誘拐 2

「誘拐!?」


 エルシーはガタンと音を立てて立ち上がった。


「どういうことですか⁉」

「エルシー、落ち着け。ケイフォード伯爵、誘拐とはどういうことか詳しく教えてくれ」


 フランシスに腕を取られて、エルシーは渋々座り直す。

 ケイフォード伯爵は、ジャケットの内ポケットから薄くて黄ばんでいる紙を取り出した。修道院でも子供たちの書き取り用に使っている安価な紙だとエルシーはすぐにわかった。握りつぶしたのかどうなのか、無数の小さな皺が寄って、くちゃくちゃになっている。

 その紙を、ヘクターは震える手でテーブルの上に置いた。


「昨日、これが我が家に投げ込まれました」


 フランシスは紙を取り上げ、書かれている内容に目を通した。


「身代金の要求か」

「はい」

「見せてください!」


 エルシーがフランシスの手元を覗き込むと、確かにそこには、セアラを返す代わりに金貨一千枚をよこせと書いてあった。


(金貨一千枚……!)


 その途方もない金額に、エルシーは目玉が飛び出そうになった。

 差出人の名前は書かれておらず、受取場所だけ明記されている。期日は三日後だった。

 フランシスは手紙から目をあげて、冷ややかな視線をヘクターへ向けた。


「なるほど。これが送りつけられて、ケイフォード伯爵はセアラを見捨てることにした、と」

「ひ、人聞きの悪いことをおっしゃらないでください」

「しかし、そうとしか受け取れないな。エルシーにセアラの身代わりをさせようというのは、そういうことだろう?」

「……い、一度、どこの誰とも知らない連中に攫われた娘を、陛下の妃候補にするわけにはいきません……」

「建前は結構だ」


 フランシスがぴしゃりとはねつけるように言うと、ヘクターは唇を引き結んで、小声で、こんな大金は用意できないと言い出した。


「陛下もご存じでしょうが……我が家には金貨一千枚をすぐに用意できるほどの財力はありません。そんなことをすれば、伯爵家が立ち行かなくなってしまいます」

(だからって、見捨てるの⁉)


 身代金を払わなければ、セアラがどうなるかわかったものではない。


「紙にセアラの名前が明記されているところを見ると、犯人たちはセアラが妃候補であると知っている可能性が高そうだな。そうでなければこの金額もおかしい。ふっかけすぎだ」

「そうだと思います……」


 フランシスははあ、と息を吐き出した。


「どうしたものか……」


 フランシスがトントンと指先でこめかみを叩いた。


「国庫を開けるにも、会議を通さずにすぐに動かせる金額ではない」

「会議だなんてとんでもない!」

「…………わかっている」


 フランシスは考え込むようにきつく目を閉じた。


「ひとまずこの手紙はこちらで預かる。対応を考えるから、お前はもう帰って結構だ。対応が決まればこちらから連絡を入れる」


 ヘクターはフランシスの判断に茫然とした顔になったが、ふらふらと立ち上がると、深く一礼して応接室を出て行った。

 フランシスは天井を見上げてふーと息を吐き出すと、ぐしゃぐしゃと髪をかきむしる。


「参ったな。期日までに金を持ってこさせるのは無理だし、ヘクターではないが、会議にかけて金を動かしでもしたら、それだけで『セアラ・ケイフォード』は妃候補から外れる」

「妃候補にあるまじき行動をとった結果、国庫を圧迫したと言われますからね。陛下がかばおうと、宰相や王太后様が許すはずもありません」


 ヘクターが出て行くと、クライドが応接室に入ってきながら、フランシスの手元の手紙に視線を落とす。


「また面倒なことになりましたね」

「ああ。……セアラ・ケイフォードを妃候補から外さず、取り返す方法はないものか」

「ウェントール公爵に連絡して建て替えてもらえたとしても、公爵から宰相に話が通るだろうな」

「でしょうね。ウェントール公爵はご自身の親族を正妃様にしたいでしょうから、これ幸いと即連絡が行くと思います」

「何とかならないんですか?」


 フランシスはクライドの話を聞く限り、セアラを取り戻すのは絶望的な様子がして、エルシーはすがるように二人を見た。ずっと離れて暮らしていて、つい最近までその存在をすっかり忘れていたが、セアラはエルシーの双子の妹だ。見捨てたくない。

 フランシスはエルシーの頭を撫でながら、難しい顔で唸る。


「……こういう時、悪だくみの得意なあいつがいれば何かいい案が浮かんだのかもしれないが……」

「あら? それは誰のことをおっしゃっているのかしら?」

「⁉」


 突然割り込んできた第三者の声に、エルシーのみならず、フランシスとクライドも驚愕して振り返る。


「何かお困りごとですの?」


 応接室の扉に寄りかかるようにして、相変わらず素晴らしい胸の谷間を強調するようなドレスを身にまとったクラリアーナが、艶然と微笑んでいた。


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