王太后のお茶会 2

 二十分かけてたどり着いた城の庭には、日よけのための布が張られて、その下に白い丸テーブルが四つ並べられていた。

 離れたところには長方形のテーブルがあり、茶器が用意されている。


 今日は少し風が強くて、風が吹くたびに日よけの布がバサバサと大きな音を立てていた。

 到着が少し早かったようで、エルシーのほかには二人の妃候補の姿しかない。エルシーは妃候補の顔も名前も知らないのでわからなかったが、ダーナがそっと、アイネ・クラージ伯爵令嬢とイレイズ・プーケット侯爵令嬢だと教えてくれた。


 アイネ・クラージ伯爵令嬢が赤毛の小柄な方で、イレイズ・プーケット侯爵令嬢が黒髪の少し背の高い方だという。アイネが十五歳で王宮は右から十一番目、イレイズが十八歳で王宮は右から六番目だそうだ。

 アイネとイレイズはそれぞれ違うテーブルについていて、それならエルシーも違うテーブルに座ろうかと思っていると、イレイズが扇を閉じて手招きした。


「よかったらこちらへどうぞ」


 ダーナに目配せすると頷かれたので、エルシーはイレイズが座っているテーブルに向かった。

 アイネは無口なのか先ほどから何も言わず、城の当たりをじっと見つめている。

 ここでは侍女は離れたところに待機することになっているので、ダーナはエルシーが席に着くと、侍女たちの待機場所に移動した。


「早く着きすぎて退屈していたの。よかったら話し相手になってくださらない?」


 イレイズは少し吊り目だがすごく美人だった。髪と同じ黒い瞳は切れ長で知的で、肌は陶器のようにきめ細かい。別のテーブルにいるアイネもすごく可愛らしい。ダーナやドロレスが気合を入れて支度をするわけである。

 イレイズの身に着けているドレスは、黒地に赤の指し色が入ったものだった。あまり横に広がらないデザインで、背の高い彼女によく似あっている。


「二週間と少しが立ったけれど、王宮での暮らしはどうかしら?」

「楽しく過ごしています」


 訊ねられたのでエルシーが答えると、イレイズは信じられないものを見るように目を見開いた。


「楽しく? ……まあ、本当に? 掃除や洗濯、果ては着るものまで自分で作れと言われたのに? わたくしなんて、着るものがなくて本当に困っていますのよ。二人の侍女も服なんて作ったことがないというし……、このままだったら布をそのまま体に巻き付けて生活することになりそうですわ」


 心の底から参っているのだろう、イレイズは額に手を当てて息を吐きだす。


「いくら陛下にお手紙を書いても、考えを改めてくださいませんし、いったいどうしたらいいのかしら。かといって、決まり事ですもの、実家から物を送ってもらうわけにもいかないでしょう? ……まあ、一部の方は、こっそりズルをしていらっしゃるようですけどね」


 イレイズがちらりとアイネに視線を向けて、それから気を取り直したように笑った。


「あなたは着るものはどうなさっているの? シンプルなワンピースを着て歩いているところをわたくしの侍女が見かけたそうだけども……、あなたのところの侍女は裁縫が得意なのかしら?」


 羨ましいわ、と言ってイレイズの視線が離れたところに立つダーナに向く。なんだか子供がおもちゃを欲しがる視線とよく似た目をしていたので、エルシーは慌てた。


「ダーナは刺繍が得意ですけど、裁縫は得意じゃないですよ!」


 だからダーナを取り上げないでくれと言えば、イレイズがきょとんとする。


「まあ、それではもう一人の侍女かしら?」

「ド、ドロレスも刺繍は上手ですけど、服は作れません!」


 ドロレスも取られてなるものかとエルシーが力いっぱいに否定をすれば、イレイズは首をひねった。


「それなら、いったいどなたが服を作っていらっしゃるのかしら?」

「わたしです」


 だから二人とも取らないでねと心の中でお願いしながら答えれば、イレイズは「まあ」と口元に手を当てる。


「あなたが?」

「はい。簡単なものしか作れませんが、ああいったことは得意でして……」


 何せ、修道院で散々子供の服を作ったり繕い物をしてきたのである。裁縫には慣れているのだ。


「そう、なの……。まあ、羨ましいわ……」


 どうやらよほど困っているようだった。

 誰も服を作れないのであれば、最初に支給されたドレスで一年をすごさなければならないのだから、確かにそれは死活問題だ。


(今更だけど、ジョハナ様が王宮のルールを説明した時にダーナが怒ったのがわかる気がするわ……)


 裁縫が得意なエルシーには何の苦もなかったけれど、イレイズのように裁縫が苦手な令嬢たちにとっては、ドレスの支給がないのは相当な痛手だ。

 なんだか可哀そうになってきた。助け合いの精神はシスターの基本。ならば。


「よかったら、お作りしましょうか? 簡単なワンピースしか作れませんけど」


 エルシーが申し出ると、イレイズは目を丸くした。


「まあ、よろしいの?」

「はい。でも、本当に簡単なものしか作れませんよ? ドレスとかは作ったことがありませんから」

「もちろんそれで構わないわ! よかった、本当に困っていたのよ。今日、陛下がいらっしゃると言うから、直接お願いに行こうと思っていたくらいなの……」


 聞けば、イレイズはこの二週間余り、最初に支給されたドレスだけですごして来たらしい。それは大変だったろう。ドレスは何枚もの生地を重ねているから、洗濯しても乾きが遅い。それに、何度も洗濯すると生地が傷んでしまうのだ。

 イレイズが明日にでも生地を持ってエルシーの暮らしているところに来るというから、あとでダーナに報告しておこうと頷いたところで、侍従が王太后の到着を告げた。


 イレイズと話し込んでいたから気づかなかったが、お茶会の会場にはすでに多くのお妃候補たちが集まっていた。全員ではないが、お茶会の開始時間まであと十分ほどだから、もうじき集まってくるだろう。

 イレイズがお話はまたあとにして王太后に挨拶に行こうと言うから、エルシーも頷いて席を立った。


 王太后は一番城に近いところにあるテーブルに座った。

 王太后フィオラナは、つややかな金色の髪に緑色の瞳をした年齢を感じさせない美人だった。凛としたまなざしは威厳と迫力に満ちている。

 イレイズとエルシーが挨拶に行くと、フィオラナは鷹揚に頷いて、今日は楽しんでいきなさいとだけ言った。

 イレイズとともに席に戻ると、先ほどはいなかった別の令嬢が座っていた。


(あ、この方……)


 派手な金髪のこの令嬢は、クラリアーナ・ブリンクリーだった。いつぞや、礼拝堂の前で会った公爵令嬢だ。

 イレイズとエルシーが席に着くと、クラリアーナは細い眉を跳ね上げたけれど、ばさりと扇を広げて顔を隠しただけで何も言わなかった。


 クラリアーナのドレスは今日も大きく襟ぐりが開いたもので、濃い紫色だった。フリルとリボンがたっぷりついている。

 エルシーに支給されたドレスはどれも露出の少ない控えめなもので、イレイズが今着ているものもそうだから、きっとこのドレスはクラリアーナか彼女の侍女が縫ったものなのだろう。前回も思ったが、すごい腕前だ。


 エルシーが感心していると、突然、ざわりと周囲に喧噪が走った。

 どうしたのだろうかと顔をあげると、左右を騎士二人に囲まれた背の高い男がこちらに歩いて着ていた。

 顎の下ほどまでの長さの艶やかな黒髪に、エメラルドのような綺麗な緑色の瞳。漆黒のマントが風でばさりとはためいて、臙脂色の裏地をのぞかせていた。両サイドにいる騎士のうちの一人はクライドだ。もう片方の灰色の髪の男は知らないが、クライドと同じ詰襟の軍服を着ているので騎士には間違いない。


(あの方が国王陛下かしら?)


 威風堂々とした様は、まさしく「国王!」と言う感じだった。

 しかし、何が気に入らないのか、むっつりと不機嫌そうな表情を浮かべている。


 王は王太后の前を通るとき、慇懃に一礼し、そのままこちらへ歩いてくる。

 国王が王太后の前を通り過ぎるとき、王太后がふと悲しそうに眉を寄せたのが気になった。

 同じテーブルのクラリアーナが「ふふっ」と小さく笑った。


「陛下がこちらへ来るのは当然よね。わたくしがここに座っているんだもの」

(え?)


 なんと、国王はこの席に来るらしい。

 ピクリとイレイズが肩を揺らして、ピンと背筋を伸ばしたから、エルシーも慌ててそれに倣う。

 よりにもよって何故ここに来るのだろうか。


(わたしは目立たずにやり過ごすつもりだったのに!)


 国王がここに来たら否が応でも目立ってしまうではないか。離れたところにいるダーナが小さくガッツポーズをしたのが見える。喜ばないでほしい。これは想定外の事態だ。


 国王がこちらへ来たから、彼についてきた騎士二人も当然ここに来る。

 テーブルには椅子が四脚しかなかったから、二人はフランシスの背後に立ったままだ。圧迫感がすごい。椅子を理由に逃げ出せないだろうかと考えていると、クライドと目が合った。彼は片目をつむって「お気遣いなく」と口の動きだけで言った。どうやらエルシーの魂胆は見え見えだったようだ。


(まずいわ。国王陛下の名前すら憶えていないのに)


 エルシーは国王の名前を知らない。当然知っているものだと思っているダーナやドロレスは教えてくれなかったし、貴族令嬢たるもの知っていない方がおかしいはずなのでエルシーからも訊ねられなかった。


 話しかけられてはたまらないと、できるだけ目を合わさないようにしようと視線を下に向ける。

 国王が席に着くと、給仕担当たちが各テーブルにティーセットを運び、全員にいきわたったところで王太后が銀のスプーンでティーカップの縁を軽く叩いた。


「本日はわたくしのお茶会にいらしてくださってどうもありがとう。短い時間ですけど、楽しんでちょうだい」

(どこが短いのかしら。二時間もあるのに。……はあ、二時間……長いなあ)


 国王に話しかけたくてうずうずしているほかの令嬢と対照的に、エルシーは「どうかへまはしませんように」とこっそりと憂鬱なため息をついた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る