里帰り 2

 王宮の部屋の前に停められた馬車にダーナとドロレスが荷物を詰め込んでいる。エルシーも手伝おうとしたのだが、馬車に乗っておとなしく待っていろと言われたので、一人だけ先に広い馬車の中に乗り込んだ。


 里帰りには、侍女が同行することになっているので、ダーナもドロレスも今回の里帰りについてくる。

 護衛のための騎士はここへ来たときと同様にクライドと、彼の部下の数人が担当することになった。

 道中の護衛を担当する騎士たちも、ダーナとドロレスと一緒で里帰り中はケイフォード伯爵家に滞在することになる。


 彼らがケイフォード伯爵家に滞在することは想定外のことだったが、エルシーとセアラを入れ替える件は、発案者のヘクター・ケイフォード伯爵が何とかするだろう。セアラと入れ替えられなければ彼だって困るはずだからだ。


 セアラとうまく入れ替わったあとは、エルシーは修道院に戻ることが許されている。


 ダーナやドロレス、イレイズ、そしてクライドたち騎士にもきちんとお別れが言いたかったが、エルシーが「エルシー」であると知らない彼らには真実を告げることはできないので仕方がないだろう。彼らはエルシーとセアラが入れ替わったことにも気づかないだろうから、彼らの記憶の中に「エルシー」は刻み込まれることは永遠にない。淋しいけれど、これはエルシーにはどうしようもない問題だ。フランシスにばれたのが例外で、本当は誰にも知られてはいけないことだから。


 荷物を積み終えてダーナとドロレスが馬車に乗り込む。

 ここへ来たときと同じく、トサカみたいな毛のついた兜をかぶったクライドが窓の外に見えた。

 エルシーのほかの妃候補は皆、王都の別邸に里帰りをするようで、エルシーのように領地に帰るものはいない。そのため、移動時間を考えて、エルシーが最初の里帰り者だった。


 クラリアーナはドレスのことに口を出す父親が鬱陶しいからと言って、里帰りはしないらしい。里帰り期間は移動距離を除いた二週間で、二週間も父親の小言を聞くのはまっぴらなのだそうだ。


 ゆっくりと動き出した馬車の窓から、だんだんと離れていく王宮を眺める。

 エルシーが思っていた以上に王宮は居心地がよかったから、もう二度と戻れないのだと思うと感傷のようなものがこみあげてきて、少しだけ鼻の奥がツンと痛い。


(さようなら、クラリアーナ様、イレイズ様、ジョハナ様……陛下)


 女性嫌いのフランシスだが、彼はとても優しいので、いつか誰かと恋をして、幸せになってほしいと願う。それがクラリアーナやイレイズのような優しくて素敵な女性が相手ならなおいいが、彼女たちはともにフランシスの妃になるつもりはないようなので、本物のセアラを含めて残った八人の中にフランシスを大切にしてくれる優しい女性がいてほしいと思った。

 馬車が城壁の外へ出て行くと、エルシーは視線を窓の外からダーナたちへ移す。悲しそうな顔をしていると変に思われるかもしれないから、努めて笑顔を作った。


「途中の川で、タンポポを取る暇はあるかしら?」


 タンポポの根は、エルシーがお茶にして飲んでいるもので、最近はダーナやドロレスにも人気がある。お通じがよくなるからだ。


「またタンポポですか? あんなにたくさんあるのに」


 ダーナがあきれ顔をして、ドロレスがその横でくすくすと笑う。

 エルシーにタンポポの根を持って行けばお菓子がもらえることを知った騎士たちが、タンポポを見つけるたびに引っこ抜いてエルシーのもとに持って来るようになって、エルシーの手元には当分困らないだけのタンポポの根が集まった。これらの根で作ったお茶は王宮の部屋に残して来てある。セアラが飲むかどうかはわからないが、ダーナとドロレスは飲むだろうからだ。


「ちゃんとお礼の分のお菓子も持って来たわよ」


 きっと騎士たちも手伝ってくれるはずだろうからと焼いて持って来たレーズンクッキーとアップルケーキの入った籠を見せると、ダーナがますますあきれ顔になった。


「そういう問題ではないのですけど……まあ、止めても無駄でしょうから仕方がありませんわね」

「このあとの休憩のときに、タンポポがありそうな川岸を見つけたら寄っていただくようにお願いしておきましょう」

「ありがとう、ダーナ、ドロレス!」

「でも、くれぐれもちゃんと手を洗ってくださいませ。この前、洗い方が足りなくて爪が黒くなってしまいましたもの」

「き、気を付けるわ」


 エルシーは少しくらい爪が黒くなろうと気にならないのだが、ダーナとドロレスは違うのだ。あのときは散々小言を言われて、爪をごしごし洗われた挙句、濃いピンク色に塗られてしまった。爪に何かを塗られるのは落ち着かないので、二度と同じ轍は踏みたくない。


「暑くなりますから、窓を開けましょうか」


 馬車が城下町を抜けて外壁の外に出たところで、ダーナがそう言って窓を半分ほど開けた。ふわりと入り込んでくる風が少し生ぬるい。

 二か月前、ここを通って王宮へ入ったときはまだ朝晩が涼しい初夏だったのに、今ではすっかり夏らしくなっている。


(二か月、あっという間だったわ……)


 いろいろあったのに、不思議と終わってみるとあっけない。


(……さようなら)


 エルシーはもう一度心の中でそうつぶやくと、窓越しに真っ青な空を見上げて、目を細めた。



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