グランダシル像を守り抜け! 3
夜。
昼すぎに訪れた嵐はまだこのあたりに居座っているようで、むしろ昼間よりも雨も風も勢いを増していた。
エルシーはブランケットと掃除用の箒を持って礼拝堂にやって来た。箒を持って来たのは、扉の開け閉めで礼拝堂の中にも木の葉が舞い込んでいるからだ。カリスタは掃除は嵐が去ったあとでいいといったが、礼拝堂の中に落ち葉が散乱しているのを見るとどうにも落ち着かないので、せめて掃き寄せて部屋の隅に集めておこうと考えたのである。
ザアァ……と屋根や窓、ステンドグラスに雨が叩きつける音がする。
祭壇の上の燭台に灯した蝋燭の灯りを頼りに、エルシーは礼拝堂の中を箒で掃いて、落ち葉を部屋の隅にまとめると、祭壇の前の長椅子に腰かけた。
寒いほどではないがひんやりとするのでブランケットを羽織る。
エルシーは午前零時まで礼拝堂担当だが、修道院の中にはほかに数人のシスターが起きていて、雷に怯える子たちを寝かしつけたり、窓が割れていないかを確認したりと忙しくしていることだろう。
エルシーも小さかった頃は雷が怖くて、特に夜は、窓の外がピカピカ光り、ごろごろと音が鳴るたびに泣いていた。
不思議なもので、昼はそれほど気にならないのに、夜になると途端に怖くなるのだ。
(そんな日は、よく院長先生にしがみついて寝ていたわね)
雷が鳴る夜は、昔も今と同じように大部屋に集まって寝ていた。その時、エルシーは決まってカリスタにしがみついて寝たものだ。
カリスタが「大丈夫ですよ」と言って背中をポンポンと叩いてくれると、どんなに雷が怖くても安心して眠りにつくことができたからだ。
昔を懐かしく思っていると、エルシーはふと、そう言えば一度だけ、大部屋で寝なかった嵐の夜があったことを思い出した。
まだエルシーが修道院に来たばかりのころ――五つか六つのころだった気がする。
(あの時はどうして大部屋に行かなかったんだったかしら?)
エルシーの側には、カリスタもいなかった気がする。
カリスタの代わりに、エルシーは誰かにしがみついて寝たのだ。……誰だっただろう。
何となく気になって、エルシーが考え込んでいたときだった。
カタン、と小さな物音が聞こえて、エルシーは顔をあげた。
物音は外から聞こえてきた気がする。
(風で何か飛んできたのかしら?)
大きなものが飛んできたのなら大変だ。窓にあたって割れるかもしれない。
エルシーは礼拝堂の壁の窓に張り付いて、暗がりの中、外に目を凝らす。暗くてぼんやりするが、エルシーは夜目がきく方だが、今日は雨も邪魔をしてはっきりとは見えなかった。それでも、じっと見つめていると少しだが視界が鮮明になっていく。
エルシーの視界の先で、何か動くものが見えた。それも複数だ。
(まさか猪⁉)
近所の住人の畑を猪が荒らしにくるのはよくあることだ。猪よけに縄や竹を張り巡らせているがあまり効果はない。たまに畑を荒らしに来た猪を捕縛したご近所さんから猪肉をもらうことがあるが、あれは美味しい――じゃなかった!
(大変だわ! 猪が窓を突き破って中に入ったら、みんなが怪我をしてしまうかもしれないもの!)
猪が窓を突き破ることができるかはともかく、本当にそんなことになったら一大事だ。
「こうしてはいられないわ! 追い払わないと!」
エルシーは急いで箒をつかんで礼拝堂を飛び出して行く。
しかし礼拝堂の扉を出たところで、雨風の音に交じって、ガシャン! とガラスが割れた音がした。
(遅かった!)
猪がガラスを突き破ってしまったのだ。
エルシーは水と泥をはね上げながら修道院の玄関に急いだ。猪に好き勝手させるわけにはいかない。見つけて、建物の中から追い出すのだ。
修道院の中に飛び込んだエルシーに、玄関近くで見張りをしていたシスターが目を丸くした。
「まあ、エルシー。何かあったの?」
「猪です! 猪が窓を突き破ってこの中に入って行きました!」
「ええ⁉」
そんな馬鹿なとシスターが目を丸くしたが、エルシーは「猪を追い払います!」と叫んで一目散に礼拝堂の中から見た窓のあたりへ駆けていく。
「ちょ、ちょっと待ちなさい! それが本当なら危ないでしょ⁉」
「大丈夫です! 箒があるので!」
「箒が何になると……エルシー⁉」
エルシーはぱたぱたと玄関から向かって左の突き当りを曲がり走っていったけれど、そこには割れた窓ガラスが散乱していただけで猪はいない。
窓ガラスの破片の周りは泥らだけになっていて、猪よりもずっと大きな足跡が廊下の奥まで伸びていた。
(大変! 熊かもしれないわ!)
ますます危険だ。
エルシーは慌てて足跡を追いかけた。さすがのエルシーも熊が相手だとどうすることもできないかもしれないが、足跡の正体が熊なのかそれとも猪なのか、またはほかの生き物なのかを確かめることくらいはできる。
(熊だったらすぐにみんなを避難させないと! 猟師さんも呼んですぐに対策が必要だわ!)
このあたりでは熊を目撃したという情報は滅多に聞かないが、山を二つ超えた先には熊がいる。稀にこのあたりまで迷い出てくる熊がいるらしい。
エルシーが熊(かもしれない)を刺激しないように、今度は足音を殺しながら、そーっと泥の足跡を追っていると、背後から「エルシーさん?」と声をかけられた。
驚きのあまり飛び上がったエルシーが振り返ると、そこにはダニエルが立っていた。ガラスが割れる音を聞いて様子を見に来たのだという。
「何をしているんですか?」
「熊が入り込んだかもしれないんです!」
「熊⁉」
「はい! ほら見てください! 足跡が……」
エルシーが廊下の足跡を指さすと、それを見たダニエルは怪訝そうな顔をした。
「……これ、人の足跡だと思いますけど」
「え?」
「エルシーさんの足跡、ではないですね。向こうまで続いていますし」
(ってことは、誰かが窓を割って侵入したってこと⁉)
それが悪い人だったらどうしよう。ますます大変だ。
「急ぎましょう!」
「え?」
「窓ガラスを割って入ってくるような人です! いい人じゃないかもしれません!」
「や、でも、足跡は複数のようですし、危険かもしれないのでまずは人を集めてきた方が……」
「そんな悠長なことは言っていられません!」
「エルシーさん!」
エルシーが駆け出すと、ダニエルが慌ててあとを追いかけてきた。
足跡は突き当りの階段まで伸びていて、それは階段の上へと続いている。
(二階に上がったのね!)
二階の反対側には子供たちが寝ている大部屋がある。ほかにもシスターたちの部屋もあるし、カリスタの部屋もあるのだ。
「エルシーさん、少し落ち着いてください。わかりました、止めませんから、せめて先に様子を見ましょう。足音を聞かれるとまずいのでゆっくり。相手に気づかれて襲いかかられたり人質を取られたら大変でしょう? 忍び込むくらいですから、危ない人かもしれませんからね」
階段を駆け上がろうとしたエルシーの腕を、追いついたダニエルが掴んで押しとどめる。
ダニエルの言うことももっともなので、エルシーはダニエルの指示に従って、ゆっくりと静かに階段を上る。
身を隠すようにして階段の壁伝いに昇って行くと、足跡は二階の廊下にも転々と伸びていた。その先がカリスタの院長室まで続いていることに気づいたエルシーはハッとした。
――そういえばさ、ポルカの町に強盗が出たって話、聞いたか?
今朝、牛乳配達のベンが言っていた。強盗が出たのだ。
(大変! 金のグランダシル様像!)
ベンに、気をつけろと言われたばかりだった。
カリスタは子供たちを安心させるために大部屋にいるはずだ。あの部屋の中は無人である。相手が強盗なら、盗みたい放題と言うわけだ。
(冗談じゃないわ! グランダシル様を盗まれてなるものですか!)
エルシーはダッと駆けだした。
ダニエルがギョッとしてあとを追いかけて来るが、ダニエルに捕まる前にエルシーは院長室の扉をあけ放つ。
「泥棒‼」
扉をあけ放つと同時に叫ぶと、中にいた男たちが弾かれたように振り返った。男は三人いた。
(やっぱり泥棒だったんだわ!)
男たちがカリスタの部屋を荒らしているのを見たエルシーは確信すると、箒を両手で握りしめて男たちに殴りかかった。
「院長先生の部屋を荒らして、許さないわ‼」
エルシーが振りかぶった箒は近くにいた男一人に命中したが、腕で防御されたのでそれほどダメージは与えられなかったようだ。
エルシーは逆に掴みかかられそうになったが、その前にエルシーを追って部屋に飛び込んできたダニエルが男に蹴りを入れ吹き飛ばす。
「危ないって言ったでしょう⁉ ……なっ」
「でも……!」
エルシーは反論しかけたが、ダニエルが何かに驚いたような愕然とした顔をしていることに気が付いて、目を丸くする。
「エルシー‼」
「何があったの⁉」
「本当に猪がいたの⁉」
その時、シスターたちの複数の声と足音がして、部屋にいた三人の男たちがチッと舌打ちをした。
「逃げるぞ!」
男たちは足音を聞くと焦ったように部屋から飛び出して行く。
「あ、待ちなさい!」
「追いかけてはダメです! 危ない!」
エルシーは男たちを追いかけようとしたが、ダニエルの腕をつかまれて追いかけることはできなかった。
ダニエルの腕を振りほどく前にシスターたちがやってきて、院長室の惨状を見て悲鳴を上げる。
「まあ! どうしたのこれは!」
「エルシー! 何があったの⁉」
「泥棒です。……捕まえられませんでした」
「何ですって⁉」
しゅんと肩を落とすエルシーに変わってダニエルが説明をすると、シスターたちはみな唖然とした顔をした。
「泥棒に殴りかかったですって⁉」
「どうしてあなたは、いつもいつも危ないことをするの!」
「怪我はしていないんでしょうね?」
「ダニエルさん、止めてくださってありがとうございました! 止めてくださらなければ、この子ったらどこまでも泥棒を追いかけて行っていたに違いありませんわ」
ダメでしょう、と口々に怒られて、エルシーは納得がいかずに口を尖らせた。
「でも、放っておくわけにはいかないじゃないですか」
「だからと言って、突っ込んでいく人がどこにいるの。まったくもう……怪我がなくて本当によかったわ……」
「とりあえず、部屋や廊下の泥だけ落としましょうか。乾くと取れにくくなるから」
「そうね」
「わたくしも手伝います!」
「エルシー、あなたはその前に、その濡れた服を着替えてらっしゃい。足も泥だらけじゃない。その姿で歩き回られたら被害が広がるわ」
「あ……」
エルシーは自分の足元を見下ろしてバツの悪い顔になった。確かに、この格好で歩き回ると、逆に汚してしまう。
「ついでにお風呂にも入りなさいな。焚き直してあげるから、着替えを取りに行ってらっしゃい。あ、靴はここで脱いでいくのよ?」
修道院には大きい風呂がある。毎日の入浴以外に、神事のときにシスターが身を清めるのに使ったりするので、子供たちがまとめて入れるくらいに広いのだ。
風呂は薪で沸かしているので、冷めても焚き直せばまた入れる。シスターの一人がエルシーのために風呂を沸かしに行ってくれると言うので、エルシーは言われる通り風呂に入ることにした。雨でかなり濡れていて体が冷えているからだ。ついでに濡れた髪も洗いたい。
「ダニエルさんも、本当にありがとうございました。あとのことはわたくしたちで大丈夫ですからどうぞお休みください。もうじき嵐もすぎるでしょうから」
「では、お言葉に甘えて。おやすみなさい」
「おやすみなさい、ダニエルさん。ありがとうございました」
エルシーが礼を言うと、ダニエルは小さく笑って自分が使っている部屋へ歩いて行く。
エルシーはシスターに言われた通り靴を脱いで、着替えを取りに自室へ向かったのだった。
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