古いお城には幽霊がでるものです 1
王家の別荘であるワルシャール地方の古城は、現在の王都の城に移り住む前の国王の居城だったそうだ。
というのも、王都に遷都する四百前まで、このワルシャール地方が王都であったらしい。
ここにたどり着くまでののどかな田舎の風景からは想像もつかないが、城のすぐ下に広がる街の建物は、古いながらも洗練されたものが多く、何よりきちんと区画整理されていて見た目にも美しい。
古城の下に広がる街の、白い石畳が美しい中央通りを緩やかにカーブしながら進み、古城の広い前庭で馬車が停まる。
といっても、馬車は十三台もある。最前列の馬車から順番に降りていくことになり、最後尾のエルシーが馬車から降りられたのは、一台目の馬車に乗っていたフランシスが降りてから一時間半後のことだった。
城は三階建てで、エルシーは三階の西側の中ほどの部屋を与えられた。部屋はエルシーが二つの部屋とそれから浴室が内扉でつながっている。エルシーが浴室と西隣りの部屋に挟まれた中央の部屋を使い、西側の部屋をダーナとドロレスが使うことになった。
着替えなどの荷物を片づけ終わるころには、窓の外はすっかり夕焼け色に染まっていた。
妃候補たちは全員、一階のメインダイニングで夕食を取ることになる。夕食の席にはフランシスとスチュワートももちろんいて、妃候補たちはそこではじめてスチュワートに挨拶することになるらしい。
だからだろうか、荷物を置いてすぐに、ダーナとドロレスに追い立てられるように浴槽に押し込まれてしまった。全身をピカピカに磨き上げて、気合を入れて着飾らねばならないらしい。エルシーはそこまで頑張らなくてもいいのにと思ったけれど、ダーナとドロレスの無言の圧力に閉口するしかなかった。
部屋に案内したメイドにダーナが浴室に湯を用意してほしいと頼んでいたので、浴槽にはすでに温かい湯が張られている。
これだけ大人数が一度に来たのでここで働く使用人の面々はさぞ大変な思いをすることになるだろうが、頼まれたメイドは嫌な顔一つせずに、にこりと微笑んで応じてくれた。栗毛で、頬に少しそばかすのある可愛らしいメイドだった。名前を聞いておけばよかったと思う。
「タンポポなんて取るから、爪に茶色い色がついてしまっているじゃないですか」
ダーナが泡立てたシャボンで一生懸命にエルシーの指先を洗いながらぶつぶつ言った。
タンポポだが、クラリアーナが騎士たちに頼んでくれたおかげで、たくさんの根を採取することができた。クラリアーナはタンポポ茶と引き換えに、今後も騎士たちにタンポポの根を採取してくるように頼んでくれるらしい。
「二、三日もしたら綺麗になるわよ」
「二、三日も待っていられません! 重要なのは今日です!」
ダーナによると、前王弟スチュワートとフランシスは仲がいいらしい。ここでスチュワートに好印象を抱いてもらうことが重要なのだそうだ。要は、スチュワートからフランシスへの口利きを期待しているらしい。
(……そう言うものなのかしらね?)
ダーナには悪いが、フランシスにはすでにエルシーの正体がばれている。たとえスチュワートが口利きしてくれたところで、フランシスの中のエルシーの印象は「セアラの身代わり」より上がるはずがない。だから、勝負はむしろ今日ではなく、セアラとエルシーが入れ替わったあとだと思うのだが、もちろんそんなことは言えない。
ダーナがエルシーの爪の汚れをどうにかしようと頑張っている間に、ドロレスがエルシーの銀髪を丁寧に洗っていく。
王宮の風呂ではエルシーは基本的に一人で入る。修道院では、大きな風呂に数人がまとめて入るのが普通だったので、人に裸を見られることには慣れているけれど、こうして風呂の手伝いをしてもらうのはちょっとくすぐったい。
風呂で全身を丁寧に洗われたあとは、ドレスに着替えて、化粧タイムだ。
今日のドレスは、クラリアーナに教わりながらエルシーが作ったライムグリーンのドレスである。
クラリアーナのように胸が大きくないので、胸元は開いていないが、かわりに肩甲骨が見えるほどに背中が開いている。ドロレスによると、エルシーは背中のラインがとてもきれいなのだそうで、それを強調するために髪はすべて結い上げるらしい。
ドロレスが髪、ダーナが化粧と、素晴らしい連係プレイでエルシーが別人のように着飾られていく。
一時間かけて支度が完成すると、晩餐にちょうどいい時間だった。
ダーナとドロレスはメインダイニングではなく、サブダイニングでほかの侍女たちと一緒に食事を取るそうだ。
メインダイニングまでついてきてくれるというので三人で一緒に廊下に出ると、ちょうど奥の部屋からオレンジ色の髪をした細身の女性が、二人の侍女を連れて歩いてくるところだった。
妃候補の一人、ミレーユ・フォレス伯爵令嬢だ。王宮では右から九番目の部屋が与えられている。
エルシーが一番身分の低い妃候補なので、こういう場合はミレーユに道を譲らなければならない。
立ち止まって頭を下げると、ミレーユがふとエルシーの前で立ち止まった。どうしたのか顔をあげると、ミレーユが茶色の瞳でエルシーを睨みつけている。
「いい気にならないことね」
「え?」
「クラリアーナ様やイレイズ様に取り入って陛下に近づこうという魂胆なのでしょう? まったく、これだから田舎の伯爵家のものは嫌なのよ。なんていうのかしら、そう、意地汚いって言うの? どうしてあなたみたいな人が妃候補の一人なのかしらね。ああ嫌だ」
「…………」
エルシーはパチパチと目をしばたたいた。ミレーユの顔は見たことがあるけれど、話したのは今日がはじめてだ。はじめて口をきいた日にあからさまに嫌悪感をあらわにされれば、それは戸惑う。
(ええっと……もしかしなくてもわたし、嫌われているのかしらね?)
エルシーはクラリアーナやイレイズに取り入ろうとはしていないし、ましてやフランシスに近づこうなどしていないが――というかアップルケーキが気に入ったフランシスは呼んでもいないのに勝手に来る――、それを否定する間もなく、ミレーユはツンと顎を逸らして歩いて行った。
ミレーユと二人の侍女が立ち去るまで頭を下げて見送っていたダーナとドロレスが、彼女の姿が見えなくなった途端に、「なんなんでしょうか、あれ」と口を尖らせる。
「人のことをとやかく言う前に、ご自身の行動を反省された方がよろしいでしょうに!」
「ご自身の行動?」
「あの方、ここに来るまでに、宿や休憩場所で陛下に付きまとっていたのですわ。ほら、陛下が途中から休憩時間にも馬車からお降りにならなくなったでしょう? あれはあの方がしつこく付きまとったからですわ」
言われてみれば、最初のころはフランシスも休憩中に馬車から降りていた気がする。途中から休憩中も馬車にこもりっきりになったけれど、そういう理由があったらしい。
「その通りですけど、あまり口には出さない方がよろしいですわね」
ふふ、と小さな笑い声がしたので振り返れば、奥からクラリアーナがこちらへ歩いてくるところだった。
クラリアーナは三階の西の奥の、一番広い部屋を使っている。東の部屋と西の部屋と好きに選べたそうだが、クラリアーナは西を選んだのは、その部屋の窓から少し離れたところにある湖が見えるからだそうだ。
「ダイニングへ行くのでしょう? 一緒に行きましょう」
クラリアーナはダーナとドロレスには自分がついて行くから問題ないから夕食を取りに行くように告げると、エルシーの手を取って歩き出す。
「もしミレーユ様の言動でおつらい思いをすることがあれば、わたくしにおっしゃってくださいな。フォレス伯爵家の事業にはわたくしのブリンクリー公爵家も出資していますのよ。だから、あの方はわたくしには逆らえませんの」
「い、いえ、大丈夫です!」
相変わらず、笑顔で恐ろしいことを言う人だ。エルシーがぶんぶんと首を横に振ると、クラリアーナはくすくすと笑いながら「そう?」と小首をかしげる。
「それはそうと、そのドレス素敵ですわね。あれから裾に手を加えたのね。これは……何の花かしら。可愛らしい刺繍ですわ」
「クロッカスです。いろんな色がある花なんですけど、せっかくだから白とオレンジを交互に入れてみました」
クロッカスは修道院の門の近くに植えてぱなしになっていて、毎年どんどん球根が増えているから、今では春になるとまるで花の絨毯のように一面に色とりどりの花を咲かせてくれる。
ツンツンとした細い葉っぱと、ころんと可愛らしい花の、背の低い植物だ。
クラリアーナと他愛ない話をしながら階段を下りてメインダイニングへ向かうと、どうやら夕食の席はフランシスとスチュワートの席こそ決まっているがあとは自由らしい。
メインダイニングにはすでに大半の妃候補たちが揃っていて、フランシスやスチュワートはまだ来ていなかったが、彼らの席に近い席は皆埋まっていた。
「あら、もう少し早く来ればよろしかったかしらね」
そう言いながら、クラリアーナがフランシスの近くの席に座っている妃候補たちに流し目を送る。
びくり、と彼女たちが肩を揺らしたのを見て、クラリアーナがくすりと笑った。そして、無言でエルシーを見る。
(たぶん、あっちに行きたかったらほかのお妃様候補たちを追い払うわよ、って言いたいんだと思うわ……)
クラリアーナにはほかの妃候補たちを追い払う度胸も迫力も身分もある。彼女がどけと言えば、ほかの妃候補たちは席を立つしかない。
エルシーはたらりと冷や汗をかいて、長いダイニングテーブルの端――フランシス達から一番遠いところにイレイズが座っているを見て、クラリアーナの手を引いた。
「クラリアーナ様、イレイズ様です。わたくし、あちらへ行きますから」
「あら本当。……それでは、わたくしも今日のところはあちらに行きましょう」
クラリアーナがフランシスやスチュワートの席の近くを諦めたとわかり、ほかの妃候補たちがホッと胸をなでおろしたようだ。
イレイズの左右隣りが開いていたので、クラリアーナとエルシーはそれぞれそこに座る。
イレイズが苦笑した。
「見ていて冷や冷やしましたわ」
「あら、わたくしが近くにいた方が陛下も落ち着いて食事がとれるでしょう? 配慮というものですわ」
クラリアーナがわざと大きめの声で言う。
クラリアーナはフランシスの協力者で、妃候補たちを挑発したりしながら、彼女たちの内面などを探っているのだが、それを知っていてもエルシーは焦ってしまう。そういう役目だから仕方がないのだろうが、クラリアーナはわざと敵を作って回るようなことをするのだ。
「隣、よろしいですか?」
少し低めの声が聞こえたので顔をあげれば、エルシーの隣にベリンダ・サマーニ侯爵令嬢がいた。彼女は今来たようだ。
「はい、もちろんです」
エルシーが笑顔で頷けば、ベリンダが綺麗な深緑色の瞳を細めて微笑み返す。
「タンポポはたくさんとれましたか?」
ベリンダはまるで、湖底のように静かで抑揚のない声で話す人だ。
「ええ、すごくたくさん取れました。今、部屋の出窓のところで干しているんですよ」
「……出窓で、タンポポの根を……」
ベリンダが目を丸くして、それからくっと小さく吹き出す。
「ごめんなさい……想像したらおかしくって。確かそこには花が飾られていたはずですけど……」
「花瓶なら、別の場所に移動しました。あそこが一番日当たりがよかったので」
「そ、そうですか……日当たり……ふ、ふふふ……」
何がおかしかったのか、ベリンダは肩を揺らして笑う。
エルシーがきょとんと首をひねっていると、反対隣りのイレイズとクラリアーナがあきれ顔を浮かべた。
「出窓であの根を干しているんですの? よく侍女たちが許しましたわね」
ダーナとドロレスは嫌そうな顔をしたけれど、馬車の中でも座席にタンポポに根を広げていたからか、二人はダメとは言わなかった。
そう言えば、クラリアーナが額に手を当てた。
「……あの二人、もしかしなくても相当大変なんじゃないかしら」
エルシーはきょとんとした。
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