ダニエルの旅立ち 1

 ウェントール公爵領、東。


 ゴルドア監獄はウェントール公爵領内の、ケイフォード伯爵領の境界あたりに存在する。

 ゴルドア監獄はもともとは数百年前に建てられた要塞なのだが、要塞としての本来の機能を必要としなくなった数十年前に監獄として再利用されることが決まった。


「まったく、陛下自ら監獄に向かうなんて前代未聞ですよ?」


 囚人が脱獄したというゴルドア監獄にフランシスが向かうと決めてから、コンラッドのこの小言は何回目だろうか。

 クライドがエルシーについて行ったため、コンラッドと数名の騎士を護衛を引き連れて、フランシスはゴルドア監獄へ向かったのだが、移動中の馬車の中でも外でも、コンラッドは非常にしつこい。


「行ってはいけない決まりはないだろう」


 この返答も、さて何度目だろう。


(まあ、国王が監獄なんて、普通は行かないだろうがな)


 フランシスもそれを自覚しているので、あまり強くも言えなかった。それに、フランシスの本来の目的はゴルドア監獄ではなく別にあるからだ。


(エルシーは修道院だろうな。ほかの騎士たちはゴルドア監獄に置いて行けるとして……コンラッドは無理か)


 国王を護衛なしで自由にするほどコンラッドは甘くない。それに、エルシーはセアラの身代わりで王宮にいたことを他人に知られたくないようだったが、コンラッドは早々に味方につけておいた方が都合がいい。


(エルシーを連れ戻すためには、コンラッドの協力は不可欠だろうしな)


 フランシスはエルシーを諦めていない。ただ、エルシーが戻りたがっていることを知っていたので、一度は見送っただけだ。あとはエルシーが嫌がらない方法で、何とかして王宮に連れ戻そうと画策しているが、これがなかなか妙案が浮かばない。

 コンラッドは後でこっそり事実を告げて味方に引き入れようと決めて、フランシスは馬車を降りた。


 灰色の壁の巨大なゴルドア監獄が目の前にそびえ立っている。元要塞だけあって、上の方にしか窓らしい窓はなく、何とも圧迫感のある見た目だった。

 事前にフランシスが行くことは監獄の責任に伝えてあったので、フランシスが馬車から降りるや否や責任者らしい男が慌てて駆け寄ってきた。

 コンラッドから間違っても中の見学をしたいなどと言うなと釘を刺されていたので、フランシスは責任者から脱獄した囚人について話を聞くだけにとどめる。


 ゴルドア監獄の外にある監視員のための宿舎に向かうと、狭い応接間に通された。

 本来の目的がエルシーに会うためだとしても、名目上、ゴルドア監獄の脱獄囚について話を聞くとした以上、真面目に聞かなければならない。

 茶が出されると、コンラッドが毒見をした後で、それをスッとフランシスの前に置いた。別に喉は乾いていなかったが、出された以上口をつけないのも失礼なので、一口だけすする。


「それで、囚人が脱獄したと聞いたが」


 ゴルドア監獄は元要塞だけあって出入り口が非常に少ない。監視も徹底していて、ほかの監獄と比べてそうそう脱獄が起こるような場所ではなかった。


「はい。それがどうも……食料を運ぶ荷台に隠れて外に出たようでして」

「どうしてわかるんだ?」


 フランシスが首をひねると、責任者はきまり悪げに頭をかいた。


「実は、脱獄した囚人は特に反抗もなく真面目な男でして、働き者なのでいろいろ仕事も任せていて、ある程度自由にさせていたんです。食料を運び込む業者の男とも仲が良くて、業者が運んできた食料を食糧庫に納めたりすることも任せていました。彼なら食料をこっそり盗んだりもしないでしょうからと。彼がいなくなった日、最後に彼を見たのが食料を運んでくる業者の男で、気が付いたらいなくなっていたと言っていたんです。外に出ようとしても監視があるので、おそらくは荷馬車の中に隠れて外に出たのではないかと……」


 なるほど、それなら合点がいく。確かにそう考えるのが一番しっくりくるだろう。


「その囚人は、どうして投獄されたんだ?」

「確か……」


 責任者は机の上の資料を手繰り寄せて確認すると言った。


「そうそう、殺人です。妻を殺したんです」

「妻を?」

「ええ。当時の資料によると、部屋が荒らされていたので、喧嘩をして勢いあまって殺したのだろうとあります。それを非常に悔いているのか、妻の指輪をずっと大事に持っていましてね」


 囚人は監獄に入れられるときに私物はすべて没収されるが、どうしてもと懇願されたのでそれだけ許可をしたのだそうだ。宝石も何もついていない、安っぽい指輪だったので問題ないだろうと判断したらしい。

 脱獄した囚人は、それを革ひもで首から下げて、肌身離さずに持っていたという。


「罪を悔いて反省していたようだったので、まさか脱獄するとは思いませんでした」

「そうか……。足取りはつかめているのか?」

「わかりませんが、食料を運んでくる業者がケイフォード伯爵領に住んでいるんです。なので、もしかしたらケイフォード伯爵領へ逃げたのではないかと……もちろん、探させています」

(よりにもよってケイフォード伯爵領か……)


 ケイフォード伯爵領に居座る理由ができるのはありがたいが、フランシスは少し心配になった。あの能天気なエルシーのことだ、万が一脱獄犯と遭遇してもそうとは気づかずほいほいとついて行きそうな気がする。

 責任者の言う通りなら誰彼かまわず殺人を犯すような男ではないと思うが、囚人である以上楽観視はできない。


「必要があればこちらからも兵を派遣しよう。急いで見つけるように」


 フランシスは厳しい顔でそう告げると、急ぎ足で応接間をあとにした。



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