戦女神の呪い 1

(いただいちゃってよかったのかしら?)


 スチュワートとともにラベンダーを採取したエルシーは、彼が分けてくれたラベンダーを抱えて部屋に戻った。

 窓の近くのテーブルに皿やコップを並べて朝食の準備をしていたドロレスが、エルシーが抱えているラベンダーに目を丸くする。料理は今、メイドのララが食堂まで取りに行ってくれているそうだ。


 ダーナが事情を説明すると、ドロレスはくすくす笑って、スチュワートと仲良くなったようでよかったと言い出した。ただ少し話をしただけなのだが、あれは仲良くなったことになるのだろうか。人当たりのいい方だったので、誰に対しても優しく接してくれると思う。


 いただいたラベンダーは、せっかくだから乾燥させてお茶を作ることにした。しかし出窓にはタンポポの根がたくさん広げられていて、ラベンダーを置くスペースがない。

 仕方がないので、ラベンダーをリボンでひとまとめにすると、出窓のカーテンレールに括りつけてつるして乾燥させることにする。


「いい香りですわね」

「たくさんあるから、ほしいならとっても大丈夫よ」

「それでは、乾燥させたものを少しだけいただけますか? サシェにしようと思います」


 ドロレスが言えば、ダーナも同じようにほしいと言ったので、乾燥させた後でほしいだけ持って行っていいよと伝えておく。

 部屋の扉が叩かれたのでダーナが開ければ、ワゴンを押してララが入ってきた。


「朝食をお持ちしました――って、あら? 魔除けをつるすなんて、なにかあったんですか?」

「魔除け?」


 エルシーがきょとんとすると、ララは出窓につるしたラベンダーを指さした。


「あれです。ラベンダーを窓辺につるすのは、このあたりに伝わる旅人の魔除けなんですよ。戦女神様はラベンダーの香りがお嫌いなんです」

(ん?)


 エルシーはますますわからなくなった。

 戦女神と言うのは裏山に住むという神様のことで間違いないはずだが、どうして女神の嫌いなものが「魔除け」になるのだろう。普通、逆ではなかろうか。


「戦女神様はこのあたりに住む人々を守る神様ですが、同時によそから入って来た方には悪魔として恐れられていらそうなんです。その昔、ここに敵が攻め入ったときの名残だそうで、味方には多大なる加護を、敵には破滅をという、戦女神様をたたえる歌の影響だそうですが……。以来、よそから入ってくる旅人は、戦女神様に命を吸い取られないよう、窓辺にラベンダーをつるすのですわ。特に今は、ちょうど戦女神様の加護が最大になる時期ですから」


 ララはドロレスが準備したテーブルの上にパンの籠を置きつつ教えてくれる。


「詳しいのね、ララ」


 エルシーは驚いた。ダーナですら詳しく知らなかった戦女神のことをララがよく知っているのは、彼女がこの地で生まれ育ったからだろうか。


「わたしが生まれ育った村には、戦女神様の歌が伝わっていますからね」


 ララがくすりと笑って、ラベンダーを見上げた。


「この地での戦争が一番激しかったのが初夏だそうです。だから戦女神様のお力は今が一番お強くて、そして同時によそ者をひどく嫌う時期でもあるのですわ。あ、もちろん国王陛下がお連れになったお妃様たちは、『よそ者』ではございませんからご安心ください。戦女神様は王家を守る神様でございますから」

「その、戦女神様の歌ってどんなのなの? よかったら聞かせてくれない?」

「歌ですか? ……ちょっと恥ずかしいですけど」


 ララは頬を染めて、スープを注ぐ手を止めると、小声でこう口ずさんだ。


「ルールー、敵を滅ぼせ命を刈れ、すべては戦女神様の糧となる。ルールー、よそ者は立ち去れ呪われろ、戦女神様はお怒りだ。ルールー、ラベンダーの野原を焼き払え、戦女神様がお隠れになる。……おじいちゃんが言うには、本当はもっと長い歌だったそうなのですが、村に伝わっているのはこれだけです。この歌は子供のころにお母さんが子守歌でよく歌ってくれていたんですよ」

「そ、そうなのね」


 なんて物騒な歌を子守歌にするんだと思いつつ、にこにこと笑うララを前にそんなことは言えないので、エルシーは笑って誤魔化した。

 ララはスープ皿にスープを注ぐのを再開し、最後にポツンと言った。


「だから、ラベンダーの魔除けは、よそ者が戦女神様の呪いを避ける唯一の方法なのです」





 午後になって、フランシスがやってきた。

 こそこそと人の目を避けるようにしてエルシーの部屋に入ってきた彼は、入ってくるなりぐったりとソファ寝そべってしまった。今日も今日とて、妃候補たちに追い回されているらしい。

 フランシスが着てので、ダーナとドロレスは気を遣ってか、隣の部屋で刺繍でもしていると言っていなくなってしまったから、部屋にはフランシスと二人きりだ。


「いい香りがするな」


 ソファに寝転がったままフランシスが言った。


「ラベンダーです。今朝、スチュワート様にいただいて」

「は?」


 フランシスはソファから飛び起きた。


「叔父上にもらった? ……叔父上が育てているハーブをくれたのか? あの、命よりも大切にしているハーブ園のハーブを? 馬鹿な!」


 エルシーはぱちぱちと目をしばたたいた。


「そう、なんですか? ……ええっと、確かにくださいましたけど」


 フランシスはショックを受けたように固まってしまった。もしかして、フランシスはスチュワートから一度もハーブをもらったことがなかったのだろうか。それは先を越したようでなんだか申し訳ない。


「えっと、まだ乾燥中ですけど、フレッシュハーブティーなら入れられますから……少し、お入れしましょうか? アップルケーキもありますし」

「……もらおう」


 フランシスはまだショックから立ち直っていないようだが、アップルケーキと言う言葉にぴくりと反応した。

 エルシーがベルでララにお湯と蜂蜜を頼んで、つるしてあるラベンダーを少し取ると、丁寧に花を外してポットの中に入れていく。


 ララが持ってきてくれた熱々のお湯を注げば、ふわりといい香りが漂った。少し蒸らして、お湯に綺麗な色が出たらティーカップに注いでいく。

 フランシスの前に、ティーカップと、それから蜂蜜の入った小瓶を置いた。


「お好みで蜂蜜を垂らしてお飲みくださいね」


 エルシーは昨晩作ったアップルケーキと、それからレーズンクッキーを皿にのせて、フランシスに差し出す。

 エルシーが対面に座ろうとしたら隣に来いとソファの座面をポンポンされたので、彼の隣に腰を下ろした。

 フランシスはラベンダーティーを一口飲んで眉を寄せると、蜂蜜を入れてかき混ぜる。あまり口に合わなかったようだ。


「それで、叔父上とは何を話したんだ?」

「騎士の幽霊について、でしょうか」


 フランシスの子供のころの話は内緒だと言われているので口にはしない。


「ただの迷信で幽霊は出ないんだそうです。……ちょっと残念ですね」

「幽霊が出なくて残念という女はお前くらいなものだろうよ」


 フランシスはやれやれと息をついて、アップルケーキを口に入れる。満足そうに頬を緩めて、一切れを三口で食べきると、今度はレーズンクッキーに手を伸ばした。


「そう言えば、つるしているラベンダーですけど、この地に伝わる魔除けなんだそうです」

「魔除け?」

「旅人が戦女神様から身を守るためのものだとか」

「ああ、戦女神の呪いとか言うやつか。それならば聞いたことがあるな」

「そうなんですか?」

「眉唾だぞ? 何でも、旅人が戦女神に呪われて次々死んでいくというものだが……あれは実際のところは、昔この地にやってこようとしていた旅人たちが流行り病を患っていて、道中でバタバタと死んでいったという事件があったそうだ。もう何百年も前の話だがな。それが戦女神の呪いのもとになっていて、ラベンダーが嫌いだというのは、その旅人の中でラベンダーのサシェを持ち歩いていた女だけが助かったから、そこから来ているのだという話だな」

「お詳しいんですね」

「そうでもない。別に戦女神を信仰しているわけでもないし。王家の歴史を学ばされた際にいくつか聞いたことがあるだけだ」


 フランシスはもぐもぐとクッキーを食べつつ、つるしてあるラベンダーに視線を向ける。


「しかしそんな昔の迷信を、まだ知っているやつがいたんだな」


 どうやら王家は、戦女神への信心を失って久しいらしい。確かに、そうでなければ戦女神が嫌うというラベンダーを、彼女が住むという山の目と鼻の先である城の庭で育てたりはしないだろう。

 しかし、フランシスは戦女神も、グランダシル神を信じているわけでもなさそうなら、いったい何を信じているのだろう。

 グランダシル神は、各地に礼拝堂が建設されるようになって急速に国内に広がったと言われるけれど、信仰している人間は人口の五分の一にも満たないはずだ。どちらかと言えば、グランダシル神の礼拝堂が結婚式に使われて、それがブームになって、宗教の普及よりも礼拝堂だけが先行で建てられるようになったらしい。


「俺か? 俺が信じているのは俺自身だ」


 気になって訊いてみたところ、フランシスはきっぱりと言い切った。


「俺の命は俺にしか守れない。騎士たちを信じていないわけではないが、少なくとも、姿も形も見えない神にすがろうとは思わないな」

「じゃあ……一度も神様を頼ったことはないんですか?」

「ない。と言いたいところだが、一度だけある。だが、それは子供のころの話だ」


 フランシスはそれ以上言いたくないのか、エルシーに空になったティーカップを差し出した。


「次は紅茶をくれないか。ラベンダーはもういい」


 フランシスは二個目のアップルケーキに手を伸ばしつつ言った。

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