誘拐 1

「へ、陛下……!?」


 ヘクターは顎が外れそうなほど大きく口を開けて、硬直してしまった。

 フランシスはそんなヘクターに構わずエルシーのそばまで歩いて行くと、落ち着かせるようにそっと肩を撫でる。

 あれほど動揺していたというのに、エルシーはフランシスが隣に立っただけで気分が落ち着いて行くのを感じた。フランシスは全面的に自分の味方をしてくれると、わけもなくそう思った。


「エルシー、座るといい。クライド、カリスタに言ってエルシーの茶を運ばせてくれ。少し落ち着いた方がいいだろう」


 フランシスが、入口のところに立っていたクライドに告げると、彼は小さく頷いて去っていく。

 ヘクターが弾かれたように振り返った。


「陛下! なぜエルシーのことを……」

「なぜ? 何故も何も、私とエルシーは顔見知りだ。もうずいぶん昔のことだが、私は一時期ここにいたことがあるからな」

(え? そうなの!?)


 国王陛下が修道院にいたと言うのはどういうことだろうか。

 エルシーは驚いたが、それはヘクターも同じだったらしい。


「どういうことですか!?」

「短い間のことだ。わけあって療養に来ていた。その時にエルシーと会っている」


 ヘクターはひゅっと息を呑んで再び固まった。エルシーとフランシスが顔見知りであれば、エルシーとセアラを入れ替えてしまおうというヘクターの計画が丸つぶれだからだろう。


「そ、そんなこと……エルシーは一度も……」

「そうだろうな。そのころは身分を明かしていなかったし、幼かったエルシーはあまり覚えていない」

(覚えていない……?)


 エルシーはぱちぱちと目をしばたたいてフランシスを見上げた。

 誤魔化すための嘘かと思ったが、この様子だと本当にフランシスは昔ここにいたことがあるのだろうか。


(だから……陛下はわたくしが『エルシー』だってわかったの?)


 フランシスがエルシーを「エルシー」だと言い当てたことが不思議で仕方がなかったけれど、はじめからフランシスがエルシーのことを知っていたのだとしたら合点がいく。


(でもどうして、教えてくれなかったの……?)


 残念ながら、エルシーは彼がここにいたときのことは思い出せない。でも、ヒントをくれればもしかしたら思い出せるかもしれないのに、なぜ黙っていたのだろう。

 ヘクターはぱくぱくと口を開閉させた。その顔が見る見るうちに青くなっていく。


「す、すると陛下は……」

「エルシーとセアラが双子だということも知っている」

「ひ!」


 ヘクターは蒼白になって、頭を抱えてその場に両膝をついた。

 双子と言うのは、それほど外聞が悪いものなのだろうか。エルシーにはよくわからなかったが、ヘクターのこの世の終わりを見たと言わんばかりの表情を見るに、よほど知られてはいけないことだったらしい。


「ケイフォード伯爵。私はエルシーとセアラが双子であろうと気にしない。そもそも双子が不吉だと言われていたのはずっと昔のことだ。貴族の間では隠したがる人間も多いが、平民の間では双子は当たり前のように受け入れられている時代だぞ」


 時代錯誤もいいところだとフランシスは言うが、昔から双子は不吉だと刷り込まれてきたヘクターはそんな言葉を聞いたからと言ってすぐに納得できるものでもないようだ。

 フランシスがやれやれと嘆息していると、ミルクティーを持ったクライドが戻って来た。

 エルシーの前に蜂蜜がたっぷりと入ったミルクティーが置かれる。


「クライド、一応外を見張っておいてくれ。誰も中に入れないように」

「かしこまりました」

「ケイフォード伯爵も席につけ。いつまでもそこにいられては話ができない」


 ケイフォード伯爵はふらつきながら立ち上がると、エルシーの対面に座り直す。

 フランシスがエルシーの隣に腰を下ろし、ちびちびとミルクティーを飲むエルシーに優しく微笑む。


「エルシーも混乱させてすまなかった」

「陛下、本当にここにいたことがあるんですか……?」

「ああ。だが無理に思い出そうとしなくていい。……さて、ケイフォード伯爵。話は外で聞かせてもらったが、エルシーとセアラを入れ替えようというのはどういうことだろうか? 確か……セアラ・ケイフォードは行方知れずと聞いたが?」

「ど、どうしてそれを……!」

「どうしても何も、クライドを見て気づかなかったのか?」


 フランシスがあきれ顔を浮かべると、ヘクターは今更ながらにクライドの存在に気が付いたようだった。よほど動転していたのか、フランシス以外見えていなかったようである。


「報告は受けている」

「…………あぁ」


 ヘクターは両手で顔を覆ってうなだれる。


(そんな絶望することなの……?)


 セアラの行方は心配だが、セアラが行方不明だとフランシスに知られることは、それほどまずいことなのだろうか。嘘をついて誤魔化すより、正直に告げた方がいいと思うのだが、お貴族様の常識はよくわからない。


「それで、セアラの足取りはつかめたのか?」

「……それが…………」

「状況によっては騎士団を動かすが」

「それだけはおやめくださいませ!」


 ヘクターは弾かれたように顔をあげた。


(どうして? 探す人が増えたら、それだけ見つかる可能性も増えるのに……)


 ヘクターが断った理由がわからずエルシーは驚いたが、フランシスはヘクターの返答は想定内だったようだ。特に驚きはしなかった。


「外聞よりも娘の心配をしたらどうなんだ」


 吐き捨てるように言ったフランシスに、ヘクターが青を通り越して白い顔になる。

 小さく震えているようにも見えて、エルシーは首をひねった。


(なんか様子が変だわ)


 そもそも、セアラの捜索を諦めるのが早すぎやしないだろうか。

 妃候補「セアラ・ケイフォード」は里帰り中で、城に戻るまでまだ数日ある。エルシーを身代わりにするにも、王宮に戻る期日を待ってからでも遅くないのに、このタイミングで現れたのは謎だった。


(……もしかして)


 エルシーを身代わりにしないといけないと、ヘクターは確信したからここに来たのだろうか。

 エルシーはティーカップを置いて、じっとりとヘクターを睨んだ。


「ケイフォード伯爵。もしかしなくても、セアラの行方を知っているんですか?」

「な――」

「だって、セアラの捜索を打ち切るにしては早すぎます」


 もしかしたら、何食わぬ顔でセアラが戻ってくる可能性だってあるのに、ヘクターはその可能性は皆無だと確信しているようだった。そうでなければ、エルシーとセアラを入れ替えっこしようなどと考えるはずがない。

 何か隠している。そんな気がする。


「そうなのか? ケイフォード伯爵」


 フランシスにまで睨まれて、ヘクターはこれ以上誤魔化せないと判断したらしい。

 蒼白な顔に加えて冷や汗までかきながら、震える唇を開いた。


「実は――セアラは、誘拐されたようです」


 エルシーは息を呑んだ。


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