古いお城には幽霊がでるものです 4
フランシスはその日のうちに古城のキッチンを借りる許可をもぎ取ってきた。
時間は夕食後の片づけが終わった夜の八時からになってしまうと、フランシスは申し訳なさそうな顔をしたけれど、それは別にかまわない。
アップルケーキのほかにレーズンクッキーもほしいとフランシスが言っていたが、騎士たちがタンポポの採取をがんばってくれるおかげで手持ちのクッキーがなくなったので、ちょうどよかった。
イレイズとクラリアーナも一緒に作りたいと言い出したので、エルシーは三人で一階にあるキッチンへ向かった。
材料は自由に使っていいという大盤振る舞いである。
キッチンは広いし、オーブンも大きいので、一度にたくさん作ることができそうだ。
エルシーは先にアップルケーキから取りかかることにした。焼くのに時間がかかるからだ。
アップルケーキの生地の準備にかかる前に、クッキー用のレーズンをラム酒に浸しておく。
リンゴの皮むきを開始すると、しゅるしゅると手際よく皮をむいて行くエルシーの手元に、イレイズとクラリアーナが釘付けになった。
「まあ、器用ですわね」
「本当ですわ。皮が途中で切れずに一本に……職人技ですわ」
リンゴの皮むきでここまで感動されるとは思わなかった。
イレイズとクラリアーナもやりたいというので、二人にも皮むきをお願いする。たくさん焼く予定なので、リンゴをあと五個は剥かなければならない。
剥いたリンゴの半分を串切り、もう半分を小さな角切りにして、角切りの方は砂糖で煮てジャムにする。もう片方はバターと砂糖で炒め煮にし、両方とも火からおろして、水を張ったたらいの中に鍋の底をつけて冷ましておく。
その間に砂糖と卵とバターと小麦粉でケーキの生地を作った。
生地に冷ましたジャムを入れてさっくり混ぜ、型に流し込んでその上に炒め煮した串切りのリンゴを散らす。
あとは予熱したオーブンに入れて焼き上がりを待てば完成だ。
アップルケーキを焼く間に、エルシーはクッキー生地に取りかかることにした。
レーズンを混ぜたクッキー生地は少し柔らかいので、綿棒で伸ばすのではなく、スプーンですくって、一つ一つ丸くしていく。イレイズもクラリアーナも一緒になって、せっせとクッキー生地をスプーンですくっては、鉄板の上に並べて行ってくれる。
クッキーは騎士たちに渡すため特に大量に必要で、一度のオーブンでは焼けないから、何度かに分けて焼くことになる。
全部で二時間半の作業を続けて、ようやく終わったころには夜もすっかり更けていた。
焼き上がったアップルケーキとクッキーを、エルシーと、手伝ってくれたイレイズとクラリアーナとで三等分にする。バスケットにアップルケーキとレーズンクッキーをつめて、イレイズもクラリアーナもご満悦な様子だ。
キッチンの後片付けを終えて、三人そろって三階へ上がる。イレイズは東側の部屋を使っているので中央階段を上り切ったところで別れた。
部屋に戻ると、先に寝ていていいと言ったのに、ダーナとドロレスが起きて待っていた。
焼き立てのアップルケーキとクッキーをそれぞれプレゼントすると、嬉しそうに微笑む。
ケーキとクッキーの入った籠を机の上に置いて、服を着替えると、エルシーはベッドに寝転がった。
ケーキ作りをするから風呂には先に入っていたが、キッチンで作業したために髪に匂いが染みついていて、おいしそうなお菓子の香りがする。
(なんだかお菓子の夢を見そうだわ)
そんなことを思いながらそっと目を閉じたエルシーは、眠りにつく直前、何やら重たい金属がこすれるような、ガシャンという音を聞いた気がした。
☆
翌朝もダーナとともに六時ごろに礼拝堂へ向かうと、そこには先客がいた。
それはエルシーの部屋を担当してくれている栗色の髪のメイド、ララであった。
ララは祭壇前の長椅子に座って、両手を組むと、熱心に祈りを捧げていた。
エルシーが近づいて行くと、気づいてハッと顔をあげる。
「お妃様! おはようございます!」
「おはよう、ララ。早いのね」
「お妃様こそ」
ララはにこにこと笑って、祈りはもういいのか立ち上がると、仕事に戻るという。
(ララはグランダシル様を信仰してくださっているのかしら?)
エルシーの目には、彼女が一生懸命に神に祈っているように見えた。裏の山には戦女神が住んでいるというし、もしかしたら礼拝堂を訪れる人は少ないのではないかと思ったけれど、こうして祈りを捧げてくれる人がいるというのがわかってホッとする。
エルシーがいつものように祈りを捧げて城へ戻ろうとしたとき、庭のハーブ園に人が立っているのを見つけて立ち止まった。
フランシスの叔父、スチュワートだ。彼はフランシスと同じ黒髪に緑色の瞳をしていて、血縁だけあってよく似た顔立ちをしているが、背の高いフランシスと比べると少し小柄だ。
庭のハーブ園ではラベンダーが見ごろを迎えていて、天に向かって伸びる青紫色の小さな花が風に揺れていた。
スチュワートはラベンダーの花を摘んでいた。使用人に任せず、スチュワートが自ら花を手折るのが不思議で、エルシーがじっと見入っていると、視線に気が付いた彼が顔をあげた。
「おや、おはよう。確か……セアラ・ケイフォード嬢だったかな?」
柔らかく微笑むスチュワートは、クラリアーナによるととても穏やかな性格をしているそうだ。三十二歳というが、外見はもう少し若そうに見える。
「はい。セアラです。おはようございます。スチュワート様」
ワンピースのスカートはつまんで挨拶できるほど広がらないので、エルシーは双子の妹の名を告げてぺこりと頭を下げた。
何となく挨拶だけしてそそくさと通り過ぎるのも気まずい気がして、エルシーはハーブ園を覗き込む。
「ラベンダーですか。いい香りですね」
「ああ。お茶にしようと思っていてね」
「ラベンダー茶! 片頭痛によく聞きますよね。リラックス効果もありますし」
ラベンダーは修道院の裏手にも植えてあった。梨園をくれた老夫婦の主人が片頭痛持ちでよくお茶がほしいと訪ねてきたことを思い出す。
「そうなのか。ならちょうどいいね。あれは今、頭も痛いと言っていたからね」
(あれ?)
あれとはいったい誰のことだろう。近所の男性が自分の妻のことを「あれ」と呼んでいるのは訊いたことがあるけれど、スチュワートは独身だったはずだ。
(もしかして陛下のことかしらね?)
フランシスは妃候補たちに追い回されて疲れていたから、そうかもしれない。スチュワートとフランシスは仲がいいと聞くし。
「だがラベンダー茶は少し飲みにくいよね。私は好きなんだが……、使用人たちにはあまりウケがよくなくて、せっかく育てているのに、毎年咲くに任せて全然活用されなくてね」
スチュワートが手に持っているラベンダーを見下ろして眉尻を下げる。
ハーブ園はスチュワートが趣味と実益を兼ねて管理しているそうだ。
(こんなに広いハーブ園を……しかも種類別にきっちり区画分けされていて、すごいわ!)
修道院では、裏手の花壇に適当に並べて植えているだけだったが、ここはそれぞれの場所がきっちり分けられていて、それなりに量もあるから圧巻だ。修道院に帰ったら、スチュワートを見習って裏手の花壇を整理してみよう。
「余る用でしたら、ポプリにしたあとで袋に詰めて、クローゼットの中に入れたらどうでしょう。いい香りがしますし、防虫効果があるんですよ。それから、お茶が飲みにくいなら蜂蜜を入れたらどうでしょう? 飲みやすくなりますよ」
「なるほどね。参考にさせてもらうよ。やはりこういうことは女性の方が詳しいのかな。……ああ、でもあれはあまり興味がないようだったけれど」
また「あれ」。エルシーは首をひねる。
(この感じだと陛下のことじゃない……?)
スチュワートにはもしかしなくてもイイ人がいるのだろうか。詮索するような無粋な真似はしないけれど、大切な人のために自らラベンダーを手折るなんて素敵だ。
立ったままスチュワートがラベンダーを取っていくのを見ながら話をするのも何なので、エルシーがラベンダー採取を手伝うと言えば、スチュワートが地面に置いていた籠の中からハサミを出して渡してくれた。スチュワートは手で折った方が早いので、風通しを良くするためにラベンダーの枝を切り落とすときくらいしかハサミを使わないらしい。
エルシーはありがたくハサミを使わせてもらうことにして、せっせとラベンダー採取を開始した。
ダーナが苦笑しつつ、エルシーに日傘をさしかけてくれる。
夢中になってラベンダーを採取していたエルシーは、ふと、フランシスが言っていた古城に出るという幽霊のことを思い出した。騎士の幽霊だそうだが、ここにずっと住んでいるスチュワートなら詳しいかもしれない。出来ることなら幽霊を探して成仏のお手伝いをするのだ。未来のシスターとしての務めである。
「スチュワート様は、騎士の幽霊のことをご存知ですか?」
「騎士の幽霊……? ああ、あれか。フランシスにでも聞いたのかな」
スチュワートは手を止めて、くすりと笑った。
「フランシスは国王になる二、三年前まで、一年の大半をここで生活していたんだがね、その時に城に残る古い迷信に興味を持ったようなんだ。もちろんただの噂話で、騎士の幽霊なんて誰も見たことがないから、心配しなくてもいいよ」
「そう、なんですか」
エルシーは心なしかがっかりした。もちろん、現世に未練を残して彷徨っている幽霊がいないに越したことはないけれど、せっかく成仏の手伝いをしようと思っていたからちょっと残念だ。
「どうせ噂の出所も、夜中に寝ぼけた誰かが、二階に飾っている鎧を幽霊と見間違えたんだろう。あれは実際に使われた古い鎧だからね、兜も全部そろっているし、見間違えても仕方がないかもね」
「騎士の鎧が飾ってあるんですか?」
「もうないよ。子供のころのフランシスがあれを見るたびに怯えて泣いていたから、今は片づけて……確か、一階の倉庫にでも入れていたと思うけれど」
錆びつかないように、使用人がたまに出して磨いているというが、スチュワートは鎧に興味がないのか、ずっと見ていないそうだ。
「ああ、今の話は内緒ね。子供のころの話をすると、フランシスは怒るんだ」
しーっと唇に人差し指を立てて、スチュワートは茶目っ気たっぷりに片目をつむる。
そしてラベンダーの採取を再開しながら、懐かしそうに言った。
「あんなに小さかったフランシスが国王とはね。……一時は心配だったんだが、立ち直ったようで、本当によかったよ」
子供のころのフランシスは、スチュワートが心配するほど臆病な子供だったのだろうか。
(ちょっと意外だわ)
エルシーは小さく笑うと、ラベンダーの香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
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