里帰り 3

 王都の東に位置するケイフォード伯爵領の領主の邸には、王宮を出発してから三日後の昼前に到着した。

 エルシーが生まれたのはこの家だろうが、ちっとも覚えていないので懐かしみの欠片もない邸の前で馬車を降りると、玄関からケイフォード伯爵ヘクターと、その妻のミランダが姿を現した。エルシーを見ると二人そろって貼り付けたような笑顔を浮かべる。


「おかえり、セアラ」

「疲れたでしょう? 皆さまもどうぞ中へ」


 びっくりするような友好的な様子に、エルシーは戸惑ってぎこちなく頷くと、ダーナたちとともにケイフォード伯爵家の中に入った。

 執事がダーナやドロレス、そしてクライドたち騎士のための部屋を案内すると言って、全員を連れて二階へ上がると、ヘクターとミランダの表情から笑顔が抜け落ちる。


「何か失敗はしなかったでしょうね?」


 ミランダが疑うような視線を向けてきて、エルシーは考え込んだ。


(失敗? 何か失敗するようなことはあったかしら?)


 エルシーは王宮でのんびり暮らしていただけで、失敗するようなイベントは何もなかった。――いや、王太后主催のお茶会が一度開かれたには開かれたが、あの時だった大人しくしていたつもりなので、失敗はなかったはずだ。


(うん、大丈夫!)


 エルシーは力いっぱい頷いた。


「大丈夫です!」

「そう、ならいいのよ」

「お前は今のうちにこっちへ来い」


 失敗の有無だけ確認して、ミランダが興味が失せたようにさっさとダイニングへ姿を消すと、ヘクターがそう言ってエルシーを二階の書斎へいざなった。

 書斎に入るとそこにはセアラがいて、エルシーににこにこと微笑んで手を振った。


「久しぶり、エルシー! 王宮ではどうだった? お手紙を書きたかったのに、お父様とお母様が駄目って言うから書けなかったよ! ひどいでしょう?」


 ソファから立ち上がって駆け寄ってきたセアラの顔にあった痣は綺麗に消えていた。さらに、二か月前より痩せたようで、エルシーと体型がほぼ変わらない。こうしてみるとさすが双子だけあって瓜二つだ。


「セアラ! 大声で騒ぐんじゃない! 王宮の侍女や騎士たちがいるんだぞ! 万が一にもお前たちのことが知られては困るんだ!」

「はあ、面倒くさーい」

「セアラ!」


 セアラは不貞腐れたように頬を膨らませて、エルシーの腕を引っ張ってソファに座りなおした。


「エルシーはわたくしの隣ね。それでそれで? 王宮では何があったの? パーティーとかはあるの? お食事は美味しい? 陛下はどんな方?」


 矢継ぎ早に聞かれて、エルシーが一つ一つに答えようとしていると、「うおっほん!」とヘクターが大きな咳ばらいをした。


「そんな話はどうでもいい! 重要なことだけ引継ぎして、エルシーは早く修道院に戻るんだ。いいな?」

「ええ⁉ せっかく帰って来たのに修道院に戻るの? たくさんお話ししたいわ!」

「我儘を言うな、セアラ! もとはと言えばお前が顔に痣なんぞ作るからこんな面倒なことをする羽目になったんだぞ? わかっているのか⁉」

「あら、それを言えばお父様が、わたくしを妃候補にしたのがいけないんじゃない。王宮から打診が入ったときに断ればよかったのに!」

「馬鹿を言うな! 妃候補だぞ? 選ばれるだけですごいことなんだ! 陛下に見初められなくとも、後々良縁に恵まれるのは間違いない。何のためにお前の婚約者を決めずに来たと思っているんだ」

「何のため? お父様のためでしょ? わたくしのためじゃないわ」


 セアラはエルシーにぎゅーっとしがみついて、じろりとヘクターを睨んだ。


「王宮はちょっと面白そうだけど、別にお妃様になりたいわけじゃないもの。良縁とかにも興味ないわ。わたくしは素敵な人と恋に落ちて幸せな結婚をしたいの」

「いつまでも子供のようなことを言うな!」

「子供も大人も関係ないわ! 女なら誰だって思うことよ! ねえ、エルシー?」


 セアラは同意を求めてくるが、エルシーは神様のお嫁さんになることが望みなので、恋や結婚のことを言われても困る。

 エルシーが曖昧に笑うと、ヘクターが焦れたように騒ぎ出した。


「いいからさっさと引継ぎをして、エルシーはここを出て行け! 裏に馬車が用意してある!」


 いつまでもエルシーがここにいて、二人が双子であると気づかれるのは非常に困るらしい。

 セアラが口を尖らせるが、エルシーとしては下手にヘクターを怒らせて修道院の寄付が打ち切られたら困るので、ここは素直に従っておくことにした。

 エルシーが手短かに王宮のことを伝えると、それを聞いたセアラが目を丸くする。


「え⁉ お掃除もお洗濯も料理も全部自分でするの⁉」

「ええ。陛下がそうお決めになったの。あ! でも、ドレスはここに来る前にたくさん作っておいたから、当分は困らないと思うわ」

「それは嬉しいけど……お掃除とかお洗濯とかお料理も困るわ! わたくしには無理よ! 侍女の二人はできないの⁉」

「ダーナとドロレスもできるけど、お料理はあまり得意じゃないわ」


 掃除や洗濯はかなり上達したし、料理も簡単なものは作れるようになったけれど、あの二人はエルシーとは違って生粋の貴族令嬢だ。無理を言ってはいけない。


(まあ、それを言ったらセアラもそうなんだけど……)


 これは思わぬ弊害が出てきてしまった。今から二週間で料理を覚えてもらうことは可能だろうか。ダーナもドロレスも忙しいので、あまり負担はかけたくない。

 エルシーが二週間の間に料理の勉強を勧めようとしたとき、ヘクターがイライラした口調で口を挟んだ。


「苦手でも侍女ができるならいいじゃないか! 侍女に任せておけばいい! いいから早く引継ぎを終えろ!」

(え⁉ ダーナとドロレスに全部させる気⁉)


 エルシーは愕然としたが、セアラもヘクターと同意見なのか、自分でするつもりはないようで「美味しいものが食べられると思ったのに」とぶつぶつ文句を言っている。

 さすがに黙っていられなくなってエルシーは口を挟もうとしたが、その前に執務室の扉が叩かれて執事が顔を出した。


「ご案内が終わりました」


 ヘクターが舌打ちして、みんなをダイニングへ集めて茶を出してもてなすように執事へ命ずる。


「もういい。時間がない! エルシーは早く裏口から出て行け!」


 ダーナとドロレスに負担をかけないでほしいとお願いしたかったのに、エルシーはそのまま、強引に裏口まで連れていかれて、ケイフォード伯爵家を追い出されてしまった。




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