王太后のお茶会 3

 国王の名前だが、お茶会がはじまってすぐに知る機会が生まれた。

 クラリアーナが「うふふ」と華やかな笑みを浮かべて、国王に話しかけたからだ。たしかクラリアーナは国王のはとこにあたるらしい。なるほど、彼がこのテーブルに来たわけだ。


「フランシス様、そんな仏頂面をしていないで、もっと楽しみましょうよ!」

(国王陛下はフランシス様というのね。フランシス様。覚えておかなきゃ)


 とりあえず、フランシスの相手はクラリアーナに任せておけばいいだろう。エルシーは出しゃばらず、目の前のお茶とお菓子を堪能することにした。


 注ぎたての紅茶からはかぐわしい香りが漂っている。目の前の三段トレイに盛られたお菓子やサンドイッチも、どれも宝石のように美しかった。

 紅茶を一口飲んで、その美味しさにエルシーはほーっと感じ入った。紅茶の茶葉か食材と一緒に届けられるし、ダーナやドロレスは紅茶を入れるのがとても上手だったけれど、ここで出された紅茶はそれとは比べ物にならないくらいに美味しかった。おそらく茶葉の品質が違うのだろう。


 イレイズも紅茶に口をつけ、柔らかく目を細めている。そして三段トレイの下段の一口サイズのサンドイッチを手に取ると、口に入れて嬉しそうに微笑んだ。自分たちで食事を作れと命じられているから、どうしても城の料理長が作る洗練された食事は味わえない。侯爵令嬢のイレイズにとっては、久しぶりに満足のいく食事なのかもしれなかった。

 エルシーもイレイズと同じくサンドイッチに手を伸ばして、それからフランシスの斜め後ろに立っているクライドともう一人の騎士が食事に手を付けていないことに気が付いた。立ったままだから紅茶も食事もとれないのだろう。


「クライド様は食べないんですか?」


 エルシーが訊ねると、クライドが笑った。


「ここに来る前に腹いっぱい食べたんでお気遣いなく」


 礼拝堂を掃除してもらって以来、エルシーとクライドは仲良くなっていた。というか、エルシーのアップルケーキが気に入ったクライドが一方的にエルシーを気に入ったとも言える。彼は次の日、アップルケーキのかわりだと言って大量のリンゴを差し入れてくれた。こんなに食べきれないと言えば、ケーキにしてもらえば自分が食べると言った。あれは遠回しにアップルケーキをねだられたのだと確信している。

 エルシーがクライドに話しかけたからだろうか、イレイズが少し緊張した顔でもう一人の騎士に話しかけた。


「コ、コンラッド騎士団長は、いかがですか?」


 何と、もう一人は騎士団長だったらしい。エルシーは驚いた。騎士団長にしては若い。クライドよりも少し年上――三十前後にしか見えない。

 イレイズの声が少し上ずっている。コンラッドが苦手なのだろうかと思えば、その頬がほんの少し赤く染まっていた。エルシーはもう一度コンラッドを見て、なるほどと合点する。嫁ぎ先は神様と決めているエルシーは何とも思わなかったが、確かに整った顔立ちをしていた。トサカ団長――いや、クライド副団長も精悍な顔立ちをしているが、彼とはどこか違って、騎士らしくないというか――貴公子然としている。


 ちらりとほかのテーブルを見れば、誰もがこちらのテーブルに視線を向けていた。

 フランシスも整った顔立ちをしているし、彼のうしろにいる騎士二人もそうとなれば、令嬢たちの熱い視線が注がれてもおかしくはない。


 エルシーはなおのこと居心地が悪くなって、何か適当な理由をつけてほかの席に移ることはできないだろうかと思った。このままここにいては針の筵だ。誰かかわってほしい。

 こっそりため息を吐いた時、フランシスの視線がこちらへ向けられていることに気が付いた。

 どうかしたのかと顔をあげれば、目が合った瞬間に逸らされる。首をひねれば、フランシスが視線を逸らしたまま言った。


「……そなたは?」


 フランシスがそう一言発した瞬間、ざわりと喧騒が立った。

 フランシスが女性の名を訊ねることが珍しいと知らないエルシーは、なんでざわついたのかわからないが、訊ねられたら答えるべきだと、「セアラ・ケイフォードです」と双子の妹の名前を名乗る。


「セアラ……そうか。ケイフォード伯爵家の」


 フランシスが少しがっかりしたような表情をしたのが気になった。


「確かセアラと言えば……礼拝堂を毎日掃除していると聞いたが、本当か?」


 国王は王宮には一歩も足を踏み入れていないらしいのに、どうしてそのことを知っているのだろうか。不思議に思いつつも、エルシーは頷く。


「はい」

「何故だ?」

「何故?」


 どうして理由を求めるのだろう。礼拝堂を掃除することに意味が必要だろうか。エルシーはきょとんとして、修道院の教えをそのまま答えた。


「グランダシル様に心地よくお過ごしいただくためです」

「……は?」


 フランシスは虚を突かれたように目をしばたたいた。何故驚くのだろう。わかりにくかっただろうか。


「礼拝堂はグランダシル様のお住まいですもの。わたくしたちのお家だって、毎日掃除をするではありませんか。グランダシル様のお住まいを掃除することは当然のことですわ」

「グランダシル……ああ、そうか、神のことか」


 誰のことだと思ったのだろう。この国は宗教国家ではないため、神に仕える身でなければ信仰心が薄いとは聞くが、神様の名前をすぐに思い出せないとは何事だろうか。国王のくせに。

 エルシーはちょっぴりムッとしたけれど、他人に信仰を押しつけてはならないというカリスタの教えを思い出して、深呼吸することでその怒りを鎮めることに成功した。「他人に信仰を押しつけてはならない。神様の教えが必要な時は、人の方から集まってくるものだから」。それが、尊敬するカリスタの教えだ。


「セアラは神に心地よく過ごしてもらうために礼拝堂を掃除している、ただそれだけだと?」

「他に何か理由がございましょうか?」

「……まあ、こざかしい」


 エルシーが頷いた直後、冷ややかな声がしたので視線を向けると、クラリアーナが鋭い視線でこちらを睨んでいた。


「神のために掃除をするですって? 見え透いた嘘など吐かずとも、素直にフランシス様のお気を引くためですとお答えすればいいじゃないの」

「……え?」


 礼拝堂を掃除することが、どうしてフランシスの気を引くことにつながるのだろうか。

 しかしここで、「そんなつもりはこれっぽっちもない」と答えると、今度はフランシスに対して失礼になってしまうかもしれない。どうしたものかと困っていると、黙って話を聞いていたイレイズが優雅にティーカップを傾けながら口を挟んだ。


「王宮にお渡りにならない陛下が、セアラ様が礼拝堂を掃除なさっていることを知る確率はそれほど高くはないでしょう。わざわざその低い確率を信じて毎日礼拝堂の掃除をなさると、本気でお考えですか?」

「現にフランシス様はご興味を持たれているじゃない。わたくしだって、礼拝堂から近い部屋が与えられれば掃除をしたでしょう。残念ながらわたくしは、礼拝堂から一番遠い部屋を与えられてしまいましたけれどもね」


 城に近い一番右の部屋は、家柄から一番王妃に近い場所だと言われている。その部屋を「残念」と言いうクラリアーナに、各テーブルから鋭い視線が突き刺さった。

 けれどもクラリアーナは嫉妬には慣れているようで、眉一つ動かさない。

 イレイズが眉を寄せた。


「離れていても通えない距離ではないでしょう。セアラ様の行動に文句がおありなのでしたら、明日からクラリアーナ様がお掃除なさってはいかがです?」

「あら、それもいいかもしれないわね。でも残念。礼拝堂は今は入れないのよ。知らなかった?」


 エルシーはきょとんとした。礼拝堂がいつ封鎖されたのだろうか。エルシーは今朝も掃除をしてきたばかりだけど。


「入れない?」

「知らないの? 礼拝堂は泥や絵の具で汚れているの。どうしてかしら。セアラ様が毎朝掃除なさっているはずの礼拝堂が、どうしてそのように汚れてしまったのかしらね。ねえ、フランシス様?」

「汚された?」


 イレイズが目を丸くした。

 エルシーもびっくりする。せっかく掃除したのに、また泥と絵の具で汚されてしまったのだろうか。こうしてはいられない。はやくきれいにしなければ。


(ああっ、お茶会はまだ終わらないの?)


 もちろんはじまったばかりのお茶会は、まだ一時間以上も時間がある。

 いてもたってもいられずそわそわしはじめると、フランシスが静かに言った。


「礼拝堂はすでに掃除されて元通りだ。立ち入りも禁止していない」

「まあ、そうでしたの。知りませんでしたわ」


 クラリアーナが大げさに言って、ニコリとエルシーに笑いかけた。


「よかったですわね、セアラ様。汚した礼拝堂が綺麗になって」


 なぜエルシーが礼拝堂を汚したように言われるのだろう。納得がいかなくて口を挟もうとしたけれど、その前にフランシスが三段トレイの真ん中から一口サイズのアップルケーキを手に取りつつ言った。


「クラリアーナ、セアラは汚したのではなく掃除をしたのだ」

「あら、そうでしたかしら」

「そうだ。……はあ。まあいい。テーブル全てを回るようにと王太后から指示を受けているからな。私はもう行く」


 アップルケーキを口に入れて、フランシスは立ち上がった。

 クライドとコンラッドもフランシスのあとを追って次のテーブルへ向かう。どういうわけか、当然のような顔をして、クラリアーナも席を立ってフランシスについて行った。

 イレイズと二人っきりになると、エルシーはようやくフランシスがいなくなったと胸をなでおろす。


 これで当初の予定通り「目立たず穏便にやりすごす」を実行できる。

 フルーツのタルトに手を伸ばして舌鼓を打っていると、イレイズがじっとこちらを見つめていることに気が付いた。


「どうかしましたか?」

「いえ……。先ほど、礼拝堂が汚されたと聞きましたけれど、本当ですか?」

「はい、残念なことに先日。本当にひどい有様で……。あ、でも騎士団の方が掃除をしてくださって、今は元通りピカピカですから、いつでもお祈りできますよ!」

「お祈り……そうですわね、近いうちに。でもそうではなくて……、その、礼拝堂が汚されたことをわたくしは知らなかったものですから。ほかの方はご存じだったのでしょうか?」

「どうですかね……、礼拝堂に立ち入る方は少ないので」


 エルシーが知っているのはクラリアーナだけだ。もちろん、エルシーが知らないところでお祈りに来ている妃候補はいるだろう。だが、エルシーは礼拝堂のすぐ近くの部屋を与えられたので、人が多く出入りしていれば気が付くはずだ。だから、あまり出入りしていないと思っている。


「そうですか」


 イレイズは考え込むように顎に手を当てた。


「……妙ですわね」


 エルシーは大きく頷いた。


「そうですよね! 礼拝堂でお祈りされる方がこんなに少ないなんて。きっと皆さま、一番端っこにあるから遠慮なさっているのでしょうか。真ん中にあればよかったですね」


 イレイズは目を丸くした後で、微苦笑を浮かべる。


「ふふ……、セアラ様はとても面白い方ですわね」

「え?」


 面白いと言われるような発言をしただろうか。

 首をひねるセアラの皿に、イレイズがチョコレートケーキを乗せる。


「せっかくの機会ですから、美味しいものをたくさん食べて帰りましょう」


 それには大いに同意する。

 エルシーはそうですねと笑って、イレイズが皿にのせてくれたチョコレートケーキを頬張った。

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