用事なのと思ったが、ダーナが出て行った途端、フランシスがごろんとエルシーの膝を枕に寝転がった。
「陛下?」
「しー! 少しばかりここで休ませてくれ。ここに来てからというものずっと追い回されて疲れたんだ」
それはわかったが、何故エルシーの膝を枕にするのだろうか。
フランシスを追い回しているのは十中八九、妃候補たちだろう。王宮で生活していても、フランシスはちっとも妃候補たちに会いに行かない。だから、このチャンスにフランシスに近づきたくて仕方がないのだろうと思う。
(あれだけの女性に追い掛け回されたら大変よね……)
エルシーはフランシスに同情して、彼の艶やかな黒髪を遠慮がちに撫でてみた。
「慰めてくれるのか?」
「ええっと、お嫌でした?」
修道院の子供たちは、疲れたり落ち込んでいるときに頭を撫でて慰めてやると喜ぶのだが、大人の男性であるフランシスに同じ扱いをするのはまずかったかもしれない。
エルシーは手を引っ込めようとしたけれど、フランシスがエルシーの手首をつかんで押しとどめた。
「続けてくれ。気持ちがいい」
よかった。嫌ではなかったらしい。エルシーはホッとして、ゆっくりとフランシスの頭を撫でる。
「俺は女が嫌いだと、前に言ったことがあるか?」
「いいえ。お嫌いなんですか?」
「お前は別だ。それに、女だからという理由で拒絶するわけでもない。だけど……昔に嫌なことがあってな、どうも女が信用できないんだ」
エルシーはその告白にもさほど驚かなかった。フランシスの行動や視線の動きを見ていれば女性が苦手なのかなと思う部分は多々あったからだ。
(女性が苦手なのに追い回されたら、それは疲れるわよね)
エルシーはフランシスに同情した。女性が苦手でも、国王である以上は妃を娶ることは避けては通れない。いずれは、十二人の妃候補たちの中から誰かを選んで正妃に据えなくてはならないだろう。正妃との間に子供ができなければ、さらに側妃を求められてしまう。
女性が苦手なフランシスが、心から信頼出来て、愛することができる女性が彼の妃になってほしいと思う。祈ることしかできないけれど、エルシーはそっと目を閉じて、礼拝堂の最奥にあるグランダシル神の像にそっと祈りをささげた。
「そう言えば、この古城の噂を知っているか?」
フランシスがニヤリと笑って、突然そんなことを言った。
「噂ですか?」
「ああ。この城は何百年も前に建てられたもので、歴史書によるとここでは何度も血なまぐさい事件が起こっていたらしい。……だからな。出るんだ」
「出る?」
「幽霊だよ。夜になると、古い甲冑を着た騎士が、城の廊下を音もなく彷徨うのだそうだ。どうだ、怖いだろ……ん?」
ニヤニヤ笑っていたフランシスだが、エルシーの顔を見て、ふと訝しそうに眉を寄せた。
エルシーはキラキラと瞳を輝かせた。
「幽霊ですか⁉ まあ! それは素敵ですね! わたくし、まだ一度も幽霊を見たことがないんです」
「…………」
「幽霊と言うのは、この世に未練を残して死んでいった方なのですよね? きっとその騎士の幽霊も何か未練があるのでしょうね。もし遭遇することがあれば、わたくし、僭越ながら騎士の未練を晴らすお手伝いをして、成仏できるようにご協力したいと思います!」
「…………エルシー、お前、お化けが怖くないのか?」
「怖い? どうしてですか? 元は同じ人ですもの、生きているか死んでいるかの違いでしょう?」
エルシーがきょとんと言えば、フランシスは苦虫をかみつぶしたような顔をした。どうしてそのような表情をするのだろう。
「生きているか死んでいるかの違いか……お前は変わっているな」
「そうですか?」
「ああ。普通、女ならば怖がってわーきゃー騒ぐところだろう」
面白くなさそうな顔をしているから、もしかしなくともフランシスはエルシーが騒ぐことを求めていたのだろうか。
しかし、人は死ぬとグランダシル神の住まう天上世界へ行くと信じているエルシーにとって、生者と使者は、肉体があるかないかの違いでしかない。死んだ人の魂が化け物に変化するわけでもないから、肉体が滅びてもその人の人格に大差はないだろう。恐れる理由がわからない。
不思議そうな顔をしているエルシーにこれ以上何を言っても無駄だと判断したのか、フランシスは気を取り直すように一つ咳ばらいをした。
「アップルケーキがもうないな」
「そう、ですね。それほど日持ちがしないので、道中に食べきれる分しか持ってきていませんでしたから」
エルシーが食べようと作って持ってきていたアップルケーキだが、フランシスにも渡してあった。彼はアップルケーキが好きで、エルシーが「セアラ・ケイフォード」ではないことを秘密するかわりに、アップルケーキを欲しがったので、彼には定期的にアップルケーキを届けている。
「ここのキッチンを使えれば作りますけど……さすがにそれは問題ですよね?」
アップルケーキはエルシーの秘密を黙ってくれることへの交換条件なので、もちろん望まれれば作るけれど、古城のキッチンを勝手に借りるわけにはいかないだろう。
フランシスは少し考えて、使っていい時間があるかどうか聞いてみようと言った。この顔は多少の無理も押し通す気だろう。そうまでしてアップルケーキが食べたいらしい。
「ふう、少しは休憩できた。助かった」
これ以上、外でダーナを待たせておくわけにはいかない。フランシスが身を起こしたので、エルシーは立ち上がった。一緒に出るところをほかに妃候補たちに見られたらうるさいらしいので、先に礼拝堂を出ることにする。
「キッチンについてはまた連絡する」
「わかりました。あ、ここは少し冷えるので、風邪をひかないようにお気を付けくださいね」
エルシーは小さく一礼して、礼拝堂から出て行った。
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