フランシスの過去 1
フランシスがベリンダを捕えたのち、エルシーは彼に頼まれて、フランシスの部屋にいるコンラッドとクライドを呼びに行った。
ランプを片手に暗い階段を降り、二階のフランシスの部屋にたどり着くと、何やらその部屋の前が物々しい雰囲気で、エルシーは首を傾げる。
扉のそばにクライドの姿を見つけたので駆けよれば、彼は目を丸くした。
「お妃様、どうされたんですか? まさか陛下と喧嘩でも?」
クライドはエルシーの部屋にフランシスがいることを知っている。おどけたような口調で訊ねてきたが、その顔が少々強張っていて、エルシーはますます訝しくなった。
フランシスの部屋で何かあったのは間違いなさそうだ。けれど、ベリンダはエルシーの部屋に来た。
エルシーが手短にベリンダが部屋に来てフランシスが取り押さえたことをクライブに伝えると、彼は難しい顔をして、それからエルシーにここで待っていてほしいと言って部屋の中に入ると、コンラッドを連れて戻ってきた。
「陛下がベリンダ・サマーニ侯爵令嬢を取り押さえたのですか?」
「はい。陛下にお二人を呼んでくるように頼まれたのですけど……何かあったんですか?」
部屋の中にはほかの騎士の姿もあった。もともとフランシスの部屋にはコンラッドとクライブの二人しかいない予定だったから、これは明らかにおかしい。
コンラッドは肩をすくめた。
「陛下にご報告を終えたあとで、許可が出ればお話いたします。それよりも、急ぎましょう。陛下になにかがあっては大変です」
ここに来る前に、フランシスはベリンダの手から短剣を取り上げて、腕を後ろ手にして押さえつけていたけれど、彼女の俊敏性を考えれば悠長にはしていられない。エルシーは頷いて、コンラッドとクライブのあとを速足で追いかける。
部屋に戻ると、ベリンダに引き裂かれた天蓋の残骸で彼女の手を縛っていたフランシスが顔をあげた。
ベリンダの顔からは兜がとられており、短くてざんばらなカスタードクリーム色の髪が俯いた顔にかかっている。
その短くて無残な髪に驚いたエルシーだったが、これはフランシスが切り落としたわけではなさそうだった。部屋に髪が落ちていたというが、失踪した時点でこのように短くなっていたのだろうか。
俯いているベリンダの表情は驚くほど「無」で、まるで死刑を前にした囚人のように見えた。
コンラッドが大股でフランシスに近づいて、彼の手からベリンダを受け取る。クライブが縄でベリンダを縛り上げた。彼女が短剣をもってフランシスに襲いかかろうとしたことから、縛り上げられるのは当然の措置だとわかっているけれど、エルシーが対峙した時の彼女と比べてあまりにも悄然と小さくなっている気がして、少しいたたまれない。
クライブがベリンダを連れて部屋を出て行くと、フランシスがふうと息をついてベッドの縁に腰を下ろした。
フランシスがベリンダの短剣を受け止めるのに枕を使ったから、部屋の中に羽毛が散乱している。
切り刻まれた天蓋も無残で、まるでここだけ嵐が来たようだと思った。
「エ……セアラ、この部屋では眠れないだろう? 今から新しい部屋を用意させるわけにもいかないから、悪いんだが俺の部屋を使ってくれ。俺はこのあとコンラッドと話がある」
「そのことですが、陛下……」
コンラッドが言いにくそうに口を開きかけて、ちらりとエルシーを見た。これは席を外した方がいいのかなと部屋から出て行こうとすれば、「構わない」とフランシスに止められる。
「ここまで巻き込んでいるんだ。セアラに聞かれても問題ないだろう。それで、何かあったのか?」
「はい、それが……、陛下のお部屋に、侵入者がありまして」
「は?」
「え?」
フランシスとエルシーの目がそろって点になった。
(侵入者? ベリンダ様はここに来たのに?)
この作戦はベリンダをおびき寄せるものだった。ベリンダがフランシスの部屋ではなくエルシーの部屋に来たのは大きな誤算だったけれど、無事に捕えることもできて、まだ毒の謎などは残るものの、ひとまずのところは目的を果たしたはずだ。
「侵入者とは誰だ」
フランシスが怪訝そうに訊ねると、コンラッドは嘆息した。
「それが……ミレーユ・フォレス伯爵令嬢です。部屋に入って来た時点で簡単に取り押さえることができたのですが、その……少々、不穏と言うか困ったものを所持しておりまして」
「困ったもの?」
「媚薬です」
「はあ!?」
「陛下の寝込みを襲うつもりだったようで」
「………………」
フランシスはたっぷり沈黙した。
けれどもエルシーは「媚薬」が何なのかがわからずに首をひねる。コンラッドは「襲う」という言葉を使ったのだから、何かの毒物だろうか。つまり、ベリンダのみならずミレーユまでフランシスの命を狙っていたのだろうか。
エルシーは青くなったが、フランシスは違う意味で青くなっていた。
「勘弁してくれ……」
両手で顔を覆って、ぐったりしてしまっている。
コンラッドは同情するような視線をフランシスに向けた。
「現在別室に閉じ込めており、夜が明けたら問いただす予定ではありますが、同席されますか」
「したくない……が、した方がよさそうだな」
「かしこまりました。陛下のお部屋は、念のため騎士たちに調べさせておりますが、ミレーユ・フォレスは侵入してすぐに捕えられたので特に不審な点はないでしょうから、もうじきお使いいただけるようになると思います」
「わかった。……エルシー、まだ暗いからな、部屋まで送ろう」
フランシスは立ち上がると、エルシーに片手を差し出した。エスコートしてくれるらしい。
ベリンダやミレーユの目的など考えたところでエルシーにはわからないので、エルシーは素直に従うことにした。
「悪かったな、巻き込んで。怖かっただろう?」
廊下に出ると、フランシスがぽつりと言った。
怖かったのは確かだが、ベリンダがエルシーの部屋に来ることは想定外のことだった。フランシスに誤ってもらう問題ではない。
エルシーが首を横に振ると、フランシスは苦笑して、それからふと真顔になると、指先でエルシーの鼻をつまんだ。
「だが、今後は火かき棒で不審者に対峙するような危ない真似は絶対にしないように。わかったな?」
火かき棒をベリンダに突き付けたときはフランシスは眠っていたはずなのに、何故それを知っているのだろう。
エルシーはちょっぴり赤くなって、しかし同じようなことが起これば多分また何か武器を探して応戦するだろうなと思えば是とも否とも言えずに、視線を彷徨わせていると、フランシスが大げさなため息をついた。
「まったく……お前は少々勇ましすぎるぞ」
「ええっと…………ごめんなさい」
しかしエルシーはお姫様ではないからそれほどか弱くないのだけれと――と心の中で思ったものの、口に出せば絶対に怒られそうなので、ここは素直に謝っておくことにした。
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