ダニエルを探して 1
窓が破れ、壁も半分朽ちたような、誰も来ない山奥の小屋の中で、三人の男たちはひざを突き合わせて唸っていた。
汚れた床の上に置かれている匂いの強い安物の蝋燭の灯りが、ゆらゆらと揺らめいている。
ろうそくの炎の揺れにあわせて、壁に向かって長く伸びる三人の男たちの影も揺れていた。まるでその揺れは、男たちの心の不安を表しているようでもあった。
「あの修道院はもうだめだ。今朝、門の前に馬車が停まって、騎士が下りてきた。きっとシスターたちが連絡したんだ」
「能天気なシスターたちが相手なら楽勝だと思ったんだがな」
「あの女さえ来なければ盗み出せていたものを」
男の一人が、思い出したように右肩を撫でた。容赦なく箒で殴られた肩がまだ痛むような気がする。
「それからあの男もだ。どうして女子修道院に男がいる」
「……あの男か」
「どうした?」
「いや……どこかで見たことのある顔だと思ったんだが……」
すぐにシスターたちの足音と声が聞こえてきて慌てて退散したので、それほどじっくり男の顔を見る時間はなかった。だがなぜか引っかかるのだと男が言えば、二人の男は首をひねる。
「以前に盗みに入ったところで見たのか?」
「どうだろう。そうかもしれないな」
男はそう結論づけて、「ところで」と続ける。
「噂で聞いたんだが、領主のところの娘が里帰りで戻ってきているらしい」
「領主の娘って言うと、国王の妃候補になったっていうあの?」
「ああ。……なあ、これはツイていると思わないか?」
「というと?」
「だから――」
男はいっそう声を落として、ささやくように何かを告げる。
二人の男は、その提案を聞いてニヤリと笑った。
「なるほど。これは大きなヤマになりそうだ」
☆
ダニエルが置手紙を残して消えた翌日、エルシーはカリスタとともに彼が使っていた部屋を片付けていた。
部屋の片づけを一日待ったのは、もしかしたらダニエルに気が変わって戻ってくるかもしれないと考えたからだが、淡い期待も虚しくダニエルは戻ってこなかった。
「お布団とシーツは今日のうちに洗ってしまいますね。お天気がいいから、すぐに乾きそうですし」
「ええ、お願いね」
エルシーがベッドからシーツを剥ぎつつ言えば、棚を拭いていたカリスタが頷く。
ダニエルは綺麗に部屋を使ってくれていたようで、床も棚もどこも汚れていなかった。
(あら、なにかしら?)
エルシーが枕カバーを剥ごうと枕を持ち上げたとき、枕の下にあった何かがころんと床に転がり落ちた。微かな硬質な音を立てて転がったそれを拾い上げると、革紐に通されたくすんだ鈍色の指輪だった。指輪に通されている革紐はくたびれていたのか、切れている。
エルシーが指輪と革紐を拾い上げると、カリスタが振り返った。
「どうかしたの?」
「これが……。ダニエルさんの忘れ物でしょうか?」
「まあ。本当ね」
エルシーから革紐と指輪を受け取ったカリスタが、「でも、女性の指輪のようだわ」と言う。カリスタの言う通り、男性の指には小さすぎる指輪だった。
「あ! もしかしたら、奥様のものでしょうか? ダニエルさん、五年ほど前に奥様を亡くされているらしいんです」
「そうだったの?」
「はい。でも、そうだったら大変ですね。ダニエルさんにとって大切なものでしょうから……どうにかして彼を探す方法はないでしょうか?」
「どこに行かれたのかもわからないのよ? それは難しいと思うわ。わたくしたちにできることは、ダニエルさんがいつ戻って来てもいいように、この指輪を大切に保管して差し上げることくらいね」
指輪がないことに気が付いて、ダニエルが戻ってくるかもしれないとカリスタが言う。
カリスタはエルシーに革紐と指輪を返しながら、思案顔になった。
「子供たちが遊び道具にしないように、あの子たちの目の届かないところに保管する必要がありそうね。わたくしの部屋でもいいけれど……小さなものだし、紛失しないように何か箱のようなものに入れておいた方がいいわ」
「あとで空き箱がないか探しておきます」
エルシーは指輪と革紐を大切にエプロンのポケットに入れると、シーツと布団を抱えた。
「じゃあ、お洗濯に行ってきますね」
「ありがとう。ここのお掃除はわたくしがしておくわ」
「お願いします!」
エルシーはシーツと布団を抱えて洗い場に急ぐ。天気が良くても、大きなものは乾きが遅いから、早く洗って干してしまいたい。
「エルシー、そんなに大きなものを抱えてどこへ行くんだ?」
廊下を小走りで進んでいると、背後からフランシスの声がした。
「あ、へい――フランシス様」
危うく「陛下」と言いかけて、ここではその単語は使ってはいけなかったのだと言いなおす。
「お洗濯に行くんです」
「今からか? ……貸せ。持ってやる」
大丈夫ですと言う前に、フランシスがエルシーの手からシーツと布団を取り上げた。
「洗い場はどっちだ」
「あ、こっちです。あの……わたくし一人で持てますよ?」
「ダメだ。お前のことだから、前がまともに見えていないと転ぶかもしれない」
さすがにそこまでドジではないと言いたかったが、言い切る自信がない。
エルシーはフランシスの好意に甘えることにして、彼とともに洗い場へ向かう。
「それで、どうしてこんなものを?」
「えっと、昨日まで滞在していた男性が急に出て行かれたので、お部屋を片付けていたんです」
「昨日まで滞在していた男?」
フランシスが怪訝そうな顔をした。そう言えばフランシスはダニエルと一度も顔を合わせていなかった。エルシーはかいつまんでダニエルのことを説明すると、フランシスがぷっと吹き出した。
「肝試し大会の日に大の男を気絶させた? お前はいったいどんな驚かし方をしたんだ」
そこは重要なポイントではないと思うのに、どうしてそこに食いつくのだろう。
エルシーは口をとがらせて「普通の驚かし方です」と返したが、フランシスの顔を見る限り、信じてもらえていない気がする。
「その男はどんな男なんだ?」
「どんなって……優しくていい方でしたよ。旅人さんなんだそうです。あ、でも、大事なものを忘れて旅立たれてしまって、気づいて戻って来てくださればいいんですけど……」
「大事なもの?」
「はい。亡くなった奥様の指輪なんです」
エルシーがそう言うと、フランシスがぴたりと足を止めた。
「指輪?」
「そうです。これですよ」
エルシーはエプロンのポケットから切れた革紐と指輪を取り出した。
フランシスはぐっと眉を寄せた。
「男は気絶したと言ったな。その時の様子を詳しく話せ」
「いいですけど……」
急にどうしたのだろうかと思いながら、エルシーが当時のダニエルの様子を伝えると、フランシスがさらに難しい顔になった。
「エルシー、洗濯が終わったらカリスタと一緒に俺の部屋に来てくれ」
エルシーは首をひねりつつ、わかりましたと頷いた。
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