二か月目

プロローグ

 ワルシャール地方は王都より南に馬車で三日ほど行った先にある、国の直轄地の一つだ。

 国の直轄地は国内にいくつか存在するが、それらは世継ぎ以外の王の子らが管理を任されることが多く、ワルシャール地方も礼に漏れず、前王弟のスチュワートが管理しているらしい。


 管理と言っても、たいていは管理人に任せきりで本人は報告や指示だけを出すのが普通だというが、スチュワートは管理を任された十年前からワルシャール地方の王家の別荘の古城に居を移し、積極的にその責務を全うしているという。

 国王フランシスの父である前王とスチュワートは十二歳年が離れていて、御年三十二歳とまだ若い。フランシスとも、伯父と甥というより年の離れた兄弟のような関係らしい。


「本当に一面ブドウ畑ね」


 エルシーは馬車の窓から外を眺めて、わくわくと言った。目的地である古城の別荘まであと数時間ほどで到着するだろう。

 緑色の葉をつけたブドウの木々が見渡す限り一面に植えられている。時間がゆっくり流れていくような、のどかなところ。離れてから二か月も経っていないのに、広がる畑を見ていたら、修道院が懐かしくなってくる。

 畑で作業していた人々が、皆一様に、驚いたように顔をあげてこちらを見ていた。


(それはそうよね、こんな大行列……もしわたしがあそこにいたら、ぽかんと口を開けて見入っちゃうわ)


 そう。エルシーたちはワルシャール地方へ向けて移動中である。――エルシーたち、すなわち、フランシスの妃候補の十二人全員と、そしてフランシス本人。もちろん妃候補にはそれぞれ二人の侍女がついてきているし、フランシスの補佐官もいる。もっと言えば、護衛の数もそれなりだ。


(馬車が十三台に、その周りを護衛の騎士様たちが取り囲んでいたら、何事かと思うわよ)


 フランシスによると、これほどの大移動は過去に例を見ないらしい。フランシスも当初、全員の妃候補を連れていくつもりはなかったそうなのだが、妃候補の中でも一番身分の低いエルシーを連れていくことにしたせいで、あちこちから不公平だという声が上がり、収拾がつかなくなって、結局全員連れていくことになってしまったのだとか。


(ならいっそ、わたしをお留守番にしたらよかったんじゃないかしら?)


 そうすれば、王宮でも左側の部屋を与えられている身分の高い妃候補だけを連れていくことができただろう。そうすればこんな大所帯ではなかったはずなのに。

 まあ、双子の妹のセアラと交代するまでの三か月、ずっと王宮に籠りっぱなしよりは、外に出る方が気分転換になる。


(別荘の古城にも礼拝堂があるらしいし、日課のお祈りは大丈夫そうね)


 残念ながら、礼拝堂の掃除はできないらしいけれど、それは致し方ないだろう。礼拝堂の掃除は古城の使用人の仕事だそうで、突然現れたエルシーが彼らの仕事を奪い取ってはいけない。


「お妃様、お茶をどうぞ」


 エルシーと同じ馬車に乗っている侍女のドロレスが、水筒から紅茶を注いで手渡してくれた。


「ありがとう」


 お茶を受け取ってお礼を言うと、エルシーは馬車の座席に置いている籠の中から、一切れずつ紙で包んで持ち運びしやすいようにしたアップルケーキを取り出して、ドロレスと同じく侍女のダーナに差し出す。持って来たアップルケーキもこれで最後だ。

 三人でケーキを食べつつお茶を飲みながら他愛ない話をしていると、コンコン、と馬車の窓が叩かれた。


 見れば、窓を叩いていたのはエルシーが密かに――本人にばれてしまっているから密かではないかもしれないが――トサカ団長と呼んでいる、焦げ茶色の髪と瞳をした第四騎士団の副団長クライドだった。ちなみにトサカ団長と命名するきっかけになった、トサカのような赤い毛のついた兜は、今日はかぶっていない。

 クライドはエルシーと視線が合うと、人差し指で前方を差した。古城へ到着する前に最後の休憩を取るようだ。


 エルシーが頷くと、クライドはニコリと笑って離れていく。

 休憩は十三台の馬車が停められる広い場所を選んで取られるので、川べりか広い野原の前が多い。

 少し行ったところには流れは緩やかだが川幅の広い川があるそうなのできっとそこだろう。

 エルシーは楽しみになってきた。


(タンポポの根を採取しなくちゃ)


 エルシーの健康茶の一つであるタンポポの根のお茶のストックがなくなったのだ。王宮の庭にタンポポの種をまいて、芽は出てきたのだが、まだまだ小さいので引っこ抜いて根を採取することはできない。

 エルシーがタンポポの根を持って帰ろうとハンカチを準備していると、気づいたダーナが額を押さえた。


「もしかしてまたタンポポですか? ……昨日も取ったと思いますけど」


 昨日の休憩場所でもタンポポを発見したエルシーは、もちろんタンポポの根を採取していた。ダーナは爪の間を泥で汚してまで地面を掘り返してタンポポの根を採取するエルシーが不満らしい。でも、ぶつぶつ文句を言いつつ、ダーナもドロレスも手伝ってくれるのだ。

 エルシーは笑った。


「だってタンポポのお茶、便秘によくきくのよ」

「……はあ。わたくしたちの前なら構いませんが、お願いですから陛下の……いえ、殿方の前で『便秘』などとは口にしないでくださいね」

「どうして?」

「どうしてもです」


 やれやれとダーナが息をついて、つややかな黒髪を一つに束ねはじめた。ドロレスもその隣で、赤茶の髪を右サイドで緩くまとめている。なんだかんだ言って、今回もタンポポの根採取を手伝ってくれるようだ。


(二人とも優しいなあ)


 こんな優しい二人とも、あと二か月もしないうちにお別れかと思うと淋しくなってくる。

 エルシーは、エルシーと同じ銀髪にブルーの瞳の双子の妹、セアラの身代わりで、次の里帰りの時に彼女の入れ替わる予定なのだから。

 ダーナもドロレスも、エルシーのことをセアラ・ケイフォードだと信じているから、二人の頭の中に「エルシー」は存在しない。セアラとエルシーはよく似た顔立ちをしているから、入れ替わってもきっと気づかれないはずだ。

 この身代わりの任務が終われば、晴れて修道院に帰ることができるのに、ちょっぴり淋しいと思ってしまうのは、ダーナとドロレスとすごす日々が楽しいからだろう。


 休憩場所である川べりで馬車が停まると、エルシーたちはさっそく馬車から降りた。

 妃候補たちの中には、馬車を降りずにゆっくりしている人もいる。ダーナによれば、フランシスが馬車を下りないから、馬車を降りる必要性を感じないのだそうだが、ずっと座っていておしりや腰が痛くならないのだろうか。

 んーっと空に向かって大きく伸びをして、エルシーはスキップでもしそうな足取りで川岸へ向かった。土手になっているところには、たくさんのタンポポの黄色い花が、柔らかな風に揺れている。


(わあ、大量大量!)


 休憩は三十分らしい。出来るだけ多くのタンポポの根を採取しなければ。

 ほかの妃候補たちの休憩の邪魔にならないよう、三人で少し離れたところに向かい、せっせとタンポポを掘る。

 一つ目のタンポポを掘り終えたところで、がさりと背後で足音がして、エルシーは顔をあげた。


 そこには、日傘を差した背が高くスレンダーな女性が立っていた。長く真っ直ぐな髪はやわらかなカスタードクリーム色で、瞳は濃い緑色。肌が浅黒いのは、異国の血が流れているかららしい。彼女はフランシスの妃候補の一人であるベリンダ・サマーニ侯爵令嬢だ。王宮の部屋の一は右から三番目。つまり、十二人いる妃候補たちの中で三番目に身分が高いご令嬢である。


「……何を、なさっているの?」


 ややハスキーな声で、不思議そうにベリンダが訊ねてきた。

 ベリンダが着ているのは、襟の詰まったすっきりしたデザインのドレスだった。フランシスの命令で、妃候補たちは自分たちが着る服を自分たちで作るしかないのだが、ベリンダはもっぱら従妹であるもう一人の妃候補、ミレーユ・フォレス伯爵令嬢に作ってもらっているらしい。


 このあたりの事情は、すっかり仲良くなったクラリアーナ・ブリンクリー公爵令嬢の情報だった。フランシスの協力者として妃候補たちの近辺を探っているだけあって、彼女はそれぞれの妃候補たちの情報に詳しい。

 エルシーは掘ったばかりのタンポポを掲げて見せた。


「タンポポ採取をしているんです」

「……何のために?」

「お茶にするんです。便秘によく効くんですよ」

「便秘……」


 ベリンダの頬に朱が差した。彼女は日傘で顔を隠すようにして「頑張ってね」と言って足早に立ち去っていく。

 ベリンダに頑張ってねと応援されたので、エルシーが気合を入れて二本目のタンポポを掘りはじめると、また背後から足音がした。

 今度は誰だろうと振り返れば、そこにはクラリアーナと、イレイズ・プーケット侯爵令嬢の姿があった。イレイズは、彼女に服の作り方を教えてほしいと頼まれて仲良くなった妃候補の一人である。


「またタンポポですの。精が出ますわね」


 クラリアーナが泥のついたタンポポを見て苦笑する。相変わらずゴージャスな金髪の巻き髪に、ざっくりと胸の谷間を強調するドレスを着ている。この職人顔負けの豪華なドレスは、なんとクラリアーナのお手製だ。彼女は服飾の才能があるようで、自分が着たいドレスを自分でデザインして仕上げている。最近はエルシーも彼女にドレスの縫い方を教わっていた。


「せっかく綺麗な爪ですのに、傷ついてしまいますわよ」


 そう言って困ったような顔をするのはイレイズだ。まっすぐな黒髪に黒い瞳の美女で、今日は半そでのワンピース姿だった。このワンピースは、エルシーが作り方を教えて、イレイズが一生懸命に縫ったもので、襟元やスカート部分には緻密な刺繍が入っている。イレイズは刺繍が得意だそうだ。

 修道院で暮らしていたとき、エルシーの爪は短く切られていたけれど、王宮に来てからはダーナやドロレスが綺麗に整えてくれていて、今は少し長めだ。爪の間に土が入るので切りたかったが、それはダーナが許可してくれなかった。ちなみにスプーンをシャベルのかわりにしようとして怒られたので、仕方なく手で掘っている。


「爪はまた勝手に伸びて来ますから」

「そう言う問題じゃなくってよ」


 やれやれ、とクラリアーナが嘆息した。


「そうまでしてタンポポがほしいんですの?」

「タンポポの根のお茶は便秘によく効くんですよ」


 ベリンダに言ったのと同じことを言えば、クラリアーナはまあ、と頬に手を当てた。


「そうなの? それは知らなかったわね」


 ちらり、とタンポポに視線を向けたクラリアーナは先ほどと目の色が変わっていた。


「ちょっとほしくなってきましたわ。月のものの前に、お腹の調子が悪くなりますのよね」

「クラリアーナ様もですか? 実はわたくしもなんです」


 イレイズも頷き、それからあたりに生えているタンポポに視線を向けたあとで、自分の爪を見る。イレイズの爪は薄いピンク色に塗られていて、とても可愛らしかった。

 困ったように眉を寄せるイレイズに、クラリアーナが笑った。


「それならば適任がいるでしょう。少しお待ちくださいな」


 クラリアーナはそう言って、川の側で休憩を取っている騎士たちのもとへ歩いて行くと、二言三言何かを話して戻ってくる。


「彼らが頑張って掘ってくださるらしいですわ」

「本当ですか?」


 見れば、先ほどまで川岸に座って喋っていた騎士たちが、一斉にタンポポを掘りはじめていた。


(どんな魔法を使ったの?)


 エルシーがびっくりしていると、クラリアーナは「男は使いようですのよ」と笑う。

 イレイズはちらりとクラリアーナのこぼれんばかりの胸元に視線を向けて、「なるほど」と頷いた。


「クラリアーナ様は罪作りな女性ですね」

「ブリンクリー家の女は、文字を習うより先に男の転がし方を学ぶのですわ」


 本当かどうかはわからないが、恐ろしいことを言って、クラリアーナは笑った。



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