フランシスの過去 2

 翌朝。


 昨夜は疲れたからか、フランシスの部屋のベッドに横になった瞬間にぐっすりと眠りについたエルシーは、すっきりした気分で目を覚ました。

 まだ不可解な点は残るものの、ベリンダが捕縛されたので、謎の騎士に悩まされることはもうないだろう。


 ベッドの上に上体を起こして大きく伸びをすると、隣から「うーん」とくぐもった声が聞こえてくる。見ればフランシスが眠っていた。コンラッドと話があると言っていたが、そのあとで隣にもぐりこんだのだろう。よく眠っていたからか全然気が付かなかった。


 エルシーは早起きなので、この時間にフランシスを起こすのは可哀そうだ。

 そーっとベッドから降りると、夜着の上にガウンを羽織って、窓に近づくと、カーテンに指一本分の隙間をあけて庭を眺める。朝靄の中に礼拝堂が見えた。

 エルシーの部屋にはまだ騎士がいるだろうか。ダーナとドロレスが起きてきたら説明してくれるとコンラッドは言ったけれど、きっと驚かせることになるだろう。


(部屋に戻っておこうかしら?)


 少なくとも、ほかの妃候補たちが起き出してくる時間までこの部屋にいるのは非常にまずいことだけはわかる。フランシスのためにも、エルシーはここにいない方がよさそうだ。

 足音を立てないように気をつけながら部屋の扉まで歩いて行き、そーっと開くと、扉の外にはクライドの姿があった。エルシーを見つけて微笑む。


「お妃様、お早いですね。どうされました?」


 クライドが小声で訊ねてきたので、部屋に戻ると伝えると、彼は困った顔をした。


「今ここには俺しかいないんですよ。俺が動くと陛下の護衛がいなくなりますから、お部屋まで送って差し上げられないんで、もう少しお待ちいただけますか?」

「一人で大丈夫ですよ?」

「そう言うわけにはまいりません。陛下に怒られますからね」


 クライドが茶目っ気たっぷりに片目をつむる。

 昨夜だって、エルシー一人でフランシスの部屋にいるコンラッドを呼びに行ったし、別に一人で出歩いたところで危険はないはずなのに、クライドはどうあっても譲りそうにない。ダーナとドロレスが起きたらこちらに来させることになっているからと言われたので、仕方なく、エルシーはクライドに言われた通り待つことにして、ソファに浅く腰掛けた。


 しばらく待っていると、コンコンと控えめに扉が叩かれてクライドが顔をのぞかせる。ダーナたちが迎えに来たようだ。フランシスはまだ眠っていたので、エルシーは声をかけずに、ダーナたちとともに三階の部屋に戻った。


 部屋に入ると、散乱していた羽毛は綺麗に片づけられていた。破かれた天蓋は取り外されている。さすがに昨夜の今朝で新しい天蓋は用意できなかったようだが、引き裂かれた残骸がなくなったおかげで、昨日のことが嘘のように元通りだった。


 部屋の前には騎士が立っていたが、室内にはもうおらず、エルシーが窓際に立って礼拝堂に向かって祈っていると、ドロレスがメイドのマリニーにお湯を頼んで、ハーブティーを入れてくれた。

 ダーナもドロレスも騎士たちから昨夜のことについて聞かされているから、気づかわし気な視線を向けてくる。


「ご気分はいかがですか?」

「大丈夫よ」


 ソファに座ってドロレスのいれてくれたハーブティーを飲みながら答えると、二人はエルシーの顔色を確かめていたのか、ホッとしたように息をついた。


「お怪我がなくてよかったですわ」

「ええ。騎士の方たちからお話を聞いた時は心臓が止まるかと思いましたもの」


 ずいぶん心配をかけてしまったようだ。


「気分転換にお庭に行かれますか?」


 エルシーが朝に庭を散歩するのは日課のようなものになっているので、エルシーはダーナの問いに頷いてハーブティーを飲み干した。

 夜着のまま庭には降りられないので、ドロレスがエルシー作の動きやすいワンピースを出してきてくれる。


 着替えてダーナとともに庭に降り、立ち入り禁止の立て札が立てられている礼拝堂の前で短く祈りをささげた後、のんびりと庭を一周していると、「セアラ」と背後から声をかけられた。振り返ると、フランシスが足早にこちらへ向かってくるところだった。

 ダーナが機を利かせて少し離れると、フランシスはエルシーの顔色を確かめて安堵の息をつく。


「顔色はいいな」

「ぐっすり休めましたから」

「……お前は意外と図太いな」


 フランシスが感心しているのかあきれているのかわからないため息をつく。

 フランシスの言う通り、エルシーの心臓はそれほど繊細にできてはいないので、みんなが心配するほどの精神的ダメージはない。もちろん、不安や心配がないわけではないけれど、あとはフランシス達がベリンダから事情を聞き出すしかないので、エルシーがいくら悩んだところでどうにかなる問題でもない。だから、ひとまずの危険が去って安心した方が大きかった。


「城内や庭なら好きに出歩いても構わないが、今日も城の外へは行かないようにしてくれ。それから、念のため一人では行動しないように。特にお前は、何をしでかすかわからないところがあるからな。火かき棒を構えて侵入者に向かおうとするのは、後にも先にもお前くらいだ」


 そうでもないと思うが、言い返すと怒られそうなので反論はすまい。というか火かき棒の一件は早く忘れてくれないだろうか。高をくくって火かき棒でベリンダに対峙したはいいがちっとも役に立たなくて、それどころか追い詰められてしまったのだ。恥でしかない。


(……やっぱり竹ぼうきよね。火かき棒じゃリーチがたりないわ)


 そんなことを考えていると、エルシーが反省していないことが伝わったのか、フランシスが半眼になった。


「お前、絶対にわかってないな?」


 エルシーはハッと顔をあげて、愛想笑いで誤魔化したけれど、フランシスには通用しなかった。


「お転婆がすぎると、四六時中監視をつけるからな! わかったか!?」


 監視は嫌だ。

 エルシーが必死になってぶんぶんと首を縦に振ると、フランシスがぷっと吹き出し、エルシーの頭に手を置いた。


「いい子にしていたら、近いうちにご褒美をやるから、おとなしくしておくように」


 子ども扱いにはちょっぴり納得がいかなかったけれど、「ご褒美」の単語にエルシーの耳がピクリと動く。


 何か美味しいものをくれるのだろうか。


 エルシーは少しわくわくして、今度こそ素直にこくりと頷いた。

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